南條 竹則

第19回 「花彫」と文人

 日本の文学者が中国の黄酒、いわゆる老酒のことを書いた文章といえば、わたしはまっさきに青木正児の「花彫」を思い出す。
 御存知の通り、漢文学者の青木正児は『随園食単』の訳者でもあり、中国の飲食について学識に裏打ちされた、しかも文字をひねくりまわすだけではない名随筆を残した。
『華国風味』に収められた「花彫」という一篇は、昭和二十年十二月の『学海』に載せられたものだが、その中で著者は大正十五年に紹興の「章東明」という酒屋で善醸酒を飲んだ思い出を語っている。
 前回御紹介した「牡蠣船」の作者・田中貢太郎も同じ頃──しかし、青木正児より三年早く──江南に遊び、紹興酒にぞっこん惚れて、「美酒花彫記」という文章を書いた。青木正児の文章ほど格調は高くないが、酒の吞める人間として当時の酒事情をつぶさに記し、一個の歴史的証言というに足る。
 それによると──
 大正十二年四月十六日、シナ遊行の途次、まず上海へと往った私は、翌翌日二三の酒徒と共に、その紹興酒というのを飲みに南京路ダマロ王宝和ワンポウワーという酒桟チユザンへと往った。酒桟とは酒屋で、卸と小売を兼ね、それで居酒屋式に酒も飲ますようになっている所である。(『貢太郎見聞録』中公文庫274頁)
「王宝和」といえば、行った方も読者の中におられるだろう。今では上海蟹の料理屋として名高く、上海のガイドブックにはたいてい載っている。その店が、というより招牌かんばんが(経営は変わっているだろうから)酒屋のものだったとは知らなかった。
 ここへ田中貢太郎を連れて行ったのは、上海を愛し、この街に二十年も住んでいる詩人の島津四十起よそきだった。田中貢太郎は願ってもない案内人を得たわけだ。
 それは二階建てになった木造の古い古い傾きかけた家であった。降っていなかったが煙雨の暗澹とした空のせいもあろうが、真黒に汚れてどろどろとして見える店頭には、焼鴨シヨーア白鶏パツチーをつるしてあって、六七人の店の者が薄暗い所に垢じみた顔を見せてのそりのそりとやっていた。その中の一人は店頭の台の上で、表の方をぎょろりとした眼で見い見い肉を刻んでいた。(中略)
「さあ、これが紹興酒の内の花彫ホーチョーという酒ですよ、これを飲んでください、ここの酒は真物ですからね」
 島津氏はそれを私に勧めるのが非常に嬉しいというような声で言って、酒保が持ってきてそれそれ前へと置いて往った銚子の一つを手にした。それは鶴の首のように長い口と耳の輪郭のような取手の付いたスズの器であった。
「そうですか……ホーチョー」
 それは黄金色をした舌触りのとろとろした酒であった。(同275-276頁)
 紹興酒も日本酒と同様、かんの仕方や加減によって旨さが違って来る。錫のチロリで燗をつけるのが一番だとわたしは思う。文章を見る限り、この店の燗は良さそうだ。
 酒の肴の小菜についても、詳しく記されている。
 それは酒保の卓にあった桜貝の海瓜子ヘーカツと、馬刀マテの煮たのと、白魚のような小魚の油で揚げたのと、野菜の茎らしい小さく切った生のままのものとであった。馬刀の煮たのは拌蟶子ハンチンツーと言った。白魚のようなのは燻鮳子魚シユンカウツーユーと言った。野菜の茎らしいのは香烏筍シヤンウシンと言って、それは蘆の芽であると一行の中にいた骨董店の主人が言った。骨董店の主人はまた、シナでは蘆を田に作ってその根も食用にすると言った。(同276頁)
「ここは、料理にも飽き、茶屋酒にも飽いた者が、真箇ほんとうに酒を飲みに来る所ですよ、ここでは、いつでも走りの肴をわすのですからね(同276頁)」と島津氏は言う。こうした店と美酒に出会い、「その日をはじめにして私には陶然たる酒の日が続いた(279頁)」とある。まったく羨ましい限りではないか。羨ましいのは、現在コロナ禍で外国に遊べないこともあるが、昔の花彫酒が今とは全然別物だったことを、わたしの乏しい経験からも推量できるからだ。
 さらに羨ましいのは、彼が船遊びを満喫していることだ。
 古くから水運が発達した江南地方では、かつては宴会も船の上で楽しむのが普通だった。そのために「船菜」と呼ばれる独特の料理が発達し、その伝統は今も蘇州料理などに残っている。
 田中貢太郎の随筆には特別な料理の話は出て来ないが、揚州から蘇州、そして杭州まで、小舟に乗って悠々と風光を楽しんでいる。
 彼はその後上海へ帰り、汽船で紹興酒の本場紹興へ行った。紹興に着くとさっそく菜館に上がって、花彫酒を飲んだ。そして書いたのが、こんな戯句ざれくだった──
シナの銘酒の紹興酒
しんとろとろと旨い酒
飲むにつけても思いだす
竹早町のキラク亭
ほんにお孝ちゃんは佳い女(同296頁)

*キラク亭は著者が茗荷谷の藤寺の近くに住んでいた頃、よく行った西洋料理屋で、井伏鱒二の「雞肋集」に出て来る。そこには「お幸ちゃん」とある。
 当時の中国旅行記では、大正十年にの国へ行った芥川龍之介の「上海游記」や「江南游記」などが有名だ。だが、体調が悪かったため病中記のようになっている芥川の紀行文に較べて、こちらは何と遊楽の喜びにあふれていることだろう。
 これも酒の功徳と言えるだろうか。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)