《今を生きるために》 命結-ぬちゆい
 この「命結-ぬちゆい」という歌を着想したのは、東日本大震災の前日、3月10日でした。
 翌日のアルバムミーティングを前に、アルバムの方向を決める歌が必要だ、とこの歌に辿り着いたのです。
 この年の正月からの新聞連載でしきりに繰り返された「孤族の国」という言葉が胸に刺さっていました。
 ひとりで生きて、ひとりで死んでいく。身寄りのない孤独死が普通になっていく時代。
 核家族の生活が、2世代に及ぶことになり、非婚の選択をする人が多くなって、共に生きるコミュニティの崩壊はもう止められない。
 ふと思ったのは沖縄の方言で「命」を「ぬち」と呼ぶこと。
 昔の日本でも大事にされ、沖縄では「ゆいまーる」と呼ばれて「みんなで一緒に働く」意味で使われる「ゆい」という言葉を、「命-ぬち」と合わせると、「命結-ぬちゆい」になる。
 この優しくて、柔らかな響きを歌にできたら、と考えたのです。歌の大サビの部分の歌詞とメロディの一部ができました。
ひとりでもひとりじゃない
ぬちゆいに結ばれて
 沖縄旋律も活かしたAの部分のメロディもでき、歌詞を埋めていけば、いけそう、と思って翌日のミーティングを迎えたのでした。
 ギターで大体の歌を聴いてもらったところで、地震がきて、それどころではなくなり、数日後に、レコード会社からこの事態の中で、今回のアルバムは中止という連絡がありました。
 そのままになってしまったこの歌が、突如心の中に甦ったのは、5月25日、全村避難前の最後のコンサートをすることになって、福島県飯舘村に行った時でした。
 私と飯舘村の縁はこの年の20年前、この村が大きな躍進を目指してスタートした時、「星空コンサート」と名付けられた大きな野外コンサートを、大きな牧場で行ったのでした。
 大雨になってしまったその野外コンサート、人々は雨の中でも濡れることもいとわず盛り上がり、私もびしょ濡れになって歌った思い出深いコンサートでした。
 これまで貧しい村だったのに、生産者が加工、流通、販売も行う6次産業化の充実で、一番嫁に行きたい村に変わり、東京からの移住者も増えてきた、そんな中での東日本大震災、そして福島第1原発のメルトダウンでした。
 ここは原発20キロ圏外であり、津波の被害もなかったことから、当初には放射能汚染地域からの避難地に指定されたくらいでしたが、その後、風に運ばれた福島第1原発からの放射性物質が大量に降ったことがわかり、強制移住地に指定されることになったのです。
 美しく晴れ上がったその日、福島駅から車で向かい、飯舘村に入った時、山には美しいフジの花が咲き、それぞれの農家の前には一斉に咲いた草花が陽を浴びていて、夢のような春を謳歌していました。それでも山に向かって広がる緑いっぱいの草原に一頭の牛もなく、水を張る用意の済んだ田んぼに水は張られておらず、どこにも人の姿はありませんでした。
 何ひとつ失われていないのに、人が住めない村になっていることを、人々はどんな気持ちで受け入れているのか、そのやりきれなさに、どんな歌をうたえばいいのか、どんな言葉を届ければいいのか、私は途方に暮れました。
 肉親を失い、家を失くし、街を奪われた人に向けて届けようとした「今どこにいますか」を歌っても何か違う。
 もう使われることのなくなった飯舘中学校の体育館にステージを作り、椅子を並べているのは、20年前「星空コンサート」を主催してくれた人たちでした。
 淡々と準備をする人たちの前でリハーサルをしながら、私はふっと、「命結-ぬちゆい」を思い出しました。
 こんなにもひとつに心を合わせてきた村人が、今突然離れ離れになってしまおうとしている。この村の心が、この人々を守り続けてくれるように祈りたい! そう思った時、歌詞が浮かんできました。
はなれても 忘れない  美しい このふるさと
山に咲く しどけの花  春を呼ぶ つくし河原
「しどけ」は白い花を咲かせる東北の山菜。この間東北を歩いていて初めて知ったのでした。そしてこの飯舘の方言『までい』を『ぬちゆい』と繫げてサビの歌詞にしました。
ひとりでもひとりじゃない 命結にむすばれて
どこまでもいつまでも までいのいのち咲かそ
 歌ってみていると、ふっと足を止めて聴きいってくれた人がいて、「どう?」って聞いてみると、その人が、「『までい』じゃないんだよ。『までえ』だ」という。
 それは素晴らしい忠告でした。その一言で、歌が飯舘の心になった、と思いました。
 小さな灯りだけで開いたその日のコンサート、私は生涯忘れないと思います。どんな歌も深く深く吸い込まれていくような、人々の潤んだ心がこちらに伝わってくるような、密度のある時間でした。
 彼らの力になれることは何もないけど、その短い時間をしっかり共にできたことだけを大切に覚えておきたいと思います。
 この歌ができたことで、私はアルバムを作ると決めました。
 東日本大震災を共に生き抜いた思いを込めて、タイトルは『命結-ぬちゆい』。ほかには、もちろん「今どこにいますか」「アメイジング・グレイス」、河島英五さんの「生きてりゃいいさ」など。そしてこのアルバムのためのモンゴル800の上江洌うえず清作きよさくさんが作詞作曲して贈ってくれた「タユタウタ」と、玉置浩二さんが作ってくれた「悲しみにバイバイ」、ゴスペラーズとのコラボレーションで「ふるさと」もレコーディングしました。

2011年9月28日発売 CD『命結-ぬちゆい』ジャケット

 福島の人たちは、11年後の今、また違った試練に突き当たっていることと思います。
 震災前には6500人の村民がひとつの気持ちに結ばれていた飯舘村の人たちもまた、それぞれの思惑の中で生きなければならない状況に追い込まれていることでしょう。そんな苦しみの片隅に、「命結-ぬちゆい」の心が生きていることを祈っています。

2011年5月25日 飯舘村にてコンサート

(写真は筆者提供)

命結-ぬちゆい
 作詞・作曲:加藤登紀子
はなれても 忘れない 
美しい このふるさと
山に咲く しどけの花
春を呼ぶ つくし河原
どんなときも しずかな空の光に
あしたへと つづく
時を 信じていた
ひとりでもひとりじゃない
命結にむすばれて
どこまでもいつまでも
までえのいのち咲かそ
吹きすさむ 嵐の日は
あたたかな火を おこして
遠い日の 物語を 
夢見て 歌い語れ
どんな時も 小さな肌のぬくもり
ほほをよせ 抱きしめ
あしたへ 巣立ってゆけ
ひとりでもひとりじゃない
命結にむすばれて
どこまでもいつまでも
までえのいのち咲かそ
ひとりでもひとりじゃない
命結にむすばれて
どこまでもいつまでも
までえのいのち咲かそ
までえのいのち咲かそ
※ しどけの花言葉→幸福の日々
 2011年9月28日発売 アルバム『命結-ぬちゆい』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 


この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。