《国境を越えて》
 高校の時、世界史が大好きで、授業が楽しくて、でもちょっぴり物足りない。ある日、先生に言いました。
「私は時代の変わり目が知りたいんです。それなのに、授業では、何時代はどんな政治、どんな経済、って覚えさせられるばかりで、どうして、どのようにして世の中が変わったのかを教えてくれないじゃないですか」
 そうしたら先生はこう言いました。
「君の言う通りだ。歴史学は時代の変わり目にこそテーマがある。でも高校ではそれを教えない。君がそれを知りたかったら、大学に行って歴史学者になりなさい」
 これはすごい誘導でした。
 まんまとはまった私は、すっかりその気になって大学に入り、2年間の教養学部の後、3年生から西洋史を専攻したのです。
 教養学部の最終学期の授業で、フランス史の先生がこんなことを言いました。
「人はなぜ歴史を勉強するのか? 理由は2つある。ひとつは社会に役に立つから。もうひとつは大好きだから。役に立つは相対的な理由です。でも好きだからは絶対的な理由です」
 その先生にすっかり惚れて、というのも、スーツの下に紫色のシャツを着るような、素敵な先生だったので……。
 そうか、「好きだから」が絶対的な理由なのだ、という説にぞっこんになり、私は3年生になった時、その先生のゼミを受けることにしたのです。
 でも私は教養学部の第二外国語でドイツ語を選択していたのでフランス語が全然できなかったのです。
 ゼミ生の中でフランス語ができないのは私くらい。テキストはほとんどフランス語だったので、もう何もわからない、ちんぷんかんぷん。とっても迷惑な生徒でした。
 運命とは皮肉なもので、そんな苦労を知ってかしらずか、父が、突然、日本アマチュアシャンソンコンクールに申し込んだ、というのです。
 コンクールは6月、今は4月。私はちょうどいいと思い、即座にその提案に乗り、日仏学院(現・アンスティチュ・フランセ東京)のフランス語の初期講座を受けることにしました。
 6月のコンクールに優勝するために、という目標に向かって、フランス語を0から学び、コンクールでは、エディット・ピアフの「メア・キュルパ」という歌をフランス語で歌い、見事にというか、残念ながらというか、優勝を逃し、4位になりました。
「メア・キュルパ」というのは「私の罪」という意味で、激しい愛の歌です。
「女は恋をすると、あらゆる罪を犯すのよ。貪欲の罪、怠惰の罪、嫉妬の罪……。あら、私は罪なんか犯さないわ、というあなたは、本当の恋をしていないのよ」
 その頃、恋の味をちょっぴり知った私でしたから、もうこの歌詞にぞっこん!
 でも審査員は私にこう言いました。
「あなたは、まだ赤ん坊の顔なんだ。その顔でピアフを歌われても、男心は動きませんね」
 あっさりと敗北した私でしたが、そこから私は奮起することになりました。
 翌年のシャンソンコンクールを受けるまでの1年間、お陰でフランス史の授業にも出られたし、銀座7丁目のシャンソン喫茶「銀巴里」で昼間のお客さんのいないステージで練習用に歌わせてもらったり、シャンソンの教室にも引き続き通ったり、実りある一年を過ごすことができました。
 そして翌年のコンクールでは、エディット・ピアフを避けて「ジョナタン・エ・マリ」という新しい感じの可愛いシャンソンで優勝し、歌手デビューした、というわけです。
 優勝のご褒美で、ドイツのハンブルク、フランスのパリ、イタリアのローマの旅をして、帰国後、レコード会社に所属しました。
 てっきり、シャンソンを歌ってデビューするのか、と思っていたら、誰もそんなことは考えていなくて、日本の流行歌を歌う歌手としてのデビューを果たすべく、いわゆる歌謡曲のジャンルで頑張ることになったのです。
 日本人だから日本の歌で、って当たり前なのに、もうその時点で、私自身の中では国境越えの迷走を始めることになったのです。
 そもそも、生まれた時に、外地(中国東北部)にいて、戦後日本に帰国した帰国子女第一号みたいな私。国境越えは、私の代名詞と言ってもいいかもしれません。
この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。