第26回 田山花袋『残雪』変遷する外来語の表記

清泉女子大学教授 今野真二
 田山花袋(1872~1930)の『残雪』は大正7(1918)年4月25日に刊行されている。【図1】は外函。【図2】奥付の「著作者」には「田山緑彌」とあり、「ロクヤ」が田山花袋の本名であった。「録彌」と書く場合もあったようであるが、ここでは「緑彌」となっている。印刷所は秀英舎。

【図1】

【図2】

 この本のどこにも装幀担当者の名が記されていないが、浮世絵師でもあった日本画家の名取なとり春仙しゅんせん(1886~1960)が担当したことがわかっている。名取春仙は、石川啄木『一握の砂』(東雲堂、1910年)や夏目漱石『明暗』の朝日新聞連載時(1916年)の挿画を担当している。
 田山花袋といえば、自然主義、『蒲団』で知られているが、『蒲団』は春陽堂『新小説』の明治40(1907)年9月号に掲載されているので、『残雪』の刊行までは『蒲団』発表後11年経っていることになる。
 挿画付きの【図3】は『残雪』の126、127ページ。いわゆる「歴史的かなづかい+旧漢字」で印刷されている。促音には小書きにしない「つ」があてられ、すべての漢字にルビがふられ、会話文は二重鉤括弧に入っている。

【図3】

 さて、ここには2回「アスハルト」とある。現在であれば、「アスファルト」と書くことが一般的だろう。英語「asphalt」の発音が当時も今も同じだったとして、その同じ発音を聞いて片仮名で文字化した時に、「アスハルト」「アスファルト」と文字化のしかたが異なったと考えれば、これは「文字化のしかたの違い」ということになる。
「violin」という英語を聞いて「バイオリン」と文字化するか「ヴァイオリン」と文字化するかということと同じだ。ただし、どちらの文字化がもともとの英語の発音に近いのか、ということはある。しかしまたこれは、「バイオリン」「ヴァイオリン」を誰が発音するか、ということにもかかわってくる。英語母語話者、英語の発音を知っている人、英語の発音を知らない人、いろいろ想定すると話が複雑になってきて、結局は「なんともいえない」話になってしまうかもしれない。
 文字化は、ある発音をする語があって、それをどのように文字化するか、ということなので、つねに発音とのかねあいがあるが、上記のように、話が循環しやすいので、ここでは「アスハルト」という文字化に話題を絞ることにしたい。また『日本国語大辞典』第2版のお世話になるが、同辞典には次のように記されている。

 アスファルト〔名〕({英}asphalt )《アスハルト・アスパルト》黒色の固体または半固体の瀝青物質。炭化水素を主成分として複雑な構造をもつ。天然のものと、石油精製時の蒸留残留物として得られる石油アスファルトとがある。粘着力、防水性、電気絶縁性にすぐれ、道路舗装、建築材料、電気絶縁などに用いられる。土瀝青。*写真鏡図説〔1867~68〕〈柳河春三訳〉二「アスハルト一名アールドペッキ又ビチュム・ド・シェデー 猶太国産の土脂といふ義 と云ふ」*東京日日新聞‐明治二一年〔1888〕二月二一日「日本橋南畔へ耐寒のアスハルト道路を試験の為め布設せしが」*社会百面相〔1902〕〈内田魯庵〉矮人巨人・一「幅一間の一等道路はアスパルトで敷詰め」*或阿呆の一生〔1927〕〈芥川龍之介〉八「雨に濡れたまま、アスファルトの上を踏んで行った」
 さすが、『日本国語大辞典』、見出しは「アスファルト」であるが、「アスハルト」そして「アスパルト」という形もあったことをちゃんと示している。しかも「アスパルト」の使用例も示してあり、「いたれりつくせり」だ。『日本国語大辞典』があげている使用例からすれば、幕末にすでに「アスハルト」という形があり、(「アスパルト」も含め)明治、大正期までそれが続き、昭和になると「アスファルト」も使われるようになった、という「流れ」が推測できる。ほんとうはもっと細かく使用例を追う必要があるが、おおむねそのように思われる。そうすると、大正7(1918)年に『残雪』において使われた「アスハルト」もその予想される「流れ」にぴったりと合う。
「アスファルト」でも「アスハルト」でも文意は変わらないという考え方はもちろん成り立つ。しかし、文字化のしかたに発音がひっぱられる、ということもある。だから、「アスハルト」も記録しておきたい。
 そう思うと本書127ページの「クラツカア」も少し気になり始める。そう思って読むと「サンドウイツチマン」「ポツケツト」(128ページ)、「アルコホル」(130ページ)、「カアフエ」(144ページ)、「クロオスの本」(145ページ)、「シイン」(301ページ)もある。またその一方で、「外套コート」(128ページ)、「喜劇コメデイ」(139ページ)、「太陽サン」「聖教徒ピユリタン」(149ページ)もあり、「Vital Force」のように英語をそのまま使う例もあった。言語、表記が「揺れていた」とみることもできるであろうし、「幅があった」とみることもできそうで、明治末から大正期、昭和初期の日本語の観察はおもしろくて「なんともいえない」のだ。その観察が春陽堂から出た歴代の本でできるということもこれまたおもしろい。
◆参考:『春陽堂レトロスペクティブ』第14回 里見弴『山手暮色』外来語の文字化
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
[短いことばで、「伝えたいこと」は表現できる]
曖昧な「ふわふわ言葉」では、相手に正確な情報を伝えることはできない。「ことがら」・「感情」という「情報」を伝えるために、言葉を整え、思考を整える術を学ぶ。

この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。