南條 竹則
第23回後編 「美食俱楽部」綺譚 その二
 その一、「焼米シュウマイ
 尋常の御馳走に飽いた「俱楽部」の面々は、何か素敵な発見をして仲間たちをあっと言わせてやろうと、東京中の食い物屋をあさる。
 その挙句、「銀座四丁目の夜店に出て居る今川焼」や「毎夜十二時ごろに烏森の芸者屋町へ売りに来る屋台の焼米シュウマイ」が天下の美味だと吹聴するが、思案にり過ぎたための錯覚だと気づくのだ。
 ここに出て来るようなシュウマイの屋台は、たぶん実際にあったのだろう。シュウマイでなく餃子の屋台の話なら、わたしも聞いたことがある。それはもちろん戦後の話で、渋谷の宮下公園のところに美味い屋台店が出たそうだ。
 谷崎がシュウマイを「焼米」と表記していることも、興味深い。
 シュウマイは漢字なら「焼売」と書くのが普通だ。この字は宋代の話本わほんに出て来るくらいだから、歴史あるスタンダードといって良いが、この食品が北方から中国各地へ伝わるにつれ、発音が同じか、あるいは似ている字を当てたさまざまな異称が生まれた。曰く、焼麦、稍麦、宵米、肖米、小米──
「焼米」は広東省の潮州で用いる字だから、その地方の出身者が屋台を引いたのかと想像される。
 その二、白菜
 もう一つの事柄は、飲食文化史の観点から見て重要である。
 G伯爵が考案する料理の一つに、「火腿白菜」がある。作者はこれを説明して言う──
 火腿と云ふのは一種のハムである。白菜と云ふのは、キャベツに似て白い太い茎を持つた支那の野菜である。(『谷崎潤一郎全集』第七巻 中央公論新社 186頁)
 前にも述べた通り、「美食俱楽部」は大正八年の一月と二月、大阪朝日新聞に連載された。その当時の一般読者が白菜を知らなかったことを上の文章は示している。
 わたしたちが今日当たり前に食べているこの野菜を、日本古来のものと思っている人が多いのではなかろうか。ある作家が江戸時代の物語に白菜を出して失笑を買った話があるが、明治大正のことも中々ウカツには書けない。
 その三、南京町
 もう一つ気になったのは、作中の次の一節である。
 もしも此の家が神田や横浜の南京町にあるやうな支那料理屋ならば、店先に毒々しい豚の肉だの鶏の丸焼だの海月くらげ蹄筋ていきん干物ひものなどが吊るしてあつて、入口のドーアなどは始めから明け放してあるに相違ない。(同162頁)
 横浜の南京町はみなさん御存知の中華街だ。では、神田の南京町は?
 じつは神保町の「すずらん通り」がそう呼ばれていた。
 日清戦争のあと、中国から大勢の留学生が日本へ来たことは御存知の通りである。文学者で言えば魯迅、周作人、かく沫若まつじゃくかおる逹夫たつぷ──
 こうした留学生の多くが神田界隈に住んだ。神田には明治大学、中央大学、日本大学があり、本郷の東京帝国大学も遠くない。またこのあたりには東亜高等予備学校(猿楽町)、清国留学生会館(駿河台)、中華留日基督教青年会館(北神保町)といった場所もあって、大正初年頃には、多い時で数千人の中国人留学生がいたという。だから、「美食俱楽部」の浙江会館から帝大生が出て来るというのも、それなりの現実性があったわけだ。
 一九一八年に来日した周恩来の日記には、「維新号」「漢陽楼」などと並んで「中華第一楼」という料理屋の名前が見える。この店はすずらん通りの東京堂書店の近所にあったというが、同名の料理店が「美食俱楽部」にも出て来て、こちらは場所が違っている。
 東京の人は多分承知の事と思ふが、あの今川小路を駿河台の方から二三町行くと、右側に中華第一楼と云ふ支那料理屋がある。(同159頁)
「今川小路」は現在の東京でいうと、靖国神社から九段坂を下り、最初の交差点を左に曲がったあたりにあった。当時はこの通りにちなんで今川町という町があり、現在神保町三丁目になっている。
 G伯爵の邸は駿河台にあるという設定だ。彼はそこからこの通りへ歩いて行って、さらに九段へ向かう途中に、紹興酒の匂いをさせた「支那人」たちと擦れ違う。そこは神田の南京町から目と鼻の先──畢竟ひっきょうするに、この小説は神田界隈中華地帯の冒険譚と言って良い。
 そういえば、わたしが大学に入った頃、「華夏第一楼」という店が本郷赤門前の横丁にあったことを思い出す。
 二階建ての小さな店で、わたしが行った頃はほぼ営業をやめていたが、赤と緑のエキゾチックな構えは残っていた。わたしはまぐれでいっぺんだけここで不思議な夕食をしたため、その経緯を短篇小説に書いたことがある。
「華夏」はもちろん中国を意味する。思えば、あれは「中華第一楼」の向こうを張ってつけた店名だったのだろう。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)