《天と地の間で》 モンスーン
 1993年、宮沢和史さんの作詞作曲した「島唄」をレコーディングしました。発売されたのは8月でしたが、この歌をうたうにあたって、6月23日の沖縄終戦の日の式典に参列させていただきました。碑に刻まれた戦没者に手を合わせ、この日を迎える沖縄の人たちの深い思いをそこで受け止めたいと、思ったからです。
 何より味わったのは、とてつもない暑さでした。外のテントに設営された式典会場で、冷房装置ではなく団扇で風を送るしか方法はなく、その中で粛々と行われる式典。
 1945年6月の熾烈な戦いの日々も、この暑さの中だったことを思い知りました。
「島唄」の歌詞の中の二つのフレーズ。「ウージの森であなたと出会い、ウージの下で千代にさよなら」「ウージの森で歌った友よ、ウージの下で八千代の別れ」。
 日本の国歌のもとで戦わされた沖縄の人たちの、納得のいかない思いが見事に表現されているような気がして、宮沢和史さんの作詞の技量に驚きました。
 この年は1992年の父の死の翌年、年末には50歳になる節目に、私は仕事の形を変えようと思いたち、仕事に休止符を置いていました。その中でこの「島唄」を歌う宮沢和史さんに出会ったのです。テレビで歌う彼の姿に衝撃を受け、歌うべき歌を発見した、と思った私はすぐに行動に出ました。
 たまたま相談に乗ってくれていたプロデューサーが私と宮沢さんをすぐに繫いでくださって、私のこの歌のカバーが実現。本当に座礁しかけていた船がまた流れに戻ることになったのです。
 この歌がきっかけになって、私はアジアをモチーフにしたアルバム作りに取り掛かりました。
 シングルの「島唄」のカップリング曲になった私のオリジナル曲「旅人」は、81年に生まれ故郷の中国公演で見た、まだまだ長閑な生活ぶりの中に生きる人々の笑顔の素晴らしさを描き、そこを歩く旅人に声を掛けるような気持ちで作詞・作曲した歌。
 このレコーディングには、胡弓奏者の楊興新さんに参加していただくことになりました。そのきっかけは、何と雨。
 TBSラジオの永六輔さんの番組にゲスト出演した時、私の前に出演するはずの小室等さんが雨のせいで遅れていて、私が代わりに先にゲスト出演することになったのです。そのスタジオにいた人が楊さんでした。
 何の打ち合わせもないのに、「百万本のバラ」を彼が二胡で演奏し、すっかり意気投合。その場で「旅人」のレコーディングに参加してほしい、とお願いし、さらに彼の演奏曲「揺籠曲」に私の日本語の歌詞をつけてレコーディングすることになった、というわけです。
 さらにこのアルバムで出会ったのは、BEGINの比嘉栄昇さんと大島保克さん。石垣出身の二人が作った「イラヨイ月夜浜」という美しい歌に惚れ込み、カバーを申し入れたのです。その後次々と島唄の大ヒットを連発することになる比嘉さんの、民謡作品の走りとも言える名曲でした。いつ歌ってもうっとりするような、それでいて、遠く島を離れていった人たちの切なる望郷が伝わってきます。
 そしてこのアルバムのために書き下ろした曲は「モンスーン」「アジアン・ダンス」「残照」「約束」、そしてTBSの「筑紫哲也ニュース23」のエンディングテーマになった「川は流れる」。
「残照」は、92年にカンボジアを訪ねた時に見た戦争の影。
 故郷を守るはずの戦いが、家も、家族も、村も、何もかもを失う結果になったベトナム、カンボジア戦争の悲痛な悲しみを生きて帰ってきた男の姿に描きました。
「約束」は、アジアからヨーロッパへ、長距離バスに乗って出稼ぎに行く若者を、見送る少女の歌に。
「アジアン・ダンス」はガムラン音楽から受け止めた曼荼羅の世界を私なりの表現で歌っています。
 さあ、そして「モンスーン」です。
 アジアのいくつかの政変がなぜか6月に起こっていることから、民衆のパワーが吹き荒れる季節をモンスーンの嵐として歌ったものです。
東京 北京 ホーチミン バンコック
沖縄 マニラ ヤンゴン
六月の雨 降り続けてる
過去のページを開けたまま
 東京は1960年の安保闘争の6・15、北京は6・4(1989年)の天安門事件、沖縄は6・23(1945年)の終戦。
 ホーチミンは1975年のサイゴン陥落、マニラは1986年の民衆革命、ヤンゴンは今も軍部が暴走しているミャンマーの首都。
 激しい雨に打ちのめされながらも止めどなく溢れる、土の民の熱度を歌っています。
 最後のリフレインには、マニラの革命の時のリアルなニュース音声を使いました。
 いくつもの出会い、ドキドキの挑戦、泥と雨に根を張る土の力を感じながら、アジアにのめり込んだアルバムでした。
 今年2022年は沖縄の本土復帰から50年、日本中国国交回復からも50年。アジアに素晴らしい新しい時代が来ることを夢みた1972年を、ぜひ思い出したいです。
 皮肉にも、この5月のフィリピン選挙で、86年に追放された故マルコス元大統領の息子のフェルディナンド・マルコスが大統領になりました。
 選んだのはフィリピンの人たちですから、何ともいえないですが、ふと寂しく「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という言葉を思い出してしまいます。

1993年11月21日発売『モンスーン~祈りの歌を呼びもどす』ジャケット写真

(写真は筆者提供)

モンスーン
 作詞・作曲 加藤登紀子
雨に濡れて歩いてる ここはアジア
身体中の悲しみが あふれて流れる
流れるものはやまず とめどなくあふれる
あふれるものはやまず どこまでも広がる
濡れた体を両手に抱いて
祈りの歌を 呼びもどす
忘れられた悲しみは 土にしみて
地の底の湖にかわり 歌い続ける
無言のまま歌ってる 草の葉によりそい
吹きすさぶ風にかわり 花を震わす
どろにまみれた地面の上に
身体を寄せてうずくまる
モンスーン さまようAsia
モンスーン 帰らぬAsia
モンスーン 震えるAsia
モンスーン 甦えるAsia
東京 北京 ホーチミン バンコック
沖縄 マニラ ヤンゴン
六月の雨 降り続けてる
過去のページを開けたまま
六月の空 哭きづけてる
過去のページを開けたまま
モンスーン さまようAsia
モンスーン 帰らぬAsia
モンスーン 震えるAsia
モンスーン 甦えるAsia

 1993年11月21日発売 アルバム『モンスーン~祈りの歌を呼びもどす』収録

(JASRAC許諾第9023555003Y38029号) 
この記事を書いた人
加藤 登紀子(かとう・ときこ)
1965年、東大在学中に第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝し歌手デビュー。「ひとり寝の子守唄」「百万本のバラ」「知床旅情」「琵琶湖周航の歌」などヒット曲がある。N.Y.カーネギーホールで2度のコンサートを成功させたのに続き、92年にパリのラ・シガール劇場でコンサートが認められ、フランス政府より芸術文化勲章「シュバリエ」が贈られた。女優として『居酒屋兆治』(1983年)に出演。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』(1992年)では声優としての魅力も発揮。2021年、日本訳詩家協会 会長に就任。
公式ホームページhttp://www.tokiko.com 近著に「哲さんの声が聞こえる」(合同出版)「運命の歌のジグソーパズル」(朝日新聞出版)「自分からの人生」(大和書房)。新譜「花物語」(ユニバーサルミュージック)/YouTube「土の日ライブ」毎月11日配信。