南條 竹則
第27回後編 「餓鬼道肴蔬目録」
 大学院でお世話になった甘木先生は裕福な商家の息子さんだったが、それでも戦中戦後は普通の都会の住民並に、食べ物に不自由された。
 味覚を楽しむのが人一倍好きな方だったが、ある時、食糧難を体験しないわたしに向かって、
「一度はああいう経験をしておいた方が良い」
 と言われた。その方が物の味が本当にわかるという意味だとわたしは解した。

 食糧難のためであれ、病気や金欠のためであれ、食べたいものが食べられないと、人は味覚の空想によって心を慰める。
 百鬼園先生もそうだった。
 昭和十九年の夏の初め、彼は「段々食ベルモノガ無クナツタノデセメテ記憶ノ中カラウマイ物食ベタイ物ノ名前ダケデモ探シ出シテ見ヨウト思ヒツイテ」、「餓鬼道肴蔬がきどうこうそ目録」というものをつくった。「昭和十九年六月一日昼郵船ノ自室ニテ記」とある。
 その内容を書き出してみよう。原文は一品ごとに改行しているが、今はスペースの節約のために続けて書いて、改行箇所を「/」で示す。

 さはら刺身 生姜醬油/たひ刺身/かぢき刺身/まぐろ 霜降りとろノぶつ切り/ふな刺身 芥子味噌/べらたノ芥子味噌/こちノ洗ひ/こひノ洗ひ/あはび水貝/小鯛焼物/塩ぶり/まながつを味噌漬/あぢ一塩/小はぜ佃煮/くさや/さらしくぢら/いひだこ/べか/白魚ゆがし/蟹ノ卵ノ酢の物/いかノちち/いなノうす/寒雀だんご/鴨だんご/オクスタン塩漬/牛肉網焼/ポークカツレツ/ベーコン/ばん小鴨等ノ洋風料理/にがうるか/このわた/カビヤ/ちさ酢味噌/孫芋 柚子/くわゐ/竹の子ノバタイタメ/松茸/うど/防風/馬鈴薯ノマツシユノコロツケ/ふきの薹/土筆/すぎな/ふこノ芽ノいり葉/油揚げノ焼キタテ/揚げ玉入りノ味噌汁/青紫蘇ノキヤベツ巻ノ糠味噌漬/西瓜ノ子ノ奈良漬/西条柿/水蜜桃/二十世紀梨/大崎葡萄 註 備前児島ノ大崎ノ産/ゆすら/なつめ/橄欖ノ実/胡桃/椎ノ実/南京豆/揚げ餅/三門ノよもぎ団子/かのこ餅/鶴屋ノ羊羹/大手饅頭/広栄堂ノ串刺吉備団子/日米堂ノヌガー/パイノ皮/シユークリーム/上方風ミルクセーキ/やぶ蕎麦ノもり/すうどん 註 ナンニモ具ノ這入ツテヰナイ上方風ノ饂飩ナリ/雀鮨/山北駅ノ鮎ノ押鮨/富山ノますの早鮨/岡山ノお祭鮨  魚島鮨/こちめし/汽車弁当/駅売リノ鯛めし/押麦デナイ本当ノ麦
 このあとに、「以上列記シタルハ 一、イツモ食ベテヰタ物、モリ蕎麦ベーコンノ如キ 二、人ヨリおくラレテソノ味忘ジ難キ物、鶴屋ノ羊羹ますノ早鮨ノ如キ 三、昔ノ味ヲ思ヒ出ヅル物、べらたノ芥子味噌三門団子ノ如キ」と説明書きがあり、「ソノ後デ思ヒ出シタ追加」「年ガラ年中有ツタノハ」という二条の付けたりがある。この説明を念頭に置いて目録をながめていると、百鬼園の飲食宇宙を俯瞰ふかんできる心地がする。
 ここに並んだ食べ物の中には、我々にもお馴染みのものと「これは何だろう」と思わせるものがある。
 たとえば、「べらた」は東京などで「のれそれ」というアナゴの稚魚。ここには出てこない「ままかり」と共に、百閒の郷里岡山の味だ。
「べか」は瀬戸内海産の烏賊いかの一種で、やはり郷里の味覚。
「いなノうす」はボラの若魚のヘソだ。もちろん、本当のヘソではなく、幽門という部位の通称である。百閒はどういう風に食べたのだろう。わたしは昔、台湾産の缶詰を食べたことがあるが、それは乾燥品で、あぶって薄く切るとコリコリした歯ごたえで、オツな酒のつまみだった。
「ふこノ芽ノいり葉」は何だかわからない。
「寒雀だんご」は百閒の母親の手料理で、百閒は主治医の小林博士を家に招いて、これを供した。
 御馳走の中心は寒雀の団子であつて、薄い鍋に酒を利かした汁を煮立て、細かく刻んだ芹を浮かした中に、骨ごとたたいて練つた雀の身を、箸で丸めて入れるのである。(「養生訓」前掲書113頁)
「こちめし」も母親の手料理である。その製法は──
 こちを湯がして皮を去り、その身を切れに包んで固くしぼる。絞り汁は別に取つておいて、後で味をつけて掛け汁にする。切れの中に残つた身をよく崩して摺り鉢に移して摺る。摺り潰すのではなく、食つついてゐる身をほごしてさらさらとさせる為である。又さうしてゐる内に白身の繊維につやが出て細い銀糸の様な美しいきめになる。
 御飯の上にその身を振り掛け、色取りと風味を加へる為に、芹を微塵に刻んだのを添へる。その上から絞つた汁をほんの少し許り掛けて食べる。掛け汁の味加減をどうして出すのかよく知らないが、多分酒塩で煮なほすのだらうと思ふ。(「こち飯」前掲書237-238頁)
 何とも蚊とも羨ましい。この目録にも出て来る「駅売リノ鯛めし」を連想させるが、それよりもずっと美味そうである。


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この記事を書いた人
文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。

絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)