第22回 田中清一『夢みてはいけないのか』漢字の読みも道草する

清泉女子大学教授 今野真二
 今回は田中清一の詩集『夢みてはいけないのか』(昭和2(1927)年8月20日刊行)を採りあげてみよう。
 田中清一は大正14(1925)年9月1日に、自身が編集発行人となって詩雑誌『詩神ししん』を刊行している。田中清一の主宰のもと、福田正夫、清水暉吉てるきち、宮崎孝政らが編集に参加し、『詩神』は当時の有力詩人が寄稿する雑誌となっていった。田中清一は後には「田中喜四郎」を名乗るようになる。
【図1】は『夢みてはいけないのか』の裏表紙。羊歯シダと蝶とを組み合わせたデザインで、左下に「春陽堂版」とある。

【図1】

 装幀は廣嶋ひろしま晃甫こうほ(明治22(1889)年~昭和26(1951)年)が担当している。廣嶋晃甫は徳島市に生まれ、明治42(1919)年に白馬会洋画研究所に入り、後に、よろず鉄五郎てつごろうらとアブサント会を興す。第1回帝展(現在の日展)、第2回帝展で特選になり名が知られるようになった。
【図2】は奥付。筆者が所持しているこの本には著者検印も春陽堂の印も見当たらない。

【図2】

【図3】は表紙見返し。ここには「拝呈 田中清一/多田不二様」とあり、著者から詩人の多田不二ふじへ献呈した本であることがわかる。多田不二(明治26(1893)年~昭和43(1968)年)は茨城県出身の詩人で、東京帝国大学文学部心理学科を卒業した後、日本放送協会に勤務し松山支局長をつとめている。室生犀星、萩原朔太郎らの詩雑誌『感情』の同人となっている。大正9(1920)年には『悩める森林』(感情詩社)を出版する。

【図3】

 さて、『夢をみてはいけないのか』は巻末に「詩劇 一幕」「恋の黄昏」という作品が収められている。「大正15年4月作」とある。【図4】はその一節(136頁)である。

【図4】

 本文9行目と10行目とに「寢臺」とある。常用漢字表に載せられている字体に置き換えれば「寝台」であるが、これはいかなる語をあらわしているのだろう。「いかなる語」と表現すると、どんな語をあらわしているか見当がつかないという感じになるが、そうではなくて、候補が二つあるということだ。
「シンダイ」じゃないの?と思った方が多いだろう。それは候補の一つであるが、もう一つある。それは「ネダイ」という語だ。
 ヘボンの『和英語林集成』で調べてみる。1867年刊の初版、1872年刊の再版には見出しがなく、明治19(1886)年刊の第3版に見出し「ネダイ 寢臺 A bedstead. couch.」がたてられている。一方、「シンダイ」は初版、再版、第3版いずれも見出しにしていない。
 明治21(1888)年5月に出版された高橋五郎『漢英対照いろは辞典』は、「ネダイ」を見出しとして「寢臺、臥搨、ねるだい、高臥牀 A bed-stead, a bed-frame」と説明している。「ネドコ」も見出しになっているが、そこには「寐牀、とこ、臥床、ふしど A bed-stead ; a bed」とある。見出しと対照して置かれている英語がともに「A bed-stead」であるので、高橋五郎は「ネダイ」と「ネドコ」とを同じような語義ととらえていたと思われる。しかし、この辞書にも「シンダイ」という見出しはない。
 明治24(1891)年に2年かけて初版の刊行が完結した『言海』は、「ねだい(名)寐臺 机ノ如クニシテ大ク、寐床ニ用ヰルモノ。臥搨」という見出しをたてている。『言海』も「シンダイ」は見出しにしていない。
 これらのことからすれば、明治20年代にはまだ「シンダイ」という語は少なくともひろく使われてはいなかった、と推測できる。ところが、明治44(1911)年に出版されている金沢庄三郎『辞林』(三省堂)は「ネダイ」「シンダイ」をともに見出しにしている。

  しんだい[寢臺] ねだい。
  ねだい [寐臺](名)臥床となす臺、机の如くにして長大なり。(臥搨)
 見出し「ねだい」に語釈が記され、見出し「しんだい」においては、「ねだい」と示されているだけである。これは「しんだい」が後発した語であることを思わせる。漢字「寐」は〈ねる〉という字義をもち、漢音「ビ」、呉音(古く日本に入った漢字音の一種。和音とも)「ミ」である。一方、漢字「寢(寝)」は〈ねる・とこにつく〉という字義をもち、漢音呉音ともに「シン」である。「寐」と「寢」とは別の漢字であるが、〈ねる〉という字義が重なるので、通じて使われるようになった。
『和英語林集成』は「ネダイ」の「ネ」に「寢」という漢字列をあてているが、『言海』は「寐」をあてている。字義には重なり合いがあるが、音は異なる。「寐臺」は音読みすると「ビダイ・ミダイ」で、「寢臺」を音読みすると「シンダイ」である。つまり、「シンダイ」という語をうみだしたのは、漢字列「寢臺」であることになる。
 さて、そこで、『夢をみてはいけないのか』136ページの「寢臺」であるが、この本が出版されたのが昭和2(1927)年であることを思えば、ひとまずは「シンダイ」を文字化したものである可能性がたかいだろう。だから最初から「シンダイ」でいいんじゃない、と言われるかもしれない。しかし「道草」を楽しむのが、レトロスペクティブの醍醐味かもしれない。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
[短いことばで、「伝えたいこと」は表現できる]
曖昧な「ふわふわ言葉」では、相手に正確な情報を伝えることはできない。「ことがら」・「感情」という「情報」を伝えるために、言葉を整え、思考を整える術を学ぶ。

この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。