第29回 泉鏡花『湯島詣』表記のゆれも貴重な一例

清泉女子大学教授 今野真二
 泉鏡花『湯島詣』を『春陽堂書店発行図書総目録(1879年~1988年)』で調べてみると、明治32(1899)年11月(194頁)、明治37(1904)年11月(194頁)に出版され、さらに春陽堂文庫として刊年不明のもの、昭和22(1947)年10月(164頁)出版のものがあることがわかる。そして大正13(1924)年11月には「改版」が出版されている。ただし、目録はこの「改版」の判型、頁数、価格を記していない。

【図1】

 今回紹介するのは、奥付に「大正十三年十一月十八日改版印刷/大正十三年十一月廿一日改版發行/大正十三年十一月廿五日改版三版」とある筆者所持の「改版」だ(【図1】表紙)。定価は「金壹圓」(1円)で、大きさは縦17.5センチメートル、横12.3センチメートルほど。
 背及び表紙には手書き文字で「湯嶋まうで」とあり、背の下部にはやはり手書き文字で作者名「きやう花作」が入れられている。本文のタイトルページにも柱にも「湯島詣」とあることからすれば、作品のタイトルは「湯島詣」であると思われるが、装幀は手書き文字で「デザイン」という扱いなのだろうか。筆者としては少し気になる点ではある。
 ほかに、大正4(1915)年6月に出版された『鏡花選集』、大正13(1924)年11月に出版された『鏡花選集(改版)』、大正15(1926)年9月に出版された『鏡花全集』第4巻にも「湯島詣」が収められている。『鏡花選集』の装幀は小村雪岱が担当している。
 小村雪岱は、大正3(1914)年に千章館から出版された泉鏡花『日本橋』の装幀を担当しているが、これは鏡花の抜擢であった。小村雪岱はこの『日本橋』によって装幀家として注目されるようになり、鏡花を慕う水上滝太郎や久保田万太郎(第25回)らの著書の装幀を手がけるようになっていく。里見弴(第14回)の新聞連載小説「多情仏心」の挿絵も担当した。「雪岱」という名は小さな村から見える雪の泰山(岱山)というような意味合いで鏡花がつけたという。
 埼玉県立近代美術館が監修している『小村雪岱』(2014年、東京美術)の副題は「物語る意匠」で、これは「意匠」すなわちデザインが「物語る」ということであろうが、小村雪岱は「総じて泉先生の作物を絵にする事は非常に困難で、あの幽玄な風格を表すのは全く至難な業です」(「教養のある金沢の樹木」『演劇畫報』1933年9月)と述べている。「至難な業」という認識は、鏡花の言語表現を「絵にする事」の模索からうまれているはずで、こうした言説から「言語表現=物語」の意匠化、デザイン化、視覚化がつねに試みられていたことが窺われる。「画文融合」という表現があるが、大正期はそうした時代であったと思われる。
『湯島詣』は「紅茶会」という章から始まる。「コップ」には漢字列「硝子盃」があてられ、「カフス」には漢字列「腕袋」があてられる。その一方で、地名のパリは「パリイ」、聖書は「バイブル」と文字化されている。ごく一般的に考えれば外国の固有名詞や外来語は、片仮名によって文字化されていればその語が比較的定着しているとみられる。一方で漢字列によって文字化し片仮名で振仮名を付している語は漢字列の支えによってその語の語義を示そうとしているもの、とみることができるだろう。ただし「正書法がない日本語」* においては、つねに文字化のしかたを選択できるので、「あえてそう文字化した」ということも可能性としてはある。つまり漢字列を使っているから定着していないとすぐに断言できるわけではない。あくまでも「ごく一般的に考えれば」ということだ。
 しかしそうはいっても、筆者としてはそういうことを気にしながら読む。【図2】は16-17頁だが、17頁で「おっ」と思った。

【図2】

 7行目では漢字列「卓子」に「テーブル」と振仮名が施されているが、9~12行目では3箇所に「テイブル」と振仮名が施されている。振仮名「テイブル」は6頁1行目、11頁10行目などにもあり、どちらかといえば「テイブル」が多そうではあるが、17頁では「テーブル」「テイブル」が両用されている。「だからどうした」ということになりそうだが、「テイブル」のほうがもともとの英語の発音にはちかいだろう。しかしまた、当時認識されていた(あるいは作者である泉鏡花が認識していた)「もともとの英語の発音」があって、それが時には「テーブル」と文字化され、時には「テイブル」と文字化されていただけだというみかたも当然ある。
 こういうことを慎重にかつ丁寧に考え併せていくと、結局「これだけではなんともいえない」というあまりうれしくない結論になるので、ここは同一ページに二つの文字化があらわれている貴重な例ということだけをすなおに喜んでおきたい。こういう例だって、ありそうでないものなんです。
*『正書法のない日本語』(岩波書店)参照。―正書法とは正しい書き方のこと。日本語にはそれがない。漢字と二種類の仮名があり、あてられる漢字もひとつとはかぎらないから選択肢が複数あり、どれを選んでも間違いではないのだ。
(※レトロスペクティブ…回顧・振り返り)

『ことばのみがきかた 短詩に学ぶ日本語入門』(春陽堂ライブラリー3)今野真二・著
[短いことばで、「伝えたいこと」は表現できる]
曖昧な「ふわふわ言葉」では、相手に正確な情報を伝えることはできない。「ことがら」・「感情」という「情報」を伝えるために、言葉を整え、思考を整える術を学ぶ。

この記事を書いた人
今野 真二(こんの・しんじ)
1958年、神奈川県生まれ。清泉女子大学教授。
著書に『仮名表記論攷』(清文堂出版、第30回金田一京助博士記念賞受賞)、『振仮名の歴史』(岩波現代文庫)、『図説 日本の文字』(河出書房新社)、『『日本国語大辞典』をよむ』(三省堂)、『教科書では教えてくれない ゆかいな日本語』(河出文庫)、『日日是日本語 日本語学者の日本語日記』(岩波書店)、『『広辞苑』をよむ』(岩波新書)など。