第11回 『二人ににん比丘尼びくにいろ懺悔ざんげ
 ──忘れ得ぬ俗世の恋の物語
 ~二人の尼僧を結んだ在俗の縁

東海大学教授 堀啓子

 いよいよ今年も押しせまって来ました。年末年始といえば時の流れがしみじみ感じられ、読書の折も時代小説に心惹かれます。『二人ににん比丘尼びくにいろ懺悔ざんげ』は紅葉が学生時代に発表し、話題をさらった作品です。当時としてもやや古風な文体でしたが、戦国時代が舞台の作品にはふさわしく、冬の寒さもひとしお深く感じられる粋な一作です。


 登場人物はたったの二人。ともに妙齢の美女だが、二人ながらに墨染め衣の尼僧姿である。だが得てしてご出家の穏やかな平生に、大きな物語は生まれない。展開する物語があるとすれば、ただ二つ。来訪者の告白か、出家自身の昔語りである。この作品は、その二つの要素を併せ持ち、なおかつ二人の背景を絡ませることに成功している。冒頭の「発端 奇遇の巻」は、こんな書き出しである。

都さへ……蕭条さびしさいかに片山里かたやまざとの時雨あと。あしたから夕まで昨日も今日も木枯の吹通して。あるほどの木々の葉―峯の松ばかりを残して─大方をふき落したれば。山は面瘠おもやせて哀れに。森は骨立ちて凄まじ

『二人比丘尼色懺悔』(新選名著復刻全集 近代文学館『新著百種』第一号 昭和五十九年[初出 吉岡書籍店 明治二十二年])表紙(著者蔵書)
装幀技術がまだあまり発達していない時代において、黒地に金泥の経文を象った意匠は大いに趣向を凝らしたものとして、人々の注目を集めた。

なんとも寒々しい風景描写である。この冬枯れの山道を行脚し、一人の比丘尼がようやく寂しい山里の庵にたどりついた。夕闇の迫る頃、凍えた手で叩いた戸を開けたのが、この庵主である尼僧である。一夜の宿を請われ、快く招き入れて炉の側に座らせて見ると、客の比丘尼は際立った美形である。
 ぞくりし昔の我ならば。ねたましく思ふほどの容色。今さへも見て。臭骸しうがいの上を装ふてこれとは覚えず──地水火風空も。よく形造かたちつくらるればかほどの物か。自分は二十一歳。二ツばかりはわかかる可し。この容姿かたち───この年頃。菩提ぼだいの種には何がなりし。まだつま紅の消え切らぬ指に。珠数じゆずつまぐる殊勝さ……すぎて哀れなり。我身に思ひくらべて。うるむ涙を。
思いもよらぬ若く美しい彼女の姿に、どんな訳で発心したのか、この庵主は不思議に思う。

庵を訪れて客人となった比丘尼。前掲『二人比丘尼色懺悔』挿画

 いっぽう、客もこの庵主を眺め、
世に捨らるべき姿かは。世に飽くといふ年かは。あるひは我に似たる身のなれる果か。聞かせたし語らせたし。我が事人ことひとこと
と、在俗の昔を思いやり、感慨に耽る。

宮川春俤「美人十二カ月 其十二 ゆき見」(『風俗錦絵雑帖』明治三十二年 国会デジタルコレクション)

 ともに、我が身の境遇に近いものを感じとるも、初対面の遠慮もある。一通りの挨拶と饗応のうちに夜が更け、二人は枕を並べて床に就く。だが夜中にふと目を覚ました客の比丘尼は、紙帳に目をとめる。紙帳とは、紙で張り合わせて作られた蚊帳のことだが、冬場は防寒用に吊られていた。その張り合わせの紙に用いられていた反古の一枚が古い書状らしく、その文字が行燈の火にはっきりと浮かんだのである。
 じつはこの書状、若葉という妻に宛てられた夫の遺書であった。戦に出た武士の夫からの別れの言葉であり、遺言として若き妻の出家を禁じ、どこかに再縁を求めよという指示が細やかにしたためられている。そぞろに涙を催した客の比丘尼は「似た身の上もあるもの」との思いを深くする。いっぽう、庵主もその涙の気配で目を覚ます。そして問わず語りに、自らの俗名が「若葉」であったこと、客の推察通り、夫を喪って出家したことなど、過去を打ち明けていく。

合戦場で敵方の武将に対峙する守真。前掲『二人比丘尼色懺悔』挿画

 年も近く、自分と似た境遇らしき庵主に親近感を覚えた客は、この優美な庵主を姉のように思い始める。庵主もまたこの可憐な来訪者を妹のように感じたことから、二人は姉妹の契りを結び、この後この庵で生活を共にすることを約束する。そのため、今や姉妹として何もかもつまびらかにしようと、互いの来歴と、発心の経緯をつぶさに語っていくのである。
 この作品は、紅葉がまだ帝国大学の学生であった明治二十二年、吉岡書店から出版したものである。折しも紅葉は、学友たちと結成した文芸サークル〈硯友社〉の総帥となり、若手作家として立ち始めた頃だった。その紅葉の名を、一躍高からしめたのがこの『二人比丘尼色懺悔』である。乱世を舞台に、二人の尼僧を主人公とする異色の設定が注目を浴び、時代小説らしい古雅な文体も当時から高く評価される。まさに紅葉の面目躍如たる出来栄えで、時代を超えて読者を魅了し続ける名作である。
 内容は、江戸時代の仮名草子である『二人比丘尼』や、紅葉が傾倒していた井原西鶴の『好色一代女』を彷彿させる江戸戯作調で、これが当時の紅葉らしさの証でもある。この二年後に紅葉は、設定は異なれどテーマの通底する『新色懺悔』を春陽堂書店から発表し、これもかなりの注目を集める。広い意味では後の『不言不語いはずかたらず』などにも通ずるが、過去の恋の話を女性が語るという、〈色懺悔〉のモチーフを、紅葉は早くから自家薬籠中の物としていたのであろう。

前掲『二人比丘尼色懺悔』奥付

『読売新聞』(明治二十二年四月五日)掲載の吉岡書籍店の同作の新刊広告

 『二人比丘尼色懺悔』は、この「発端 奇遇の巻」に続いて「戦場の巻」「怨言うらみの巻」「自害の巻」が展開される。そしてそれぞれの巻で俗世にあった頃「若葉」と呼ばれた庵主と、俗名を「芳野」と言った客の、発心の由来が少しずつひもとかれる。かつて若葉には奉公先で見初めて想いを掛けた若い武士があった。この武士は物堅い人物であったが、若葉は主家の奥方に自分の想いを打ち明け、奥方は可愛がっていた侍女の若葉の想いを汲み取って、自らこの武士と若葉との縁結びをする。だが結婚後まもなく合戦となり、夫は遺言を書き置いて戦場に赴くと帰らぬ人となり、若葉と夫が仕える主君も合戦に敗れ、御家も失われてしまう。
いっぽう芳野には、幼馴染の許嫁いいなずけがいた。それは親を喪って芳野の家に引き取られていた芳野の従兄であった。芳野はこの従兄を慕い、従兄も芳野一家に深い恩義を感じていた。だが合戦が始まると、芳野の父と、この従兄とは敵味方に分かれてしまう。戦場で深手を負った従兄は、図らずも今は敵方となった芳野の父である伯父に助けられ館に戻ったが、そこで自陣の敗戦を知る。あまつさえ、主家に命じられ別の女性と婚姻しており、芳野の手前もいたたまれず、自害する。

手傷を負った小四郎と、小四郎に恨み言を述べつつ介抱する芳野。前掲『二人比丘尼色懺悔』挿画

 じつは若葉の夫・守真もりざねと、芳野の許嫁・小四郎こしらうは、同じ主に仕えていた。そのつながりで、若葉と芳野にも浅からぬ因縁があった。二人の比丘尼が同時にその奇縁に気づいたのは、互いが身の上話を終えた直後である。
こは/\とばかり呆れ果て。互ひに顏。 板戸いたど洩る日影ひかげ白く。紙張に騒ぐ風寒し。ほの/\とあく一夜ひとよ
朝寒の気配があたりに満ちてきた。長物語のうちにすっかり夜が明けたのである。この二人、この後どうなることやら。有縁の比丘尼二人の互いの有縁。何やら謎めいてきたが、これから先の二人の出方は物語最大のミステリ―のまま残される。後味すっきりとはいかないが、ユニークな読後感が後を引く、風雅な一作である。


【今月のワンポイント:新しい時代小説の試み】
 文芸にも近代化の波が押し寄せていた明治中期、坪内逍遥は日本近代最初の小説論『小説神髄』を発表する。この中で逍遥は「小説の主眼は専ら人情にある」とし、従来の典型的な「時代小説」からの脱却を推奨する。
 だが紅葉は『二人比丘尼色懺悔』を「涙を主眼」とし、「時代を説かず場所を定めず」とすることで「日本小説に此類少し」と自信をのぞかせ、敢えてその独自性を強調する。そして実際に『二人比丘尼色懺悔』が人気を博したことでこの試みは成功し、この時代に合った新しい形の「時代小説」を誕生させたのである。


春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年)著者:春陽堂編集部
春陽堂が1879年~1988年に発行した図書の総目録です。
書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。
表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。


この記事を書いた人
堀啓子(ほり・けいこ)
1970年生まれ。東海大学教授。慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現職。国際児童文学館 令和3年度特別研究者。専門は日本近代文学、比較文学。2000年に尾崎紅葉の『金色夜叉』にアメリカの種本があることを発見、その翻訳『女より弱き者』(バーサ・クレー著、南雲堂フェニックス、2002年)も手がけた。主な著書に、『日本近代文学入門』(中公新書、2019年)、『日本ミステリー小説史』(中公新書、2014年)、『和装のヴィクトリア文学』(東海大学出版会、2012年)、共著に『21世紀における語ることの倫理』(ひつじ書房、2011年)などがある。