《天と地の間で》 無垢の砂
 NHKスペシャル「映像の世紀」というドキュメンタリー番組のテーマ曲として加古隆さんが作曲したこの曲に、私のイメージで詩を書いた「無垢の砂」。
 1999年、我が家の経営していたレストラン、「テアトロ・スンガリー」で、環境問題をテーマにしたイベントのゲストに加古隆さんをお招きした時、彼の演奏に合わせて朗読をすることになって、詩を書いたのでした。
 演奏旅行から帰ってきたその日が本番だったので、旅の途中の列車の中で、ひとつの詩を仕上げていたのです。でも会場に着きリハーサルが始まるまでの時間に、声に出して朗読してみた途端、「違う!」と感じ、もう真っ白になって、急いで全部書き直したのです。「無垢の砂」というこの詩が生まれてくるまでの嵐のような時間を今も思い出します。
 この曲の持ついい知れぬ悲しみの、深い海の底に身を沈めるような気持ちになった時、この詩が見えたのです。
 人の歴史が映像という形で克明に記録できるようになった20世紀は、戦争と破壊の世紀。この番組のテーマ曲を聴くだけで、ヒトラーの演説や、戦車の爆進する音、街の喧騒、銀行の取り付け騒ぎなど、混乱と激動の姿が浮かびます。
 なのに、そこに流れるこの音楽からは胸が締め付けられるような静けさが漂っている!
 加古隆さんがイメージしたものは何だったのか、確かめることもしないまま、この「無垢の砂」を書きました。
 この曲の元のタイトルが「パリは燃えているか」だったことは後で知ったのです。
 1945年4月6日、ヒトラーは敗北を認め、自らの命を絶つのですが、その時「パリは燃えているか」と部下に確かめた、というエピソードから、このタイトルになったと聞きました。ナチスドイツ軍がパリに攻め込んだ時、フランス政府がほぼ無抵抗でパリを明け渡したので街は一切の破壊を免れたのでしたが、ヒトラーは死の前に、「パリに火をつけろ」と命令していたというのです。
 実際には、部下がその命令を果たさず、パリは燃えていなかった! そんな凄まじいエピソードが、この曲に込められていたとは…。
 今も、フランスが無抵抗でナチスにパリを明け渡した、その選択の意味を知りたいと思っています。
 おそらく、ナチス寄りのヴィシー政権がドイツの占領を認めたからなのでしょう。
 もちろん、その後にナチスへの抵抗運動があったことは知っています。エディット・ピアフもそのひとりでした。
 それでもパリが破壊されなかったという結果は、大きいです。
 今年ロシア軍の侵攻を受けたウクライナも、破壊を免れる方法はなかったのだろうか、ふとそんな妄想を描いてしまいます。
 毎日のように街の崩壊していく姿を見ながら、本当に、これからの暮らしはどうなるのか、胸の潰れる思いです。何かできないかと考え、この5月にウクライナの被災者を支援するために、CDを発売しました。
 その中で、ジョン・レノンの「Imagine」を、私の日本語の翻訳の朗読を添えてレコーディングしました。
 ジョン・レノンが「Imagine」の中で歌ったように、「世界中の人々が今日のために生きている」。そのことだけを思い描いていたい! 光いっぱいの世界を心に描き続けたい! そう思います。
 今、現実に起こっている地上の喧騒を、遠いどこかから見守っているのは、ここに生き、ここを去った人々の無垢のまなざしだと思います。「無垢の砂」を加古隆さんの曲のピアノソロに合わせて朗読し、50周年記念アルバムに収録しました。

2015年11月18日発売 アルバム『百歌百会Hyakka Hyakue』ジャケット写真

(写真は筆者提供)

無垢の砂
 作詞:加藤登紀子 作曲:加古隆
時間という大きな土のかたまりは
さらさらとふるいにかけられて
静かに地面に落ちていく
物言わぬ無名の人たちは
静かな白い砂粒だ
そこはどんな国だったか どんな言葉を話したか
どんな神様を拝んだか
それはどこにも残らない
平和を愛し生きた人々は
静かな白い砂つぶだ
いつか海の底に集まり永遠の眠りについている
ふるいにかけられた石ころは
時間の外に捨てられた
ごりごりと醜い鉄くずは
捨てることさえはばかれた
どぎつく彩られた王冠も
金文字の刻まれた墓石も
永遠の砂浜には決して帰ることはない
いつからか時間の外に捨てられた
石ころや鉄くずや王冠や墓石を
人々は歴史と名付けた
物言わぬ白い砂は永遠の時間
平和を愛し生きた人々の美しい言葉はいつか
海の歌に変わる
いつの日か歴史という大きな墓標が
無残に朽ち果てた時
人々は海の歌をうたう日をむかえるだろうか

 2015年11月18日発売 アルバム『百歌百会』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 
この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。