《運命の人と》 薔薇と月
 2003年の夏、「花の都ぎふ祭り ひだ・みの花紀行」のイメージソングを作ることになり、原田真二さんの曲に歌詞をつけることになりました。
 彼の軽快で夢のような曲想に乗せて「青い月のバラード」の物語を、もう少しメルヘンにして描いてみたのがこの「薔薇と月」です。
 地上の薔薇と空の月が恋をしたとしたら、どうしても遠距離恋愛です。しかも月はいつも旅の途中、満ち欠けしながら、せっせと動いていなければなりません。薔薇は土の上に根を張り、その定点からじっと空を見上げるしかありません。うまく出会えるチャンスは限りなく少ない。
 薔薇が咲いていて、空が晴れていて、満月だったら……。
 3つの条件が揃って初めて向き合える恋人同士。
 しかも地上と空。
 これは、なかなかの難関です。
 ちょうど薔薇から見える空に、満月が輝いたとしても、雲が出てしまえば、一巻の終わり。
 そんなことを歌に書きながら私は、1968年に出会ってからの藤本敏夫との日々を思い出していたのです。
 1968年3月、学生運動のリーダーとしての藤本敏夫と会い、それが初対面でした。学生の集会で歌ってください、という話。でも私はあっさり断ってしまったのです。それでもう会う必要はなくなってしまった!
 でもなんと3日後に彼から電話があり、ふたりで会おうということになったのでした。
 そこからの日々のことは、著書『青い月のバラード』に書いているので、ここでは詳しくは書きませんが、まあ、異次元に生きるふたりの恋が電撃的に始まってしまったのです。
 それからの日々、学生運動の先頭に立つ彼は、何度も拘留されることが続き、まさに「薔薇と月」のように逢えることが奇跡のような逢瀬でした。
 そして1968年10月21日の国際反戦デーの大きな山を越え、11月7日から翌年の6月16日までの8カ月、彼は拘留されることになりました。
 残念ながら1969年は学生運動にとって厳しい年になり、出所した彼を待っていたのは四分五裂した学生運動内部の対立抗争でした。
 悩み苦しんだ彼は、一切の活動から身を引き、独自の世界観を拓こうとその夏、九州の平戸に滞在。そこをこっそり訪ねた時の旅は、人生を決めた出来事だったと思います。ちょっと坂本龍馬とおりょうさんの有名な新婚旅行みたいな気分で、日本の未来を語り、一緒に生きることを決めた夏になったのです。
 それでもなかなか結婚という答えには辿り着けず、3年後にすべての裁判が終わり、3年8カ月の実刑判決が決まった時も結婚せずに彼は行ってしまいました。
 ですが、運命は私たちを結びつけてくれました。彼との別れの後に小さな命が誕生したからです。
 1972年から2002年、彼の永訣まで30年の結婚生活、そして亡くなってから空へ想いを馳せた20年、私たちはずっと「薔薇と月」の関係です。これからもきっとこのまま続くことでしょう。

鴨川の自宅前。2000年の正月

(写真は筆者提供)

薔薇と月 Rose and Moon
作詞:加藤登紀子 作曲・編曲:原田真二
空のかなたから ふりそそぐ
光を受けて 咲く薔薇の花
広い宇宙をさまよって
地上を照らす空の月
薔薇が月に恋して
月が薔薇を愛したら
花の季節は短すぎて
月は 雲の中 旅の空
恋にこがれる薔薇と月
蕾の中で 目をとじて
花咲くときを待つ薔薇の花
満ち欠けながら 時をかぞえ
花にさそわれる 空の月
薔薇の咲いてるうちに
月はかがやくでしょうか
花の都は花のころ
月は空から ふりそそぐ
恋にこがれる 薔薇と月
恋にこがれる 薔薇と月

 2021年9月1日発売 3枚組CD『花物語』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 
この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。