《今を生きるために》 この手に抱きしめたい
 東日本大震災から9年、2020年の春は、新型コロナウイルス感染のパンデミックで、緊急事態宣言に突入することになりました。
 4月7日、7都道府県に発令された宣言により、人が密になるコンサートの中止、会社への出勤を極力減らす在宅でのテレワークや、買い物をしなくてもよい宅配サービスなど、ライフスタイルが一変する事態となりました。
 私の決断は、まず事務所のスタッフに、「米櫃に米がなくなるまで、事務所は維持するから心配しないで」と言い、2カ月間の事務所休業を決め、その代わり、これまで忙しくてできなかったYouTubeの発信など、できる限り挑戦してみることでした。
「Tokikoの巣ごもり日記」の動画を収録し発信したり、何とか時計を止めずにいようと必死でした。
 娘たちとも話し合って、鴨川には行かず、東京でロックダウンを生き抜く決意を固めたのでしたが、4月13日、日帰りで鴨川を訪れ、いつもは代々木公園で開催される「アースデイ東京」がオンライン開催となった、その打ち合わせをしていた時でした。
 医師の鎌田實さんから、病院で重症患者を診ている医師や看護師さんの苦闘などの話を聞きながら、「こんなに大変な時に、私は何にもできない」と言った私に、鎌田さんがこう言ったのです。
「おときさん、あなたはどんな時も歌手でしょう。ぜひ今の歌を作ってうたってください」
 その時、そう、その通りだ、と思った途端に、胸の底から溢れ出すように歌詞が出てきました。感染した人を防護服を着て見守る看護師の気持ちを思いうかべながら…。
この手にあなたを 抱きしめたい
ひとりぼっちで 苦しんでいるあなたを
あなたの涙を この指で拭きたい
触れてはいけない 頰を抱いて
 その日、車で東京に戻る道すがら、この歌を仕上げ、翌日ギターで歌ってYouTubeで発信したのでした。
 東日本大震災の直後、「今どこにいますか」を発信した時と、状況は似ていました。
 でも、大きく違ったのは、この歌を受け止めた友人のミュージシャンたちが、すぐにリモートセッションで、応えてくれたことでした。遠く離れた国の人も次々とこの歌をカバーして発信してくれて、歌手生活55年のうちに辿ってきたたくさんの国の人とも思いがけない再会を果たすことになったのです。
 ロシア、フランス、南アフリカ、アメリカ、そしてブータン、カンボジアなど、みんなそれぞれの場所から、日本語でこの歌をうたった動画を送ってくれました。
 翌年には、この歌を英語に翻訳してカバーしてくれるアメリカ人も現れて、見えない糸で繫がっていくようでした。
 本当に面白い時代! 感動の体験でした。
 けれど2020年6月28日に予定されていた渋谷のBunkamuraオーチャードホールでのコンサートは開催が危ぶまれたまま。かと言って、キャンセルしてもホール代などの経費はかかってしまうし、スタッフもミュージシャンも、生活に窮しているに違いない、と思案し、最悪の場合は無観客でコンサートを実行し、映像で配信する、という初めての挑戦を準備し始めたのでした。
 そんな中、忘れもしない5月25日の夜、緊急事態宣言が解除され、客席を50%にして1000人までのコンサートの開催が許されるというニュースが飛び込んできたのです。それはオーチャードホールでのコンサートが開催できる、ぴったりの条件!
 今もあの瞬間を覚えています。本当に声をあげたいくらい、嬉しくて、私は直ちに開催を決断、翌日、事務所スタッフ全員に出社してもらって、1カ月後の開催に向けて、まず葉書を印刷してコンサート開催の決定を発信することからスタートしたのです。
 客席を一席おきの格子模様にしてチケットを発売。すでにチケットを購入している人にはナンバーを変えて送り直すなど、手間のかかる作業を必死で進めたのでした。
 ずっと閉鎖していたホールのスタッフとも綿密な打ち合わせをして、体温測定器の手配、アルコール消毒液の配置など、考えられる限りの感染防止対策を講じたのです。
 6月28日、コンサートの幕が開き、整然と一席おきの客席を埋め尽くした観衆を前にした時の感動を、今も思い出します。
 この緊急事態を必死の思いで生き抜いている人々の気迫のようなものが、まっすぐ伝わってきました。
 一曲一曲が、嬉しくて、大切で、懐かしいような愛しさでいっぱいでした。
 このコンサートで、鍵になったのは、もちろん「この手に抱きしめたい」でした。
 歌は、例えば川の向こう側に辿り着くための、飛び石のようなものかもしれません。そこにその飛び石があるから、一歩を踏み出すことができる!
 このコンサートを決断できたのは、「この手に抱きしめたい」があったから。この歌で繫がることができた、たくさんの人たちの顔が見えていたことが大きかったです。
このコンサートをやり遂げたことで、2020年、2021年という2年にも及ぶコロナ禍を越えていけた、今もそう思っています。

2020年6月28日 オーチャードホール

(写真は筆者提供)

この手に抱きしめたい
 作詞・作曲:加藤登紀子
この手にあなたを 抱きしめたい
ひとりぼっちで 苦しんでいるあなたを
あなたの涙を この指で拭きたい
触れてはいけない 頬を抱いて
もどかしいくらい 足りないことや
無力な自分に 泣けてくるけど
生きるために 生き抜くために
私ここに あなたのそばにいます
愛するあなたを守れなくて
遠くで祈る人の声が聞こえますか
あなたに明日を 運んでくるのは
明日を信じる ここにある希望
さよならも言えず 見送るなんて
神様お願い 力をください
窓を開けて 空を見上げて
愛する人を その手に抱く時まで
生きるために 生き抜くために
私ここに あなたのそばにいます
生きるために 生き抜くために
私ここに あなたのそばにいます
 2021年9月1日発売 3枚組CD「花物語」収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 


この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。