第20回 巌谷漣山人『かた糸』貴重な「?」を発見⁉

清泉女子大学教授 今野真二
 今回は巌谷いわや小波さざなみの『かた糸』(『文学世界』第四、明治24(1891)年5月15日出版)を採りあげてみよう。
【図1】は表紙で、図でわかるように和装仕立てになっている。ホトトギスらしき鳥の絵が描かれ「漣山人新作/かた糸」とある〈「さざなみ山人さんじん」は別号―筆者註〉。左上にある「文」のシールは周囲に「TOKYO GANSHODOSHOTEN」とある。現在の巌松堂がんしょうどう出版のホームページには、巌松堂が明治34(1901)年に波多野重太郎を創業者として開業したこと、明治37(1904)年に神田に進出、「巌松堂書店」として古書と新本とを扱っていたことなどが記されている。この「文」シールはあるいはその頃に貼られ所蔵されたものであろうか。下の絵の左側には「春陽堂梓」とある。

【図1】

 裏表紙には「東京春陽堂発行新板予告」とあり、「文学世界目次」が示されている。そこには第十までが予告されている。「目次」の横には「半紙木板摺彩色表紙頗美本一冊読切実値八銭郵税二銭十冊前金七十五銭」とあって、10冊分の前金を払うのであれば、80銭になるところが75銭で、5銭安くなるというサービス(【図2】奥付にも明記されている)もしていたことがわかる。

【図2】

 裏表紙の「予告」には下記のようにある。

第一 紅葉山人 命の安売
第二 山田美妙齋 猿面冠者
第三 二十三楷堂 かくし妻
第四 巌谷漣山人 かた糸
第五 忍月居士 辻占売
第六 正直正太夫 かくれんぼ
第七 広津柳浪子 いとし児
第八 幸田露伴子 息子心
第九 抱一庵主人 黒頭巾
第十 山田美妙齋 韻文夢の天女
『春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』によれば実際の刊行は下記のとおりである。

明治24(1891)年
3月 第一「七十二文命安売ななじゅうにもんいのちのやすうり
4月 第二、第三
5月 第四
6月 第五
7月 第六
8月 第七 江見水蔭すいいん「野試合」
10月 第八 堀江松華庵「ひつじかひ」
11月 第九 金子春夢「今みゆき」
明治25(1892)年
1月 第十 大橋乙羽おとわ「おもひ川」
2月 第十一 安田露友「有り哉無し哉神も仏も」
明治27(1894)年
6月 第十二 広津柳浪りゅうろう「いとし児」
 第七以降は作家、作品が「予告」から変わり、また当初の予定よりも長く第十二まで続いたことがわかる。このシリーズは好評だったのだろうか。また広津柳浪は遅筆だったのか、多忙だったのか、当時の出版事情も興味深い。

【図3】

【図3】は本文の八丁表である。次に翻字を示す。振仮名は省き、2字以上の繰り返し符号は「々々」で置き換えて示した。

1 成て、どうあせつても眠られず、脳はいよ々々働いて、種々の妄念空想
2 沸くが如く、夢とも現とも付かず、眠るでもなく眠らぬでもなく、ついト
3 ロ々々とやりかけた時、カタン!枕元に音がして、今のは障子を明けた
4 音?不思議!と耳を側立てゝ聞けば、それからは音を幽めて、
5 少しづゝ刻んであける様子。さては曲者かと、稍々起き直つて窺つても、
6 まだ人の影は見へず。また思直して夜着を被り、眠つた風をして
7 眼を薄く開き、屛風の陰を見詰めて居ると。やがて半身現はしかけたは、
8 此はしたり!曲者と思ひの外──あの小夜子。寝衣のまゝに両手を懐中
9 へ入れ、青ざめた頬へ乱れかゝる鬢のほつれ髪払ひもせず。薄桃色の下
10 唇、白い前歯で軽く咬へ。細くこけた頤を半分襦袢の襟に埋めて、シヨ
11 ンボリ立たまゝ、ヂッと新吉の寝顔を見下ろして居るに。新吉胆を消
12 し。直ぐ飛び起きて仔細をと思つたが、なほ如何なことをするかと、躍
 3行目、4行目、8行目で「!」(感嘆符・エクスクラメーションマーク)が使われているのが目をひく。『日本国語大辞典』は見出し「かんたんふ(感嘆符)」の「語誌」欄において、「「!」の符号は、明治20年(1887)ごろから二葉亭四迷、尾崎紅葉、山田美妙などによって使われはじめた。「あひゞき〈二葉亭四迷訳〉」の「あぶなく忘れる所よ。それに此の雨だもの!」、「三人妻〈尾崎紅葉〉前・七」の「おのれ! 無礼な、と立たせず」、「蝴蝶〈山田美妙〉三」の「宿世あやしき縁しかな。縁しかなっ!」など」と記している。そうであれば、『かた糸』における「!」の使用はさほどはやくはないことになる。
 4行目にはちょっと変わった形にみえもするが、「?」(疑問符・クエスチョンマーク)が使われている。『日本国語大辞典』は見出し「ぎもんふ(疑問符)」の語義(1)を「疑問を表わすためのしるし。普通の文章では疑問文の末尾に句点の代わりに用いる。「?」のしるし。日本文では明治20年(1887)ごろから次第に広く用いられるようになった。クエスチョンマーク。インタロゲーションマーク」と説明している。したがって、疑問符も感嘆符と同様、明治20(1887)年頃から使われるようになったことになるが、『日本国語大辞典』は明治時代の使用例を示していない。本書の「?」例は貴重な明治時代の疑問符の使用例ということになる。
 ここでは漢字は行書体が多く使われている。2行目に二つある「眠る」「眠らぬ」の「眠」はまさしく行書体、ただ6行目の「眠つた」の「眠」のように草書体も少しみられる。これは意識して使い分けていたのではなく、現在の表記ゆれのようなものだろう。いずれも「眠」には「ねむ」ではなく「ねふ」と振仮名があり、「ネブル」「ネブラヌ」「ネブッタ」という語形が使われていたこともわかる。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
[短いことばで、「伝えたいこと」は表現できる]
曖昧な「ふわふわ言葉」では、相手に正確な情報を伝えることはできない。「ことがら」・「感情」という「情報」を伝えるために、言葉を整え、思考を整える術を学ぶ。

この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。