《国境を越えて》さくらんぼの実る頃
 日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝した1965年から26年たった1991年、アニメーション映画監督の宮崎駿さんから電話があり、次の作品『紅の豚』の中で、「さくらんぼの実る頃」をフランス語で歌ってください、というお話。
 宮崎さん、多分私のフランス語の歌を聴かれたことはないはず、なのに、よくぞ選んでくださいました。
 シャンソンを歌うはずだった私が、さまざまな歌手活動を経て、やっと本領を発揮することになったのです。
 1920年代末のイタリアが舞台の『紅の豚』。
 第一次世界大戦で大きなダメージを受けたヨーロッパ。その戦闘では飛行機乗りたちが大活躍しました。でもたくさんの飛行機乗りが戦死。「もう戦争はまっぴらだ」と顔を豚に変えた男、ポルコ・ロッソが主人公。その幼なじみのマダム・ジーナが、私の演じる女性です。
 アドリア海の小島でホテル「アドリアーノ」を経営しているマダム・ジーナ。彼女がそのステージでみんなに聞かせている歌が「さくらんぼの実る頃」です。
 ここはイタリアのはずなのに、この歌はフランス語。ここでもう、ジーナも国境越えしているんですね。
 しかもこの「さくらんぼの実る頃」はその時代を遡ること60年、1871年のパリ・コミューンで歌われた歌です。
 作詞したのは、パリ・コミューンの指導的な戦士、ジャン=バティスト・クレマン。その前の1866年、ベルギーで亡命生活をしていた時に、この歌の詩を書きました。食うことにも困っていた彼は、ある歌手に、毛皮のコート1着と交換で、詩を彼に託し、その歌手が作曲し歌ったのが始まりです。
 パリ・コミューンの時、ジャンはパリに帰国。この革命に命を懸けます。残念ながらこのパリ・コミューン政府は72日間で倒され、最後の1週間で、戦士たちは処刑、投獄、国外追放の刑の処せられ、多くの市民たちもヴェルサイユ政府軍に殺されたのです。
 ジャンはこの「血の1週間」を見届け、再び国外に逃亡。この「さくらんぼの実る頃」の歌詞に、「どんなに時が過ぎても、あの日の恋を忘れない」と最後の歌詞が添えられ、革命で死んでいった戦士を悼む歌として、広く歌われるようになります。
 今もその5月21日から28日までの「血の1週間」がフランスでは大切に記憶され、彼らの立てこもったペール=ラシェーズ墓地の一角に、パリ・コミューンの碑が立っています。
 だからパリでは5月が特別の月なのです。
 ヨーロッパはその後第一次世界大戦があり、大きく傷つきました。
 ジーナはきっと、60年前の素晴らしい季節を思い出しましょうと、メッセージを込めて歌っていた、と思います。
 遠い国の出来事だ、と思う方にひとつヒントを。ちょうどパリ・コミューンの頃の日本、と言えば明治維新です。NHK大河ドラマで西郷隆盛を描いた『西郷せごどん』というドラマがありました。西郷さんの親友で村田新八という人がフランスへ視察に行った時、この「さくらんぼの実る頃」を覚えて帰ってきて、あの西南戦争の時も手風琴で演奏していたというのです。林真理子さんの原作に書かれていました(ドラマではそのシーンがなかったですが) 。あの頃は今より遥かに遠い国だったはずなのに、やっぱり繋がっているってすごいですね。 
 私にとってもパリ・コミューンは大好きな歴史です。暗い時代の海に、ぽっかりとそこにだけ光射す小島のように、美しい希望を与えてくれます。どんな時代にも歴史を変えようとする人たちの熱い季節があり、多くは赤い血を流すことになります。
 それでも、決してその思い出は悲しいだけのものではない、と教えてくれる、それが「さくらんぼの実る頃」です。

(写真は筆者提供)

さくらんぼの実る頃

作詞:ジャン=バティスト・クレマン 訳詞:加藤登紀子
作曲:アントワーヌ・ルナール 編曲:告井延隆

Quand nous chanterons le temps des cerises,
Et gai rossignol et merle moqueur
Seront tous en fête!
Les belles auront la folie en tête
Et les amoureux, du soleil au cœur!
Quand nous chanterons le temps des cerises,
Sifflera bien mieux le merle moqueur!
Mais il est bien court le temps des cerises,
Où l’on s’en va deux cueillir en rêvant
Des pendants d’oreilles
Cerises d’amour aux robes pareilles,
Tombant sous la feuille en gouttes de sang,
Mais il est bien court le temps des cerises,
Pendants de corail qu’on cueille en rêvant
さくらんぼ実るころ 鳥たちは浮かれて歌うよ 誰かに恋して
愛する人の腕に抱かれて うれしさにふるえてた
君は赤く頰を染めて いつもよりずっときれいだよ
さくらんぼ実るころ 心は今もゆれている あの日と同じように
傷ついたまま消えない思い出 胸の奥でふるえてる
どんなに時が過ぎても あの日の恋を忘れない
さくらんぼ実るころ ムムム………ムー

 2021年9月1日発売 3枚組CD『花物語』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 


この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。