《放浪の歌》 琵琶湖周航の歌
 琵琶湖のほとりは、実は私の故郷です。
「故郷がない」と言い続けているのに、「どうして?」と言われそうですが、私のひいお爺さんが滋賀県守山市の出身で、たった一代で京都へ出て呉服屋として大成功を遂げた人として、父はよく自慢していました。そして、
「満洲で生まれたもんはみんな、故郷のないようなもんになってしまう。登紀子にはそういう故郷のないようなもんとして生きてほしくない。お前には、京都も琵琶湖も故郷なんやぞ! それを忘れるな」と言っていました。
 守山市には今も遠い親戚がたくさん住んでいます。
 この歌は、京都の同志社の学生だった夫の藤本はもちろん大好きでしたが、父も日本寮歌祭委員会のメンバーでしたから、旧制三高の寮歌だったこの歌を熱愛していました。
 1971年発売のアルバム『日本哀歌集』に、この歌をレコーディング、その中から「知床旅情」に続いてこの「琵琶湖周航の歌」が大ヒットとなりました。
 そんなある日、私は旧制三高OBの「紅萌ゆる会」から大宴会の席に呼ばれたのです。
「今日はあんたに、ほんまの『琵琶湖周航の歌』を聴かせるから、よく聴きなさいよ」というわけで、そこに集まった全員の大合唱が始まりました。
 すると、テンポもまちまちで、歌詞もメロディも少しずつ違っていて、大混乱。「俺の歌ってるのがほんまや」「あいつのは違う」「お前の歌は加藤登紀子の歌になっとるやないか」と収拾がつかなくなりました。
 結論としては、この歌ができた1917年から半世紀の間に、少しずつ変遷があったということがわかってきたのです。
 この歌の詞は1917年6月28日に、琵琶湖をボートで一周する周航の途中、今津の宿で泊まった夜に、旧制三高生だった小口太郎さんが書いたことがわかっています。その何よりの証拠に彼が出した葉書が残っているのです。
 それも彼が出した相手が留守だったためにその葉書が受け取られないまま学生寮の郵便箱に残っていたので、小口さんが持っていたらしく、長野県岡谷市の実家から見つかった、という裏話もあります。確かに相手に渡っていれば、どこかに行ってしまっていたでしょう。記録の残され方もまた運命です。
 この歌詞はその日のうちに「ひつじぐさ」という曲に乗せて歌われて大喝采を浴びた、と言われています。
 けれど、この「ひつじぐさ」という歌の作曲者が吉田千秋であることがわかったのはつい最近の1993年。
 このひとつの歌に、ふたりの青春が重ねられることになりました。
 作詞の小口太郎は長野県の出身、1897年生まれ。詩を書いた時は19歳でした。
 作曲の吉田千秋は新潟県出身、この曲を書いたのは2年前の1915年、その時20歳でした。
 小口太郎は詩を書いてから7年後の1924年、26歳で自死。
 吉田千秋は1919年、24歳で結核のため早逝しています。
 日本が大正デモクラシーに燃えた頃、若い人たちに溢れていた自由で伸びやかなロマンがこの歌に溢れています。
 小口太郎は東京帝国大学物理学航空学科で、優秀な学生として将来を期待され、航空研究所に所属していました。大学在学中に「有線及び無線多重電信電話法」を発明、イギリス、ドイツ、カナダ、フランスなどの特許を取得しています。
 研究者になることで軍隊に入らずに済む、と思っていたのに、徴兵になったことに絶望しての自死だった、と言われていますが、彼の人生にはもっともっとエピソードがありそうです。
 吉田千秋は、有名な歴史地理学者、吉田東伍の次男として生まれましたが、10代の頃から結核のため学校に行けず、独学で7カ国語を習得したという天才でした。絵を描くこと、作曲をすることにも取り組み、イギリスの「Water Lilies-ひつじぐさ」の訳詞をし、この日本語詞に作曲をして音楽雑誌に投稿したところ、若者の間で人気となり、2年後に小口の詞を乗せた「琵琶湖周航の歌」として歌われた、ということです。
 稀有な才能を持ったふたりの若者が、お互いに出会ったこともないのに、その後100年以上も歌われる歌で結ばれていく!
 なんと素晴らしいことでしょうか。そしてあまりにも若いふたりの死の、なんと哀しいことでしょうか。
「琵琶湖周航の歌」は、海外でコンサートをした時などに、日本を離れて海外で奮闘している皆さんが、熱烈に歌ってくださったことが思い出に残っています。
   われは湖の子 さすらいの…
 時代は変わっても、みんなそれぞれ何かを成し遂げるために、自分の生涯をなげうって生きていきます。その共通のみずみずしい息吹が、この歌を通して結ばれていくのでしょう。
 この歌詞の誕生した1917年から100年目の2017年6月にスタートした「びわ湖音楽祭」は、大津から始まり、近江舞子、今津と巡り、2022年には6月に長浜で開催されます。
 この歌がこの後も、みずみずしい心を結んで歌い継がれていくことを願ってやみません。

琵琶湖周航の歌100年周年記念 第1回 びわ湖音楽祭 2017年

(写真は筆者提供)

琵琶湖周航の歌
作詞:小口太郎 作曲:吉田千秋 編曲:Sibusiso Victor Masondo、告井延隆
我はうみの子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
松は緑に 砂白き
雄松が里の 乙女子は
赤い椿の 森蔭に
はかない恋に泣くとかや
波のまにまに 漂えば
赤い泊火 なつかしみ
ゆくえ定めぬ 波枕
今日は今津か長浜か
瑠璃の花園 珊瑚の宮
古い伝えの 竹生島
仏の御手に 抱かれて
ねむれ乙女子 やすらけく
矢の根は深く 埋もれて
夏草しげき 堀りのあと
古城にひとり 佇めば
比良も伊吹も 夢のごと
西国十番 長命寺
汚れの現世うつしよ 遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心
語れ我が友 熱き心
 2021年9月1日発売 3枚組CD『花物語』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 
この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。