《死を悼む》 生きてりゃいいさ-河島英五さんを悼む
 4月16日は河島英五さんの命日。彼の好きな「桜」と「風」にちなみ、この日は「桜風忌」と呼ばれているそうです。
 いつ会っても颯爽さっそうとした大男でした。でも2001年、48歳という若さで逝ってしまったのです。
 亡くなる2日前までステージに立って歌っていた、と聞いた時、きっと最後まで潑剌はつらつと声を上げて歌っていただろう英五さんの姿が眼に浮かびました。そのライヴの前には長女あみるさんの結婚式に参列していたそうですから、見事な終わり方と言っていいと思います。
 実は亡くなる前年、NHKのテレビ番組に一緒に出演していて、彼がリハーサルで歌うのを聴いていて、とっても良かったので、「英五さん、元気そうね。すごく声が伸び伸びしてる」って言ったら「そうでしょう? そう見えるでしょう? でも医者はそう言わへんのです」と笑っていた。それが忘れもしない私にとっての英五さんの最後の姿です。
 私と英五さんとの出会いは1978年12月、日劇ミュージックホールでの「ほろ酔いコンサート」でした。
 コンサートの終盤、客席から「英五がいるぞ!」と声が上がり、「じゃあ、ステージに上がってこない」と言った私の言葉に応えて、のっそりとセンター通路からステージに上がってきて私の前に立った英五さん。私はすっぽりと彼の全身に隠れて、客席が見えなくなりました。あの瞬間のことは、今でもはっきりと覚えています。
 大ヒット中の「酒と泪と男と女」を、ピアノの弾き語りで歌ってくれて、客席から歓声が上がりました。
 その時、英五さん26歳。私35歳。
 翌年の正月、仕事始めの事務所に彼からのカセットが届き、そこに録音されていたのが彼が私のために作詞・作曲した新曲「生きてりゃいいさ」でした。
君が悲しみに心とざした時
思い出してほしい唄がある
 冒頭から、まっすぐ心に入ってくる歌。3番の歌詞を聴いた時、私はもう泣いていました。
君にありがとうとてもありがとう
もう会えないあの人にありがとう
まだ見ぬ人にありがとう
今日まで私を支えた情熱にありがとう
 娘ふたりの子育てに悪戦苦闘しながら歌っていたその頃の私にとって、急所をつかれたような歌詞だったからです。
 もちろんすぐにレコーディングを決め、79年の1年間、全国をジョイントライヴで回ろうという企画まで決まったのです。
 そのコンサートの打ち合わせで私の自宅を訪ねてくれた英五さん。ドアを開けるといきなり「食パンありますか?」と言ったのです。
「えっ?」と驚く私に英五さんはこう言いました。
「人が飢える、いうことを知りたくて、しばらく何も食うてへんのです。そこでちょっと倒れそうになったんで、何か食うたほうがええかな、思て」
 英五さんは「河島英五とホモ・サピエンス」として、75年に『人類』、76年に『運命』、77年に『信望』という一連のアルバムを出し、その後80年には『文明Ⅰ』『文明Ⅱ』『文明Ⅲ』というアルバムを出しています。
 ジョイントコンサートでは、初めから最後までふたりともステージにいて、一曲ずつ交互に歌うという大胆な構成にしていましたが、彼のコメントも態度も、大胆で自由。なんたって文明の始まりを確かめようとしているのですから!
 歌う前に腕立て伏せをする、とか、大きなヤカンから水をラッパのみするとか、そんなことは普通でしたよ(笑)。
 彼は、アルバム『文明』シリーズを制作するために中東やシルクロードへ旅をしていて、その旅の話は本当に面白かったなあ。
「砂漠で大きなうんこをした時、とぐろを巻いてケツが汚れそうになるとピョンと前に飛ぶんです。その時に、あ、これが文明の始まりなんやなあ、と納得するんですよ」とか「1カ月、風呂に入ってないと、久しぶりにシャワーしても、髪の毛が水を弾くんですよ」とか…。
 なんと逞しく、おおらかなことか、と感動の連続でした。
 でも意外だったのは、英五さんは子供の頃から体が弱くて、体操の時間はほとんど見学してた、とか、滅多にお酒を飲まなかった、とか…。

79年 ライヴにて

 95年の阪神・淡路大震災の時には、本当にいろんなところで支援の活動をしている英五さんと会いました。
 同じ場所で一本のマイクで歌うことになった時は、私がビールのコンテナケースとか運んできてそれに乗って歌ったりしたなあ。
 2006年に、この阪神・淡路大震災の映画『ありがとう』ができた時、英五さんの歌った「生きてりゃいいさ」がイメージソングになりました。
 今も、どんなところでも、この歌は人の心にまっすぐ届く、稀有な歌で、大切にうたっています。
 英五さんが作詞・作曲してデュエットでレコーディングした「燃えろジングルベル」も懐かしい歌です。
 いつ思い出しても、伸び伸びと声を上げている英五さんが目に浮かびます! いいなあ、いつまでも若くて!

『登紀子の書』「生きてりゃいいさ」の歌詞

(写真は筆者提供)

生きてりゃいいさ
 作詞・作曲:河島英五
君が悲しみに心とざした時
思い出してほしい唄がある
人を信じれず眠れない夜にも
きっと忘れないでほしい
生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ
そうさ 生きてりゃいいのさ
喜びも悲しみも立ちどまりはしない
めぐりめぐってゆくのさ
手のひらを合わせよう
ほらぬくもりが君の胸にとどくだろう
一文なしで町をうろついた
野良犬と呼ばれた若い日にも
心の中は夢で埋まってた
やけどする位熱い想いと
生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ
そうさ 生きてりゃいいのさ
喜びも悲しみも立ちどまりはしない
めぐりめぐってゆくのさ
恋をなくしたひとりぼっちの君を
そっと見つめる人がいるよ
君にありがとうとてもありがとう
もう会えないあの人にありがとう
まだ見ぬ人にありがとう
今日まで私を支えた情熱にありがとう
生きてりゃいいさ 生きてりゃいいさ
そうさ 生きてりゃいいのさ
喜びも悲しみも立ちどまりはしない
めぐりめぐってゆくのさ
手のひらを合わせよう
ほらぬくもりが君の胸にとどくだろう
 1979年9月10日発売 アルバム『悲しみの集い』 収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 


この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。