第12回 『多情多恨』──富士の根雪にも春の心

東海大学教授 堀啓子

 本連載の掉尾を飾るのは、紅葉渾身の一作『多情多恨』です。主人公は、一輪挿しの山茶花さざんかに亡妻を重ね合わせ、寒々しい独り住まいで寂しさをかこちます。その孤独感は、どうあっても拭えぬはずでした。しかし思いもよらぬ人物との交流が、閉ざされた心の扉を少しずつ開いていきます。時の流れと季節の移り変わりにもシンクロする、不思議な心の化学反応。それを、主人公の新生への門出と読み解けば、新しい春にふさわしいエールの一作となりましょう。


鷲見すみ柳之助りうのすけは其妻を亡つてはや二七日ふたなぬかになる。
 こう始まる『多情多恨』の主人公・柳之助は、東京物理学院の教授である。勤勉で実直で、教育者としても一社会人としても申し分ない。だが私生活では、妻のお類を「第二の生命」と頼む、異常なほどの愛妻家であった。なぜそれほどまで妻に執着したかと言えば、彼が一方ならぬ人間嫌いだったからである。
柳之助は多く人を好かぬ、かはりには又多く人に好かれぬたちで、男では朋友の葉山はやま誠哉せいや、女では妻の類子るゐこ、此二人の外には世界に柳之助の好いたものは無い。彼は多くの人を好くかはりに、唯此二人を好いたのであるから、その情の篤いことはおびたゞしいもので、実に見苦しいほど其妻には惚れてゐた。
一もさい、二もさい、三も四も五も類で無くては、柳之助の夜は明けなかつた。彼の同僚は「さいが」先生と仇名を付けたほどで、さいは彼の命であつたものを、彼は今そのさいに死なれたのである。

春陽堂版『多情多恨』挿絵。当代一流の挿絵画家たちが、この作品の場面ごとに挿絵を寄せている。柳之助は妻を喪ってから眠れぬ夜が増え、そのことが原因で、後にある疑惑を招いてしまう。(富岡水洗「瓜田の履」『多情多恨』春陽堂、明治三十年、国会デジタルコレクション)

 明治二十九年の二月から、『読売新聞』紙上に連載された『多情多恨』は、紅葉が新境地を開いたとされる作品である。その異色の構成は、作品冒頭で男が妻を喪うというもので、全編のほぼすべてが、彼の愁嘆場となっている。端的に言えば『多情多恨』は、一人の偏屈な中年男が、病死した愛妻を想い、ただただ悲嘆に暮れる話である。

『多情多恨』表紙、冒頭、奥付(山梨大学附属図書館・近代文学文庫所蔵。画像は近代書誌・近代画像データベースより)

 そう言うと、いかにも単調で冗長なストーリーにしか思えない。だがいざひもといてみると、これが極めて面白い。
 読者は、柳之助の愚痴に延々付き合わされる。だがそのあまりの悲嘆ぶりは、共感を通り越して感興を誘う。彼はどんな慰めにも耳を貸さず利己的なまでに己の悲しみの世界にしがみつく。だが愁嘆が昂じたあまりの奇抜な言動は、我々の意表を突いてくる。「類さん」と同じ家紋の輿入れ行列をストーカーし、いずれこの新婚夫婦が死別することを想像して涙したり、夜中の二時に葉山を訪れるも不在のため、代わりに応対する夫人相手に延々くだを巻き、挙句に夫人に風邪をひかせたり、手伝いに来た義妹を嫌って追い返す算段を葉山に相談したり、果ては「類さん」の縮緬の紋付をこわして蒲団に仕立て直させようとしたりする。その奇行に周囲は仰天し、憤り、狂気を疑い、さんざんに振り回される。

柳之助は、手伝いに来ていた義妹のお島を苦手とし、追い返してしまう。(右田年秀「折角の好意」『多情多恨』春陽堂(前掲))

 哀れではあるが、時に呆れ、ギョッとさせられ、挙句は可笑しみさえ感じさせる。そんな珍妙な、しかしどこか放っておけない主人公を擁するがゆえに、『多情多恨』はその異様な内容にもかかわらず、さらりと読みおおせられる。紅葉が全霊を傾けた言文一致の美文が、柳之助の悲愴な心境一色の世界観にマッチし、この作品を読者をひき込むページターナーに仕立てあげた。
 さて「類さん」を喪った柳之助は、忌引きを口実にぐずぐずと職場からも遠ざかっていた。そして墓参りを除けば日がな一日、家でしおれかえっている。折しも寒く雨がちな季節である。柳之助を心配する周囲の人々は、それぞれに思いやりの手を差し伸べた。身の回りの世話をすべく訪れた「類さん」の母親と妹のお島、年配の女中のおもと、そして大親友の葉山である。とりわけ鷲見家と家族ぐるみの交流があった親友の葉山は、日を措かず訪れては実意を尽して柳之助を慰める。
 葉山は、人ぎらいの柳之助が妻以外に許す、ただ一人の人物である。どうやら作者・紅葉の性格を写したものであろう、諧謔的で面倒見の良い親分肌である。そう考えると、年下の、線の細い、真面目で神経質な秀才・柳之助には愛弟子・泉鏡花の影もちらつく。ともあれ、兄のように何くれとなく面倒をみる葉山は、甚だしく憔悴した柳之助を案じ、しばらく葉山家に滞在するようにと誘う。このきわめて魅力的な申し出に柳之助が二つ返事で応じぬのは「葉山の内眷つれあひが大の嫌で、彼は固より多数おほくの人を虫が好かぬその中でも最も好いてゐる人のさいを最も好かぬ」という厄介な内情からであった。

水野年方「雪見」(『今様美人』明治三十一年、国会デジタルコレクション)

 葉山夫人のお種は、整った容姿の物静かな女性である。実意もあり、柳之助にも親切だが、ただ何となく「虫が好かぬ」のである。それでも葉山宅の、
春日はるさきのやうに煦々ぽかり/\と暖いのに、火鉢は在る、日照ひあたりは好し、頭痛がするので、葉山は西窓の障子をけた。澄徹すみきる空は藍でもこぼれさうに、何処に一点の雲も無い、唯矗然によつぽりと富士の白妙は四辺あたりを払つて、其裾には、此名山の細工屑さいくくずを捨てたやうに、鹿子斑かのこまだらの山が起伏うね/\と続く。何処いづくとも無く長閑のどかに人声がして、此処彼処に鳥がさへづる。折々動く風は日影の熱を冷すほどに軽々と面に当る。
「好い景色だ!」
と柳之助はまたゝきもせず富士の雪に見惚れて、背を伸しながら、
「富士は名山だね。好い景色だ。」

富士も見える葉山家のすばらしい眺望に、柳之助は感動する。(水野年方「好い景色」『多情多恨』(前掲))

という、雪化粧の富士の景観と座敷の居心地の良さには柳之助も心惹かれ、ついには居候を決め込むことになる。そうして細々とお種に世話をされ、お類とは正反対で「蠟石細工らうせきざいくのやうに、硬くて冷たい」と思っていたお種の様々な表情を知るうちに、次第にお種に馴染み、彼女を姉のように、果ては妻のようにさえ思い始める。そうかといって柳之助が「類さん」を忘れたわけではない。等身大の油絵の肖像を描かせ、出勤前に必ず頬ずりする。肖像の怪異的なリアルさと柳之助の奇癖が、二重の意味で葉山家の女中たちをたじろがせても歯牙にもかけない。

「類さん」の大きな肖像画は、葉山家の女中たちを不気味がらせる。(小林清親「竪三尺横二尺」『多情多恨』(前掲))

 その一国ぶりは、もはや〈変人〉の域であろうが、夫婦のありかたに対しての一家言、「俺は細君は朋友ともだちだと思つとるのだ、深切な朋友だと。実際うぢやないか。」には、読者もホロリとさせられる。
 柳之助には子どものような無邪気な側面もあり、それがお種との関係を舅に疑わせ、葉山家での居候生活には突如、終止符が打たれた。そうして居を移した殺風景な上等下宿には、件の「類さん」の油絵と、今では「女子をんなフレンド」と思えるお種の写真のみが飾られている。あれほど頑なだった根雪にも温かい陽がさし始めたのだろう。

夜、眠れずに苦悩する柳之助にお種は酒を勧めて慰める(寺崎広業「寝覚の盃」『多情多恨』(前掲))


【今月のワンポイント:春陽堂と紅葉】
『多情多恨』は、紅葉作品中傑作の誉れ高い作品である。広く知られている『金色夜叉』が、タイトル通り華やかな金色の輝きを放つなら、『多情多恨』にはいぶし銀の渋さがある。春陽堂がこの『多情多恨』を手がけたのは、この作品が『読売新聞』に連載された翌年の、明治三十年のことである。
 文学書肆であった春陽堂が当時、一番の上客としていたのが紅葉であった。紅葉が訪れると、座敷を掃除し、酒肴をしつらえて好物の天婦羅をふるまう。そうして築かれた関係性には紅葉も全幅の信頼を置き、春陽堂にほとんどの作品を預けた。その単行本はそれぞれ美本であったが、際立って豪奢な装丁にされたのが『多情多恨』である。
『多情多恨』は、登場人物の少ない、ややモノクロな印象を与える作品だが、場面ごとに当代一流の挿絵画家たち二十六名に描かせた挿画をはさみ、花を添えたのである。『美術世界』(明治二十三年創刊)という人気雑誌も刊行し、挿絵画家たちと太いパイプを有していた春陽堂ならではの意匠であろう。物語も装丁もみごとなこの美本は、「今京中の画伯が筆を尽して、この清素簡潔の一作品をかざりしは豈に一書肆の好意のみならむや」(『読売新聞』明治三十年十月十四日)と評され、版を重ねた。
 紅葉との縁も深かった春陽堂の初代主の篤太郎は美術を好む、ハイカラな人物であった。明治三十二年に篤太郎が逝くと、紅葉は「春陽堂のあるし和田氏を悼みて」「其のひげかあらぬか松の朧なり」という句を初七日に寄せ、そのみごとな美髯びぜんに想いを馳せたという。

和田篤太郎(『春陽堂物語』より)


 十二回にわたって読んできた紅葉の作品は、それぞれの季節の香りを醸し出して輝き、その魅力は今も色褪せることはありません。
 和田篤太郎は、紅葉の才能に早くから目をとめ、紅葉が若いうちから敬意をはらって大切に育て上げました。こうした春陽堂の後ろ盾が絶対の安心感へとつながり、紅葉に豊かな作品を書かせうるゆとりを与えたのでしょう。
 明治を代表する作家と書肆の結びつきが、日本近代文学の一側面を花開かせたと言えましょう。

(終)

春陽堂書店 発行図書総目録(1879年~1988年)著者:春陽堂編集部
春陽堂が1879年~1988年に発行した図書の総目録です。
書名索引付き、747ページ。序文は春陽堂書店5代目社長・和田欣之介。
表紙画は春陽堂から刊行された夏目漱石『四篇』のものをそのまま採用しました。


この記事を書いた人
堀啓子(ほり・けいこ)
1970年生まれ。東海大学教授。慶應義塾大学文学部卒業。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得、博士(文学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現職。国際児童文学館 令和3年度特別研究者。専門は日本近代文学、比較文学。2000年に尾崎紅葉の『金色夜叉』にアメリカの種本があることを発見、その翻訳『女より弱き者』(バーサ・クレー著、南雲堂フェニックス、2002年)も手がけた。主な著書に、『日本近代文学入門』(中公新書、2019年)、『日本ミステリー小説史』(中公新書、2014年)、『和装のヴィクトリア文学』(東海大学出版会、2012年)、共著に『21世紀における語ることの倫理』(ひつじ書房、2011年)などがある。