この歌もアルバム『花筐 ~Hanagatami~』に収録した曲のひとつ。南アフリカのピアニスト、テンバ・ムキーゼが、日本滞在中に私のために作曲してくれたこの曲に、私が歌詞を付けたのは2002年6月でした。
藤本が入退院を繰り返していた3月、来日していたテンバさんを迎えてわが家で藤本主催の納豆パーティーを開催。アフリカ人の食卓に納豆を、をテーマにテンバさんに納豆をご馳走するという会を開いたのです。彼にとっては、恐怖だったかもしれませんが、「おいしい!」と言って笑っていました。彼はそれしか日本語を知らなかったから(笑)。
彼と藤本敏夫とのこの出会いがあって、テンバさんの曲は、私の藤本への想いを綴る歌になりました。
5月の最後の日曜日、私と藤本は鴨川の家で過ごし、田舎暮らしを継いでくれそうな若いご夫婦を招いて一緒に食事をしたのです。夜、別棟の宿舎にご案内しようと、ドアを開けたら、本当は真っ暗なはずの外が、パッと明るかったのです。見ると満月に近い月が煌々と輝き、辺りを照らしていました。
私は咄嗟に、この月明かりの中でふたりに見せたい風景がある、と思い立ち、ガンコ山と呼ぶ小さな山にふたりを連れて登ったのです。
頂上はビュンビュン風が吹いていて、雲ひとつない空に月がポツンと浮かび、青白く輝いていました。
間もなくこの世を去っていこうとしている男の孤独な姿が、そこにあるようで、月の姿が胸に灼きつきました。
翌月、私は国連環境計画UNEPの親善大使としてバリ島で開かれた会議に出席したのですが、夕方便だった飛行機の中で、ふと見ると、窓の向こうに月が見えました。まるで追いかけて来るように、ずっと見え続ける月に、ガンコ山の月が重なり、テンバからもらっていた曲に詞がついたのです。
夜の底に光る 青い月のように
ひとり歩いていく あなたの後姿
孤独の中へ 出て行く人のために
何ができるの? ただ見送るだけ
病気と戦う彼と、健康に動き回る私。ふたりがどんどん引き裂かれていくのを感じながら、その想いを書いたのです。ひとり歩いていく あなたの後姿
孤独の中へ 出て行く人のために
何ができるの? ただ見送るだけ
考えてみれば、いつも私たちは遠く離れた関係でお互いを見てきたのです。藤本が鴨川に移り住んだ時も、私は東京に残りました。彼の病状が抜き差しならない時も、私は容赦なく仕事のスケジュールに追いまくられていました。
送る側の気持ちなんて、逝く人に伝えるわけにはいかないもの。結局、この歌を彼に聴かせることはできませんでした。
2003年の春、私は逝ってしまった藤本敏夫との出逢いから永訣までのことを本に書き、その本にこの歌のタイトルを付けました。『青い月のバラード』(小学館)。
それからずっと、彼は私にとって「月」なんです。
何かふっとした想いを持つ時、つい空を見上げます。月がちょうど雲から出てきたりすると、彼が答えてくれたように思えることも。それが私には言い知れず大きな力になっています。

2003年出版、著書『青い月のバラード
(写真は筆者提供)
青い月のバラード
作詞:加藤登紀子 作曲:テンバ・ムキーゼ 編曲:告井延隆
夜の底に光る 青い月のように
ひとり歩いていく あなたの後姿
孤独の中へ 出て行く人のために
何が出来るの? ただ見送るだけ
花は花のように 鳥は鳥のように
ひとり咲きつづけて ひとり飛びつづける
未知の中へ 一瞬の運命に
身をあずけて 振りむかずに
*風が花を咲かせ 月が鳥を誘う
あの日同じ哀しみと 同じ夢を見て
二人愛を重ねた
*repeat
花は花のように 鳥は鳥のように
かわらぬ愛を求め どこまでも夢を追いかける
激しさと さまよう強さを持ち
孤独の痛みを 輝きにかえて
もしも出来るなら
あなたを抱きしめたい 青い月のように
(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 作詞:加藤登紀子 作曲:テンバ・ムキーゼ 編曲:告井延隆
夜の底に光る 青い月のように
ひとり歩いていく あなたの後姿
孤独の中へ 出て行く人のために
何が出来るの? ただ見送るだけ
花は花のように 鳥は鳥のように
ひとり咲きつづけて ひとり飛びつづける
未知の中へ 一瞬の運命に
身をあずけて 振りむかずに
*風が花を咲かせ 月が鳥を誘う
あの日同じ哀しみと 同じ夢を見て
二人愛を重ねた
*repeat
花は花のように 鳥は鳥のように
かわらぬ愛を求め どこまでも夢を追いかける
激しさと さまよう強さを持ち
孤独の痛みを 輝きにかえて
もしも出来るなら
あなたを抱きしめたい 青い月のように
2021年9月1日発売 3枚組CD『花物語』収録
