《放浪の歌》 花はどこへ行った
 1960年代、PPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)やキングストン・トリオが歌って大ヒットとなり、日本でも日本語に翻訳されて、フォークの定番となった歌です。
ですが、私はその頃は全く歌ったことがありませんでした。日本語訳の歌詞が好きじゃなかったこともあって、レパートリーにするつもりもなかったのです。
 私が初めて自分の日本語訳で歌ったのは2016年、エディット・ピアフの全生涯を歌うコンサート「ピアフ物語」で、マレーネ・ディートリヒとして歌うためでした。
 1901年生まれのマレーネは1915年生まれのピアフの後半生を最も近いところから支えた人でした。
 ペール=ラシェーズ墓地でのピアフ葬儀で、ピアフの棺に最後の土をかけた時、「これからは私が歌うわ」と決心したと、彼女の自伝の中で書いています。
 その時、マレーネは62歳。その言葉の通り、それからのマレーネは歌手に専念し、世界中を回りました。時はベトナム戦争中。
 第二次世界大戦中にヒトラーに敵対し連合軍の前線にまで慰問に行って歌ったマレーネは、祖国ドイツではこの時も冷たい視線を浴びますが、その会場を涙に変えたのがこの「花はどこへ行った」だったそうです。
 彼女の歌うドイツ語と英語の「花はどこへ行った」には、深く心を揺さぶる力がありました。
 一緒に世界でコンサートを行ったバート・バカラックのアレンジで、フォークソングとして歌われてきたものとは全く違うドラマティックな語りの歌になっていました。
 私はこのアレンジで、自分自身の日本語訳でこの歌を歌うことにしたのです。
 もうひとつ、この歌にのめり込んだ理由は、この曲の作者ピート・シーガーの存在でした。
 彼はニューヨーク・マンハッタンから約40マイル(65km)のところにあるインディアン・ポイント原子力発電所から近いブキャナンという街に住んでいました。彼はハドソン川の上流の環境問題と深く関わり続け、この原発による環境の変化にも監視の目を持って取り組んでいました。
 東日本大震災後の福島第一原発事故を受け、福島の人たちとの交流も深くなり、私はニューヨークの友達に誘われ、このブキャナンを2012年に訪ねたのです。
 ピート・シーガーと一緒に活動している市民グループの人と出会い、インデイアン・ポイントの原発を見にいきました。
 ニューヨークのマンハッタンからこんなに近いところに原発がある、という事実に驚き、この街に住み、今もこの活動に関わりつづけているピート・シーガーという人に敬服しました。
 残念ながらその時、ピートさんは奥さんのトシさんの病状が悪く付き切りで添っていらしたので、お会いすることはできませんでした。
 トシさんは、日本人とアメリカ人のハーフの女性で、ピートとは、太平洋戦争がすでに始まっていた1943年に結婚。ピートと生涯を共にした人でした。
 2013年トシさんは亡くなり、その翌年にピートさんも他界され、ついにお会いすることはできませんでした。
 ピート・シーガーがこの歌を着想したのは1955年、オバーリン・カレッジに行くためにオハイオ行きの飛行機の中で、ポケットに中にあった詩のメモを見つけ、20分後には全部ではないがほとんどこの曲が出来上がっていたというのです。
 そのメモの詩というのが、ロシアの文豪ミハイル・ショーロホフの『静かなドン』という小説の初めの方に引用されていたコサックの子守唄でした。
 コサックといえば、私の家族が経営していたロシアレストランで働いていたコックさんのおばちゃんがコサックの人でした。中学生の頃、このレストランには満洲時代に日本人と関わりのあったロシア人たちが、毎晩のように集まり、たっぷり彼らの音楽を聴いて私は育ったのです。
 私は2018年に「花はどこへ行った」をテーマにコンサートをしたいと思い、2017年の11月にショーロホフの故郷、ロストフ・ナ・ドヌに行きました。ふとその日が11月7日だと気がついた時は、思わず「あっ」と声を上げた私でした。ロシア革命からちょうど100年の日に、なぜかロシアにいる!
 今のロシアではもちろんそれを記念することはないようだけれど、その日開かれたコサックの合唱コンサートが、熱気に満ちていたことは、心に残りました。
 ドン川のほとりの極寒の街で、素晴らしいコサックの音楽を聴き、「うちのレストランとやっぱり似ている!」料理の味を堪能し、私自身の遥かな旅と、ピート・シーガーやトシさんの経てきた歴史が、このロシアゆかりの歌で出会えている不思議を思いました。
 もともと農奴だったコサックが独立した地位を獲得するために、ロシア帝国の親衛隊として戦いの先頭に立ち、ロシア革命の時にも革命軍と向き合う運命を背負い、第二次大戦でもソ連軍と戦うことになりました。その遠く長い歴史の悲しみが、この歌に込められていることを大切にしたいと思います。

ロストフにて 2017年

(写真は筆者提供)

花はどこへ行った
作詞・作曲:ピート・シーガー、ジョー・ヒッカーソン 訳詞:加藤登紀子 編曲:鬼武みゆき
どこへ行ったの 野に咲く花は
遠い昔 そして今も
野に咲く花は 少女に摘み取られた
いつになったら 人は気付くのでしょう
どこへ行ったの 可愛い少女は
ずっと昔いえ つい昨日のこと
可愛い少女は 若者の胸に
愛を求めて その身を捧げた
どこへ行ったの 若者たちは
少女が愛した若者たちは
銃を手にして兵士になった
愛する人を 置き去りにして
どこへ行ったの 兵士たちは
故郷遠く 離れて
兵士たちは 墓の土になった
誰にもしられず 見捨てられて
どこへ行ったの 兵士の墓は
時が流れて いつの間に
兵士の墓は 野に咲く花に
誰も知らない 野に咲く花に
どこへ行ったの 野に咲く花は
遠い昔 そして今も
野に咲く花は 少女に摘み取られた
いつになったら 人は気付くのでしょう
 2021年9月1日発売 3枚組CD『花物語』収録
 Musicians: Piano:鬼武みゆき / Guitar: 告井延隆 / Bass: 早川哲也
(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 
この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。