《日が昇り日が沈む》 色即是空
「色即是空」。『般若心経』に出てくる仏教の言葉です。
 35話では、この言葉の意味を「形あるものは空」という歌にしてうたったことを書きましたが、「色即是空」というこの歌を作った時は、仏教的な厳かな意味ではなく、なんとなくタイトルにいただいたというだけのことでした。でも、時が経ってみると、私の心の中では、ちゃんと繫がっていたようにも思えます。
 1972年1月9日、私は中東とヨーロッパのひとり旅に出発しました。前年の暮れには、「知床旅情」をうたってレコード大賞歌唱賞をいただき、NHK紅白歌合戦にも出演したばかり。私の行動に驚く人もあったかもしれません。
 この年の正月のレコード大賞の祝賀会の席で、「傷だらけの人生」をうたって大衆賞を受賞された鶴田浩二さんが、私に声をかけてこられました。
「登紀子さんは日本を捨てるんですか? 僕も今の日本には失望しています。でも絶対日本を捨てないでください。お願いします」
 私は、ちょっと驚いて、「日本を捨てるなんて夢にも考えていません」と答えたのでした。
 この旅に出ることになったのには、当時のプロダクションの社長だった石井好子さんとの約束がありました。
「ひとり寝の子守唄」で69年、同じようにレコード大賞歌唱賞をいただいた後にも、私は海外への旅に出たいとお願いしたことがあり、その時石井さんがこう言われたのです。
「一曲ヒット曲が出たくらいでは、まだまだ危ないのよ。もう一曲ヒット曲が出たら、好きなようにしなさい」
 そして石井さんはドイツのハンブルクのテレビに出演する仕事を、私にプレゼントしてくださったのです。
「愛のくらし」の作曲者アルフレッド・ハウゼさんから、この歌をドイツのテレビ局でドイツ語でうたうようにとオファーがあり、交通費は一人分しか出ないから「ひとりで行きなさい」と。
 出発が近づいてきた頃、父が心配して石井さんに、「あなたはそれでいいんですか? トキコはひとりで大丈夫でしょうか?」と訴えたらしいです。
 たしかに大胆な決断。その真意を石井さんに聞いたことはないですが、彼女自身が東京音楽学校(現・東京藝術大学)声楽専科出身なのに、戦後すぐにジャズバンドに入り渡米。1952年に方針転換してパリへ乗り込み、ショーガールに近いレビューの歌手になった人。日本にシャンソンを紹介することに生涯をかけた人なので、シャンソンとはかけ離れたヒットソング2曲で、加藤登紀子の世界を終わらせるつもりはなかったのかもしれません。
 けれど、この中東ひとり旅が、私の人生を根底から変えることになるとは、その時、私でさえも考えていなかったのです。
 日本とヨーロッパの往復航空券は、当時56万円。世界を一周できるチケットでした。南回りで行けば、インドからイラン、エジプトなどを経由、ポルトガル、スペイン、フランスと旅してドイツにたどり着けばいいのですから…。
 私は張り切って計画し、40日の休暇を石井さんからいただいたのです。
 イランで目を覚ました朝、遠くから聞こえるコーランの響きに興奮し、美しいモスクに大きな宇宙を感じ、穏やかなイスラムの人たちの生活に触れました。
 イスラエル建国に抗する中東戦争はその頃もう始まっていましたが、一時休戦していた頃だったのでしょうか。今から思うと、素朴な暮らしのままの平和で瑞々しい中東でした。
 イランでは、首都テヘランのほかにイスファハン、シラズなどの古都を訪ね、ペルシャ帝国の都であったペルセポリス遺跡の圧倒的な美しさに魅せられました。
 中東のパリと呼ばれたレバノンのベイルートでは、多民族のごった返す商業都市の賑わいに驚き、エジプトのカイロのメインストリートでは、ラクダやロバや馬車が車の往来の間にひしめき合っている陽気な喧騒に出会い、古い時代が新しい時代の中に堂々たる存在感で生きていることに動転しました。
 ベイルートからシリアのダマスカスへ、そこから北へ車を走らせてパルミラの遺跡に。水も電気もないと思われるシリア砂漠にはベドウィン族のテントがあり、砂嵐の中から忽然こつぜんと色鮮やかな姿で大家族が登場したりしたのです。彼らは国境も越える遊牧民。そこには何千年も変わらぬ人々の営みがあると、思われました。
 古代、中世、近世、現代と人類は進歩を遂げてきたという世界観が根底から崩れたといってもいい衝撃が、私の心に大きな器となって残ったのです。
 この地球には、その人類史の全てがある。私たちの見ている現代社会なんて、その堂々とした美しさから見れば、いびつな異形のものでしかない、と思えました。
 この旅の詳細は、ここでは書ききれません。私の初めての著書となる『ろばと砂漠と死者たちの国』(文化出版局)に書いていますので、読んでみてください。

1972年 中東旅行にて

 この旅から戻り、すぐに作ったのがこの「色即是空」という歌でした。コンサートツアーの合間に、楽屋でギターを弾いていて、たちまちのうちにできた日のことを覚えています。
 でも周りの反応は冷ややかで、なんかひとり盛り上がりなのか、と不安になったものでした。
 でも私の心にともった炎は、私の未来へ道を開いてくれたのでしょう。
 その年の5月、私は中野刑務所に服役中の藤本敏夫と結婚。全ての仕事を休止して、新しい人生に旅立つことになりました。中東の旅にも結婚にも全面的に賛同してくれた石井さんでしたが、さすがにこんな結末は想定外だったでしょうが…。
 その夏7月25日、日比谷野外音楽堂で「真夏の夜のコンサート」を開いて、私は歌手活動にピリオドを打ちました。
 そのオープニングの歌が「色即是空」!
 晴れ上がった空に、コンガの音が鳴り響いた幕開きを忘れることはありません。フィナーレでは、ステージに上がってきた観客と「知床旅情」を歌いながら抱き合い、「元気な赤ちゃん、産んでね」と祝福してもらいました。
 その年の12月、初めての出産。そこからたったひとりの子育て生活に入りました。
 瀬戸内寂聴さんの出家に喩えることはできませんが、この選択は、私なりの出家だったのかもしれません。

1972年9月1日発売 アルバム『色即是空』ジャケット

(写真は筆者提供)

色即是空
 作詞・作曲:加藤登紀子
星空の下でかがり火を燃やそう
おひさまは沈み なにもかも闇だ
星空の下でかがり火を燃やそう
よけいなものは何もいらぬ
どこで生きても同じこと
よけいなものは何もいらぬ
どこで生きても同じこと
夜明けがくるまで酒杯をかわそう
夜はまだ長い 東の空も闇だ
夜明けがくるまで酒杯をかわそう
よけいなものはみんな捨てて
明日はどこかへ身軽な旅
どこで生きても同じこと
どこで死んでも同じこと
夜明けの寒さにふるえているのか
お陽さまが出れば何かがはじまる
最後の別れにかがり火を燃やそう
よけいなものはみんな捨てて
今日はどこかへ身軽な旅
どこで生きても同じこと
どこで死んでも同じこと
よけいなものはみんな捨てて
今日はどこかへ身軽な旅
ラララ…………
 1972年9月1日発売 アルバム『色即是空』収録
 1972年11月21日発売 ライブアルバム『真夏の夜のコンサート』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 
この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。