《死を悼む》 美しい昔-チン・コン・ソンさんを悼む
 2001年4月1日、私は知らない人からの一本の電話を受けたのです。「チン・コン・ソンさんが亡くなられました」と。
「どうして私に、知らせてくださったのですか?」と聞くと「彼の部屋にあなたの肖像画がありましたので」と。
 最後にお会いしたのは1999年1月25日、ベトナム中部のダナンで、NGOピースボート主催のコンサートを開いた時でした。
 彼が自作の歌をうたうのを初めて聴き、彼のヒット作を若いシンガーが歌って喝采を受ける盛大なコンサートでしたが、終了後の彼の表情が少し辛そうだったことが気になっていたのです。
 もともと肝硬変で闘病中であることは知っていたので、彼の死を、ついにその時が来たのか、という重い気持ちで受け止めました。
 62歳という年齢は決して長命とは言えず、まぎれもなく苦闘の生涯と言えます。
「美しい昔」という歌を知り、歌ってきたことで、これほどまでに深く、出会えたことは奇跡と言っていいかもしれません。
 私たちの世代にとって、ベトナム戦争は世界の若者が繫がった稀有な歴史であり、たった一曲の歌でそのクレバスのような深みに向き合える、それが「美しい昔」という歌だった、ということです。
 日本では、「サイゴンの歌姫」と呼ばれたカーン・リーが1970年の大阪万博に来日し、このチン・コン・ソン作詞・作曲の歌を、「雨に消えたあなた」というタイトルの日本語訳でレコーディング。当時安価で販売されたソノシートで広がりました。
 この歌の前に、同じチン・コン・ソンの「坊や大きくならないで」という歌を高石ともや(当時は友也)さんが日本語訳で歌って、一気に広まり、私も1969年の『ひとり寝の子守唄』というアルバムに収録していましたが、この「美しい昔」を私が歌ったのは1981年、初めての中国コンサートをハルビンで終えた後でした。
 スンガリー(松花江)の河畔で写真を撮っていて、なぜか草むらに座り込んでギターを抱えた時、この歌が出てきたのです。
『戦争』とともに受けとめてきた故郷と再会したことで、私自身が戦火に晒されたベトナムの人々と繫がったのでしょうか。何も思わずギターを手にした時、何年も前に体に入っていたこの歌が自然に出てきたのです。
赤い地の果てに あなたの知らない
愛があることを 教えたのは誰?

(ハルビンのコンサートのライブ録音のアルバムに、エピローグとして収録されている)
 何か大きな力に翻弄され、搔き立てられ、長い歴史の中、こりもせず戦争を繰り返してきたのは、いったいどうしてなのか、果敢に命をかける兵士の熱い火照りは何なのだろう?
 後に残された無惨な傷跡は、決してそれに答えることができないのです。
 その深いやるせなさ、厳しい問いかけを、心から知ったのは、チン・コン・ソンさんに初めてお会いした時でした。
 1997年、NHKの「家族の肖像 激動を生き抜く」という番組で、この歌をうたったカーン・リーが来日し、なんと私に会いたいと、連絡をくれたことがきっかけでした。
 1975年4月30日のベトナム戦争終結後、ボートポープルとなってアメリカに渡ったカーン・リーと、ベトナムに残ったチン・コン・ソンの秘密の再会が、この番組のテーマでした。
 ひとつの国が北と南に分断され、戦われたベトナム戦争。やっとアメリカ軍が撤退し、北ベトナムの勝利となって、平和が訪れるはずなのに、戦争終結というものは、それほど甘いものではなかったという現実を知らされました。
 この年、私は東京のコンサートにアメリカからカーン・リーを、ベトナムからチン・コン・ソンを招き、共演を果たせたら、と思い立ったのです。
 そのために、ベトナムのホーチミンに、チン・コン・ソンさんを訪ねた1997年5月。
 真夏のような日差しの中、暗く閉め切った彼の部屋に通されて、サイダーのような飲み物が出された時、ふと見ると、彼の前には琥珀こはく色のグラスがあり、足元にはブランデーのボトルがありました。
 私は何も言わず、彼の前に私のグラスを差し出し、彼はニタッと嬉しそうにボトルから琥珀色のものを注いでくれ、もちろん乾杯したのです。
 ギターで私が「美しい昔」を歌うのを、うなづきながら聴いていたチン・コン・ソンさんは、歌い終わった時、しっかり手を握ってくれて、こう言いました。
「トキコの声には、心に触れるものがある。私の歌にはぴったりだ」と。
「カーン・リーはアメリカに渡ったのにあなたはなぜ、ここに残ったのですか」と、私が聞いた時、こう答えました。
「私は、詩人ですから、果物や花と同じで、この土地にいるから詩が作れるのです。でも、ここから出ていこうとした人を誰も責められません。ここは地獄だったのですから、誰だってここを離れたかった。ベトナムの人は忘れることと許すことが上手です。そうでもしなければ生きていけないのですから」
 そしてこうも言いました。
「私はこのお酒なしではいられない。歌を作る時も、絵を描く時も、酔っていないことはないんです」と。

1997年チン・コン・ソン宅

 この夏のコンサートには、彼はドクターストップで来日できず、カーン・リーだけが歌ってくれました。
 懲りもせず、今度はベトナムにカーン・リーを呼び、チン・コン・ソンとの共演をと企画したのが1999年のダナンのコンサートでした。この時はカーン・リーがアメリカから出られず、共演の夢は、またしても失敗に終わりました。
「トキコ、人々の思いは微妙です。もう思い出したくない、と思う人もいるはずだ。今日のコンサートはギリギリだったね」と言ったチン・コン・ソンさん。私は心底落ち込みました。
 ふたりの共演などという夢は初めから、私たちの幻想でしかなかったのか、と。
 歴史は濁流のように、さまざまな思いを押し流し、決して元に戻してくれることはないのだ、と思い知らされました。生き抜いていく、ということは濁流を泳ぎわたることだ、と。
 ベトナム戦争終結後、10年ほど、チン・コン・ソンさんは再教育キャンプに収容され、音楽活動を禁じられたといいます。
 ドイモイ政策で対外開放の措置がとられ自由に活動できるようになり、たくさんの歌手にヒットソングを贈り、圧倒的な評価を得て、今では紛れもなくベトナムを代表する偉大な詩人、作曲家です。亡くなってから、毎年、盛大な追悼コンサートが開かれてきました。そのコンサートにずっとお誘いを受けていたのですが、2019年、4月2、3日、市民劇場(通称・オペラハウス)で開かれた18回目の追悼コンサートにやっと出演できました。
 私はギターの弾き語りで1曲目に「坊や大きくならないで」を、2曲目に「美しい昔」、3曲目には私の作詞・作曲で「あなたに捧げる唄」を歌いました。この「坊や大きくならないで」は彼らの特別のリクエスト。なぜならこの国ではうたえない歌になっていて、日本語でなら許可が出る、という理由でした。
あなたが大きくなると 戦に行くわ
坊や 大きくならないで そっと眠りなさい

2019年4月2日 ベトナムコンサート

 停戦から50年近くの歳月が過ぎても、南北内戦の歪みは消えていないのです。それでも2021年、チン・コン・ソン没後20年には、彼の故郷のフエで大きな野外フェスを開催することになっていました。必ずその時に出演を、と言われていましたが、残念ながら新型コロナの影響で中止されてしまいました。
 追悼コンサートはきっとこれからも続けられるでしょう。
 どんな苦しみがあってもベトナムの地にとどまったチン・コン・ソンの歌は、ベトナムの地に咲き続けることができる!
 そう思います。
(写真は筆者提供)

美しい昔
 作詞・作曲:チン・コン・ソン/訳詞:高階 真
赤い地の果てに
あなたの知らない
愛があることを教えたのは誰?
風の便りなの 人のうわさなの
愛を知らないで
いてくれたならば
私は今もあなたのそばで
生命つづくまで 夢みてたのに
今は地の果てに 愛を求めて
雨に誘われて 消えて行くあなた
来る日も来る日も
雨は降り続く
お寺の屋根にも 果てしない道にも
青空待たずに花はしおれて
ひとつまたひとつ
道に倒れていく
誰が誰が 雨を降らせるのよ
この空にいつまでもいつまでも
雨よ降るならば 思い出流すまで
涙のように この大地に降れ
 2021年9月1日発売 3枚組CD『花物語』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 


この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。