《恋する日々の記録》 時には昔の話を
 1986年「百万本のバラ」をある曲のB面にシングルリリースした翌年、『My Story』というアルバムの制作に入りました。
 結局、いろんなアーティストからの提供曲やCMソングがたまって出来上がったようなアルバムで、正直、まとまりに欠けるアルバムだな、とイラつく気持ちで、レコーディング最後の日を迎えた朝、忽然こつぜんと浮かんだのが、この「時には昔の話を」でした。
 起き抜けに歌のイメージが逃げないうちにと、ピアノのある部屋に行き、ギターで弾きながら、歌詞を書き留め、曲を仕上げました。歌詞が先行して出てくる時は、メロディも一緒に出てくるので、いいのかどうか判断できないまま、とりあえず歌が仕上がってしまうのです。
 多分1時間もかからずに、3番までができ、「今日のスタジオでレコーディングしたい」とディレクターに連絡。そのアルバムのサウンドプロデューサーが私の家に来てくれました。
 でも彼は、「この歌、僕はできない」と言ったのです。
 あまりにも急な提案だったことに、感覚的についていけない、と感じたのでしょう。
 結局、スタジオでのバンドレコーディングができなくなり、打ち込みサウンドで、アレンジを発注。後日送られてきた伴奏に合わせて、歌だけをレコーディングしたのでした。
 この「時には昔の話を」が宮崎駿監督の『紅の豚』のエンディングテーマに決まる5年前のことです。

1992年9月21日発売『さくらんぼの実る頃』

 1991年、『紅の豚』にジーナとしての出演のオファーがあり、「さくらんぼの実る頃」をホテル・アドレアーノでジーナが歌うシーンを撮影することになりました。
 それが作画前のモデルになるVTRでした。
 宮崎さんと初めてお会いしたその日、まずはフランス語で歌う「さくらんぼの実る頃」の音声を録音しました。
 目の前で、少年のように嬉しそうな顔で見ててくださる宮崎さんの前で、事務所のスタッフのピアノ伴奏で歌ったのです。
 そしてその歌に合わせて映像を撮る時、宮崎さんからこう言われました。
「『フェートゥ』と発音する時、男が貪りつきたくなるようなふっくらとした唇で歌ってください。そして客席の男に手を差し伸べる時、じっと目を見つめ、男が指先に触れた瞬間に目を逸らせて…」
 私はその指示の詳しさに驚き、笑いながらこう言ったのです。
「宮崎さん、それほどジーナが見えていらっしゃるのなら、私が歌ってみなくてもいいんじゃないですか?」って。
「いやいや、ジーナは登紀子さんがモデルなんですから、歌っていただかないと」と宮崎さん。
 私が手を差し伸べる相手は、日本テレビの担当者だったり、スタッフがエキストラで急遽「空賊たち」になっての収録でした。
 何とも楽しい録画作業。
 驚いたのは、その時の簡単なテープレコーダーで録音した歌が、そのまま本編の歌として使われたことです。
 テストだとばかり思っていたので驚いていると、「これ以上の歌はありません」と宮崎さん。そう言われたら、もう何も答えようがありません。宮崎マジックにはめられた感じ。
 その日、驚いたことに宮崎さんが、私の「時には昔の話を」の話をされたのです。
「あの歌の歌詞が好きでねえ。『あの日のすべてが虚しいものだと それは誰にも言えない』という3番の歌詞は、本当に僕ら、同世代のものにはありがたい言葉です」
 私は、なんか赤面するような気持ちで、「でもアレンジが気に入ってなくて」と言ったら、宮崎さんが「そうでしょう⁈ 僕もそれは感じてました」とそれはそれは嬉しそうにおっしゃって、なんか意気投合するような結果となり、最終的に、伴奏を全く新しく、菅野よう子さんのアレンジでレコーディングし直したものが、『紅の豚』のエンディングテーマになりました。

『紅の豚』ジーナ(セル画)

 二つの世界大戦の間の時代、戦争ではたくさんの友達を亡くし、戦争が終わったら終わったで、行き場を失った飛行機乗りたち。ジーナはそんな彼らの心のオアシスのような存在でした。
 飛行機乗りに憧れた主人公ポルコ・ロッソや仲間たち。そのひとりとジーナは結婚。彼は戦争で死んでしまい、後の二人もどこかの空のかなたへ、逝ってしまったのです。
どこにいるのか 今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが虚しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで
 時代は違っても、大きな力と闘って敗北した気持ちの強かった1960年から70年。
 男と女の求め合う気持ちには『紅の豚』の時代と似たものがあったような気がします。今を生き抜くために、必死にタグをくんでいるような…。どこかで生きているだろう人を、言い知れず愛し続けているような…。それがジーナ、そして私なのだと。
 この歌を歌うたびに、遠い時代の群像が浮かびます。
(写真は筆者提供)

時には昔の話を
 作詞・作曲:加藤登紀子 編曲:菅野よう子 ピアノ・アレンジ:大口純一郎
時には昔の話をしようか
通いなれた なじみのあの店
マロニエの並木が窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみにさがして
誰もが希望を託した
ゆれていた時代の熱い風に吹かれて
体中で瞬間ときを感じた そうだね
道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても なんとか生きてた
貧しさが明日を運んだ
小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息がきれるまで走った そうだね
一枚残った写真をごらんよ
ひげづらの男は君だね
どこにいるのか今ではわからない
友達もいく人かいるけど
あの日のすべてが虚しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように見果てぬ夢を描いて
走りつづけているよね どこかで
 2021年9月1日発売 3枚組CD『花物語』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 

この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。