【第62回】


夏の日の庭でプール遊び
 幼少期を送った家の庭にプールがあった。そう書くと豪邸に住んでいたようだが、父が勤める会社の社宅で、木造平屋の8軒長屋である。昭和32年生まれの私が生家の次に住んだ家で、記憶はここから始まる。同じ大阪市北区の団地(これも社宅)に、小学校2年から移り住むまで、この長屋社宅にいた。
 間取りまではっきり覚えているこの家についての記憶は濃く、語りだせば長くなるが、小さな裏庭に小さなプールがあった。最初からあったのだと思っていたが、後で母に確かめたら、父がコンクリートをこねて自作したのだと知った。子煩悩な父で、2歳上の姉と私が可愛くて仕方なかったのだと思う。
 夏の間、姉とよく水着になって(ぼくは下着のパンツ姿だったかもしれない)このプールでよく遊んだ。水深は浅く、とても泳ぐことはできない。バシャバシャと水をかけあって涼をとるぐらいだったと思う。庭には柿の木が植わっていて、土の匂いがした。ついでに、すぐ脇に便所(汲み取り式)があったので、人間の営みの果ての匂いもした。便所のそばには赤い実をつける南天の木、その後ろの板塀に裏口へ出る枝折戸しおりどがあった。
 近所に住む同年輩の子どもたちが遊びに来て、一緒に入ったこともあった。社宅のあった大阪市北区樋之口町は、梅田から500メートルほどの中心地にあったが、敷地はコンクリート塀で囲まれていて静かであった。
 いま思い出すと不思議な気がする。どんなに小さくとも、プールがある家に住んでいたなんて。

1980年代のバイクブーム
 ここしばらくは遠ざかっているが、一時期、奥多摩、高尾、秩父の低山を歩くのに夢中になっていたことがあった。せいぜい500~600m以下で「山登り」とは言えない。しかし私にはそれで充分だったのである。
 とくに高尾山へはよく足を運んだ。2020年に「日本遺産」に認定され、土日など原宿並みに混雑する観光地となったが、10年前はそれほどでもない。ケーブルカーやリフトを使わないコースなら、渋滞することもなかった。登山道がよく整備されていること、いくつものコースが設けられているため、何度行っても飽きないということも私のような超初心者には利点であった。
 私はたいてい、いちばん南側の「稲荷山コース」を選んで上った。ときどき急坂もあるが、おおむねなだらかなアップダウンで、日の光がずっと当たっている。混雑するピークの高尾山頂はスルーして、そのままさらに奥、小仏城山の茶店をゴールとすることが多かった。
 それでも何度も上ると少し飽きて、一度高尾山口から離れ、南側に始まる「東高尾山稜コース」というのを歩いてみた。こちらはメインの「高尾」に比べれば、登山者の数はぐっと減る。草戸山から三沢峠、さらにいくつもの峠とピークを縦走し、大垂水峠をゴールとするコースである。しかし、私は早くにばててしまって草戸山からリタイアし、だらだらとつけられた道を下りた。高尾山口駅までつながる国道20号線に出れば、バス停があることを知っていたのである。ところが梅の木平バス停へたどりついて知ったのは、この路線を走るバスは一日3便しかないことだった。へたへたと道にしゃがみこみそうになった。
 あたりに休憩できそうな店もなく、あきらめてダンプカーなどが疾走する20号線を駅まで歩いて戻ったのである。途中、派手な外装のホテルが建っていて、なぜこんな場所にこんなものが、と不審に思ったら営業中のラブホテルであった。20号線は相模湖へ続く、つづら折りの峠道を走る。相模湖が観光地として栄えた時代があって、ラブホテルはその名残りかもしれない、とその時は思った。
 最近になって、20号線のラブホテルについて気になり、検索してみたら「廃墟」という言葉がいくつも引っかかった。まったく知らなかったが、かつてこの20号線沿いには、多くのラブホテルやレストランが乱立し、やがてドミノ倒しのように次々廃業に追い込まれ、廃墟のように残骸として残っているというのだ。私の所持する『でっか字まっぷ 東京多摩』(昭文社)は2011年版で、20号線には「蔵」「ごん助」「旭山」というレストランの表示がかろうじてある。20年前なら、もっと店の表示は多かったろう。11年後の2021年現在、検索した結果は「ごん助」のみ現役の営業中で、「旭山」は悲惨な写真つきの廃墟と化していた。
 検索の過程で分かったことは、この繁栄と衰退は1980年代のバイクブームがもたらしたものだ、ということだった。そのころちょうどバイク適齢期の20代だったはずの私だが、あまりに縁遠く(原付に乗っていた)、そんなことあったかなと懐疑的なぐらいだが、ツッパリ、暴走族、ヤマハにカワサキ、漫画『750ライダー』(石井いさみ)、『スローなブギにしてくれ』に代表される片岡義男のバイク小説ブームと並べて、ようやく首肯する次第である。たしかに、バイク、流行はやってました。

 というわけで、つづら折りの峠道が連続する20号線は、バイク野郎たちの主戦場となったわけである。道交法無視の高速で、危険と隣り合わせのカーブ越えを繰り返し熱狂する。後ろの座席にいる女の子は彼氏にしがみつき嬌声を上げる。そして目の前にはラブホテルである。まあ、そういうことになりますわな。
 そんな若さのカタルシスの発動と解消が国道20号線で繰り広げられたのである。そして彼らもまた、20年たち、30年たち、それなりに疲れた顔の大人になっていった。あとを継ぐ者はなく、たしかに現在、国道をバイクでぶっ飛ばす若者の姿などほとんど見ない。残されたのは寂れた沿道を持つ国道20号線だけである。なにごとにも歴史はあるものだ。
 近々、知人の車に乗せてもらって探訪する予定。またご報告します。

この夕日を見るために
 またもやテレ東『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の話題である。毎度、申し訳ない。ローカル路線バスのみを交通手段とし(高速も不可)、日本全国3泊4日の旅をする。太川陽介をリーダーに相棒・蛭子能収がレギュラー。ほか、毎回女性タレントが「マドンナ」として加わる。番組は終了したが、視聴率がよかったために再放送を繰り返ししている。私は飽きもせず、それを毎回視聴しているわけなのだ。
 8月某日に見た、第11弾となる回は四国の高松から三重県伊勢神宮へ。ゲストはいとうまい子。この番組放送がリアルタイムで放送されたのは2012年4月28日。いとうはこの時37歳だったが、年齢を告げると太川、蛭子ともに驚いていた。もともと童顔なのに加え、非常に若く見えるのである。初日から淡路島を縦断するのに「歩き」が入り、旅は過酷なものになったが、いとうは笑顔を崩さず「楽しい」とさえ口にする。その回に登場するマドンナの人柄が番組に大きく左右するのは、長らく見ているとよく分かるのだ。
 私が印象的だったのは大阪から奈良へ入ろうとする2日目。生駒登山口行きに乗り継ぐため、住道(「すみのどう」と読む)駅前から産業大学前、四条畷駅前と「歩き」を挟んで乗り換えていく。四条畷市は大阪府の東端で、奈良県生駒市と接する街。その四条畷駅前行きバスの車内で、運転手から「生駒登山口行きは住道駅前から出ている」と告げられたのだ。ショック! 放送は編集で、住道駅前から産業大学前に乗り込む3人のすぐ後ろのバス停に、生駒登山口行きバスが止まっていた光景を改めて視聴者に見せる。
 おまけに住道駅前に戻る途中、生駒登山口行きバスとすれ違う場面もあり、結果大きな時間ロスとなった。水も漏らさぬ鉄壁のスケジュールを現地で組み立てていくリーダーの太川が思わず2人に詫びる。しかし、ここでもいとうはへこたれない。
 予定より遅れて、ぶじ「生駒登山口行き」バスに乗り込むことができた。バスは生駒山のつづら折りになった急坂をどんどん標高を上げていく。時間のロスがあったため、夕暮れが迫るなか、突然、太川が「ちょっと見て、すごい! きれいだよ」と車窓の風景を指さして2人に言った。すでにバスはかなり高い位置にあり、眼下には東大阪、大阪市内であろうか、街が広がっているのが一望できる。そこに夕景が重なり、みごとな絵になっていた。
 いとうも嘆賞の声を挙げ、しばらく車窓を眺めたのちにこう言った。
「この夕日を見るためにこの時間になったわけですよ、わたしたちは」
 みごとな言葉であった。太川のミスによる時間ロスを、この言葉が解消した。いとうまい子という、私などしばらく顔も名前も思い出すことさえなかったタレントを、この時、一目置いたのである。この天晴れな言霊の力か、第11回はみごと4日目(しかも明るいうち)に伊勢神宮へゴールを果たした。
 私はいとうまい子について、これまでまったく関心がなかったことにこの番組で気が付き、大いに反省して少し調べてみた。1964年名古屋生まれ。1984年の大映テレビ『不良少女と呼ばれて』にヒロインに抜擢され、一躍スターとなる。そう言われれば、ドラマは見ていないが記憶にある。彼女は芸能界入りした時、大妻女子大学に入学していたが仕事がすで忙しく中退している。普通ならそれまでのこと。ところが、2010年に早稲田大学人間科学科のeスクールに入学し、大学院で修士課程までも修了している。なんでもロボット工学を学び、現在も研究に携わるというから驚いた。
 童顔に惑わされず、これからは骨のあるいとうまい子に注目したい。

(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『明日咲く言葉の種をまこう──心を耕す名言100』(春陽堂書店)岡崎武志・著
小説、エッセイ、詩、漫画、映画、ドラマ、墓碑銘に至るまで、自らが書き留めた、とっておきの名言、名ゼリフを選りすぐって読者にお届け。「名言」の背景やエピソードから著者の経験も垣間見え、オカタケエッセイとしても、読書や芸術鑑賞の案内としても楽しめる1冊。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。