第27回 『モダンTOKIO円舞曲 新興芸術派十二人』時代の言語空間と表現

清泉女子大学教授 今野真二
 今回紹介する『モダンTOKIO円舞曲 新興芸術派十二人』は、『春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』によると「世界大都会尖端せんたんジャズ文学」シリーズの(1)として刊行された。
【図1】は表紙で、ここには「MODERN TOKIO RONDO 新興芸術派十二人」とある。「モダンTOKIO円舞曲 新興芸術派十二人」は背表紙に書かれたタイトルである。【図2】は奥付であるが、そこには「世界大都会尖端ジャズ文学」ともあり、昭和5(1930)年5月8日に刊行されている。

【図1】

【図2】

『春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』によるとこの本に先立って、4月には『世界大都会尖端ジャズ文学(3)(4)』が出版されていることがわかる。5月に(1)・(2)が、11月には(6)・(8)・(9)・(14)の4冊が、12月には(5)が出版され、翌年の昭和6(1931)年の2月には(7)・(10)・(11)の3冊が出版されている。春陽堂では昭和4(1929)年に『探偵小説全集(日本之部)』『探偵小説全集(欧米之部)』の刊行も始まっており、全集と本シリーズは平行して編集刊行された。

【図3】は目次であるが、まず見開きを使って横書きの目次をレイアウトしていることが目を引く。川端康成「浅草紅団」、堀辰雄「水族館」、蔵原伸二郎「公園の誘惑」、吉行エイスケ「享楽百貨店」、中河与一「機械と人間」、龍膽りゅうたん寺雄じゆう甃路ペエヴメントスナツプ―夜中から朝まで―」など、アンソロジーとしての構成が興味深い。

【図3】

 海野弘は『モダン都市東京』(1983年、中央公論社)において、「堀辰雄が新興芸術派としてスタートしていることは注目すべきである」と述べた上で、堀辰雄の初期作品を集めた『堀辰雄小品集別冊・薔薇』(1951年、角川書店)に、「堀自身の意向で、「水族館」は削除された」こと、『昭和文学全集18 堀辰雄集』(1953年、角川書店)の年譜にも「水族館」が掲げられていないことを指摘し、「堀辰雄は、「水族館」を自分の作品として認めたがらなかった」と述べている。そして、「水族館」を「時代を作者が書くのではなく、時代が作者に書かせたという作品」とみる。
 そういうことは当然あるだろう。言語使用者は、他の言語使用者と言語を共有している。共有しているのは、同時期にその言語を使っている人で、その時期に、その地域で形成されている「言語空間」を共有しているということでもある。そうであれば、その「言語空間」の「ありかた」が言語使用者に影響を与えないはずがない。大震災のような自然災害の後、新型コロナウイルスのような疾病の感染拡大の中、これまでとは異なる「言語空間」が形成され、そこではその時期に、いわば特徴的な言語がやりとりされる、ということはあるとみるのがむしろ自然であろう。鬱屈した心情を述べる言説が多くなったり、逆に勇ましい言説が受け入れられたりというように、言語の振幅が激しくなることもあるだろう。出版も、そうした「言語空間」のありかたと無関係であるはずがない。春陽堂という一つの出版社がある時期に、どのような本を(平行して)出版していたか。これを注視することは、「言語空間」という観点においても意義がある。

「水族館」は1~4にわかれているが、3の冒頭ちかくに「それに次ぐ日々は、重くろしい雲のやうに通り過ぎた。公園全体が、いつもに似合はず、なんとなく鬱陶しさうで、一日中眠たさをこらへてゐるやうだつた。私は、それらの日々が何か異常な出来事を発生させはしないかと、不安な予感に打たれてゐた」(168頁)というくだりがある。実際、ここから話はいわば「最終局面」に展開していくのだから、「不安な予感」が的中したように著者が作品を「仕立て」ている、ということになる。つまり、「不安」という「感情」、「感情」という語を使うのがあてはまらないのだとすれば、そういう「心持ち・気持ち」を公園が鬱陶しく感じられるということによって日本語として表現していることになる。これはもちろん「日本語」の観察である。
 最後の場面で、登場人物である「彼女」は「屋上から真逆様に墜落」(177頁)する。昭和5(1930)年9月に出版された『キング』では江戸川乱歩の「黄金仮面」の連載が始まる。「黄金仮面」には「産業塔」の頂上に登っていく場面がある。もちろん「水族館」が先にできていることは疑いがない。仮に「影響」ということをいうのであれば「黄金仮面」が「水族館」に影響を与えたのではなく、「水族館」が「黄金仮面」に影響を与えた──そうした可能性がないわけではないが、たかくはないだろう。そうではなくて、「屋上からの墜落・落下」という「モチーフ」(とひとまずは表現しておく)が共通していることが興味深い。
 また、「水族館」には、隅田川沿いの「全部硝子張りの、異様に大きな建物」(172頁)の「一つだけ割れずに残つてゐた硝子」を「彼女」が割る場面があるが、この建物は、作品中で「昔の日活の撮影所の跡」と説明されている。これは大正2(1913)年10月に開業し、大正12(1923)年11月14日に閉鎖された日活向島撮影所が「モデル」であろう。実際に隅田川沿いにそういう建物があるのだから、小説作品のために「仕立てた」ということではないけれども、ガラス張りの廃屋を作品内に持ち込み、それによって、書き手のもつ「イメージ」を具象化するということもまた「日本語表現」ということの一翼を担うとみたい。

(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
[短いことばで、「伝えたいこと」は表現できる]
曖昧な「ふわふわ言葉」では、相手に正確な情報を伝えることはできない。「ことがら」・「感情」という「情報」を伝えるために、言葉を整え、思考を整える術を学ぶ。

この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。