【第75回】


野方へ
 2月某日、西部古書会館の即売会経由で高円寺駅前からバスにて雨中の西武新宿線「野方のがた」駅周辺を散歩する。気ままな「散歩」なので頼りになる友人の散歩堂さん(「一箱古本市」に出店する際の屋号)につきあってもらう。いつも申し訳ない。
 野方をどう説明すればいいか。東京都中野区北側に位置する町で、これといった名所はない(と思う)。西武新宿線に「野方」駅がある。高田馬場駅から数えて5つ目だ。駅のすぐ東を環七が縦断していて、高円寺発のバスはここを北上していく。じつは私も野方についてはあんまり詳しくない。ただ、野方駅北側の住宅街に私小説作家のこう治人はるとが住んでいた。耕について書く用意があって、住居はもう取り壊されたが、どういうところに住んでいたか確かめたかったのである。
 高円寺駅からは野方駅前(南側にバスロータリーあり)行きと、環七沿いの野方駅入口停留所を通過する2種がある。先に来た便に乗ったが、これは失敗だった。「入口」という言葉から至近を連想するが、実際は駅からかなり離れていた。環七から西側へわき道を入り、妙正寺川に架かる「でんでん橋」を渡ったところでさまよってしまった。しかし、駅への方角は間違っていないはずだ。
 雨の散歩で困るのは、ひたひたと雨が叩く傘の下、地図を広げるのにもひと苦労すること。意外に住所表示が少なく、表札に住所を書いている人がこれまたほとんどない。「たぶんこっち」と、少し大回りしたが第一目標の商店街にどうにかたどりついた。
 ここに「野方文化マーケット」という戦後の匂いを残す小さなアーケードの商店街がある。「コ」の字になっていて、入口からぐるりと回ると出口は同じ通りのすぐ近くだ。店舗はほとんどがシャッターを閉めてしまっていた。戦後の混乱期の闇市から派生したものか。「文化」というネーミングに心惹かれる。「文化住宅」「文化鍋」という言葉が流通した時代が最盛期と思われる。入口にデンと現役で店を構えるのは時計と雑貨の「オンリーワン」。踏みつけたまんじゅうからあんこがはみ出したように、店先に過剰な商品が増殖する。椅子を出して通路に座る店主らしき老人に、思わずペコリと頭を下げてしまう。まさしく「オンリーワン」な店だ。
 この日、昼間に確認できて現在も営業中なのは「吊り橋ピュン」という古着屋と、おでん割烹の「日南乃」。薄暗く日が差した残骸ぶりがシュールでしびれる。いいものを見たぞ、と快い興奮を胸に再び雨の野方へ。事前に眼をつけていた純喫茶「無垢」へ行く。ここが特A級の素晴らしい店であった。ウッディな内装と清潔と気品のある落ち着く空間で、路地裏の目立たない店なのにたくさん客がいた。一人客用のカウンターで読書している人あり。
 コーヒーを運んできた女性店員に、つい「いい店ですねえ」を繰り返す。いや、ほんといい店だわ。喫煙可で、半月ぶりぐらいにたばこ3本を吸う。野方はまだ散策の余地あり。ちょっと住みたくなる町だった。また野方に来て「無垢」へ入ろう。耕治人の文学散歩は他で書くためここではパスです。


たばこの煙が眼に沁みる映画『スモーク』
 ハーヴェイ・カイテルとウィリアム・ハートなら好きな俳優だ、と前知識なく見始めてすっかり感心したのが映画『スモーク』だった。監督はウェイン・ワン。脚本がポール・オースターと知って、ああそうだったかと霧が晴れたような気持ちになった。いや、それなら本を持ってますよと、黒い背の新潮文庫のオースターを固めた棚を見たら『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』があった。同じくハーヴェイ・カイテルを主演に、ポール・オースターが脚本を手掛け、作られた映画が『ブルー・イン・ザ・フェイス』で、両方の脚本と映画にまつわる文章を収めたオリジナル文庫だ。
 さて映画の話だが、ストーリーらしきものは希薄で、ただ様々なエピソードが積み重なってできたような作品である。1990年ニューヨーク州ブルックリンのシガーショップが登場する。店長がオーギー(H・カイテル)で、マイノリティのたまり場のようになっている。ここに決まった葉巻を買いに来るのが作家のポール(W・ハート)。すぐ近くのアパートに住む。それなりに名を知られた作家だが、妻を亡くして以来、新作が書けないでいる。
 店を出て車にはねられそうになったのを助けたのが黒人の少年ラシード。行き場所のない少年をポールは自分のアパートに住まわせるが、彼の言うことはほとんどでたらめであることが分かる。この絵を描くのがうまい謎の少年が、以後妖精のように場所や人物の周りを飛び回り、ハート・ウォーミングな結末へと運んでいく。
 オーギーの店は交差点の角にあり、彼は毎日、その角に三脚を立てて同じショットで写真を撮り続け、それをアルバムに収めている。そこにポールの亡き妻が偶然映っているのをポール自身が発見する一幕あり。ラシードは蒸発した父親を探しているし、オーギーの目の前に昔別れた恋人が現れ、あんたに娘がいると告白するなど、喪失が隠しテーマとなっているようだ。おまけにオーギーの恋人ルビーは片目を失い眼帯をしているし、ラシードが寄宿することになる修理工場の主(フォレスト・ウィテカー)は義手だ。最後にオーギーが語るクリスマス・ストーリーに登場する老婆は盲目と、何かしら欠落を持った人物が登場するのは、いかにもポール・オースターらしい。
 そして、タイトル通りにオーギーもポールも「スモーク」まみれの日常で、とにかく葉巻(たばこ)をよく吸う映画なのだ。喫煙率が減少し、嫌煙権が力を持ってから禁煙の店や路上喫煙禁止のエリアが増え、たばこを吸う風景が街から消えた。それだけにやたらと「スモーク」が焚かれるこの映画が痛快とさえ思えてくる。1990年のニューヨークの喫煙事情はどうだったろうか。
 うまく映画の説明になっていないかもしれないが、もともと語りたかったことはそんなに多くない。それでもこれだけは、という話を最後にしておこう。映画が始まってすぐ、オーギーの店に現れたポールが「煙の重さを測る」方法について披歴する。常連客のトミーは「できっこないよ、そんなの。空気の重さを測るみたいなもんだぜ」と否定。ポールは、イギリスの宮廷で喫煙の習慣をもたらしたサー・ウォルターの話を始める。
「まず第一に、まだ喫っていない葉巻を天秤に載せて、重さを測る。それからその葉巻に火をつけて、灰を慎重に天秤皿に落としながら吸う。喫い終わると、灰を落とした皿に喫いさしを置いて、合わせた重さを測る。で、その重さを、最初に測った葉巻の重さから引く。その答えが、煙の重さだってわけさ」
 ちょっと「煙に巻かれた」ような話である。私はこの時、どこかで読むか聞くかしたことがある気がした。すぐに思い出したが、古谷三敏の漫画『BARレモン・ハート』の第23巻所収の「煙の重さ」で、常連客のメガネさんがこの話をしたのだった。とにかく『スモーク』を見てください。『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』は品切れで入手困難。アマゾンでは1000円近く値がついています。そもそも、ポール・オースターの文庫自体を、古本屋ではあんまり見かけなくなった。


紙巻きたばこが席で吸える喫茶店
 私は半喫煙者ともいうべきスタンスでたばこを吸っている。つまり、家の中では吸わない。外でも(喫煙所の類)吸わない。喫茶店や飲食店などで、喫煙可の場合に同伴者がいる時は了解を求めて火をつける。
 しかし、ご承知の通り、喫煙できる店は減っている。東京は特にそうだ。「ドトール」が喫煙ブースを作って、店の奥の密閉空間で喫煙を認めていたがそれもなくなり、あっても加熱式に限られる。ほかのチェーンカフェも同様である。それでも、許可を得て「喫煙可」をドアに張り出した店がかろうじて残存し、ありがたくそこでは吸わせてもらっている。
 どこかにたばこが吸える喫茶店はないか。チェックするため「喫煙可」「喫茶店」で検索すると表示されるが、「加熱式」や「喫煙ブース」限定といった情報もそこに交じる。一番いいのが「CLUB JT」の「全国の喫煙所・喫煙可能なカフェを探す」というサイトだ。これは大変便利。都道府県別、さらに駅などを打ち込むと、「喫煙所・喫煙可能」な場所や店が出てくる。ここに「紙巻き」「席で吸える」の2条件を加えると、私が望む環境の店がひと目でわかる。
 私が日頃、よくうろつく駅前をこれで検索し、独自に「紙巻きたばこが席で吸える」喫茶店(カフェ)の一覧を作った。中央線で言えば、国立「珈琲屋大澤」、国分寺「カフェ・ジョルジュサンク」「リオ」、武蔵小金井「フロンティア」などがこれに該当する。よく訪れる町の一つ「西荻窪」には意外にも「西荻窪珈琲店」「ビーイン」「まつばや」と3軒ある。
 以上、ご参考までに。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。