【第81回】


『キネマ旬報』をバラバラにする
 1992年に埼玉県戸田市から杉並区高円寺へ引っ越す際、大量の本、雑誌を処分した。本は神保町の小宮山書店に買取りに来てもらい、値がつきそうにない雑誌類はごみの日に出した。こつこつ溜めた『キネマ旬報』はその代表で、ごみ集積所の壁の前に100冊以上積み上げた。それはごみ収集前に誰かに持ち去られた。
 俳優や監督の追悼特集号以外、もう『キネマ旬報』を買うこともないし、ストックすることも放棄していた。それでも時々、古本屋や古本市で1冊100円ぐらいなら、ちょいちょい手が伸びる。手が伸びるポイントは和田誠の「お楽しみはこれからだ」連載掲載号。文藝春秋社から随時単行本化(全7巻)されたが、現在いずれも品切れ。文庫化されなかったのは、おそらくサイズの問題だろう。イラストと文章を組み合わせた版面を、半分くらいのサイズに縮小すると魅力が失せる。新しい和田誠ファンなら、マストの物件である。先ごろ、国書刊行会が復刻し、函入りの豪華版(各巻にエッセイを寄せた栞つき)を出すと広告で見たが、元本の値打ちは変わらないだろう。私は全冊を所有し、繰り返し再読する本の最右翼である。
 さらに単行本は持っていても、『キネマ旬報』雑誌サイズの誌面(紙質がここだけ違う)を切り取って額に入れたくなる。ここで各サイズについて確認しておく。
 文庫(標準)A6(105×148ミリ)
 『お楽しみはこれからだ』A5(148×210ミリ)
 『キネマ旬報』B5(182×257ミリ)
 同じテキストでもサイズによって見え方が違ってくることをここで押さえておきたい。
 某月某日、国分寺の裏路地にできた古本屋「早春書店」(国分寺市本町2丁目22−5)の店頭均一棚に、『キネマ旬報』を5~6冊見つけ、和田誠表紙の号を2冊買う。マスクをしているのでばれないだろう(100円の本だけでは悪いという負い目あり)と思ってレジに差し出すと、すでに面識のある若い店主が私だと気付いて「あ!」と声を出した。そこで、言い訳のように「これ、和田誠の表紙でしょう。はずして額に入れるといいんだよ」などと言ってしまう。そういうことがわかるはずの若い店主だが、とくにリアクションはなかった。まあ、いいや。
 さっそく持ち帰り、ホチキス、ペンチを用意し『キネマ旬報』の解体に取り掛かる。太い針金のホチキスで2か所綴じてある(現在はホチキスなしの糊付け)。裏表紙の方からこのホチキスの針を起こし、反対側からぐいぐい抜き取る。言葉で説明が難しいので、イラスト図解をつけておきます。
 ホチキスを抜けば、あとは楽にページをはずすことができるのだ。まずは表紙。次に「お楽しみはこれからだ」連載ページをはずしていく。作業過程で気になった記事も拾い上げるが、解体した資料を保存、活用するのは経験上困難と知っているので欲張らない。和田誠のサルベージに集中する。額(100円均一で購入)に入れて写真を撮ってみましたが、どうです、なかなかいいでしょう。『ザッツ・エンタテインメント』とビリー・ワイルダー特集の号だ。どんどん真似してください。こうなるとつい言いたくなる。「こんなお楽しみもあるのだ」。


野球解説に閉口し、詩魂が降りてきた
 5月17日、ヤクルトと阪神の対戦、神宮球場。これを観戦していたテレビが「スワローズチャンネル」とあって、解説の元ヤクルト(楽天へ移籍)の飯田哲也が、100パーセントヤクルトびいきのしゃべりで閉口する。あんなの解説でもなんでもない。ヤクルトファンの放言にすぎない。たとえば藤川球児(阪神OB)が阪神戦の解説をして、あんな偏ったことを言うか。あきれ果てて途中から音声を消し(もう一語も聞きたくない)見ていたら9回、クローザーの岩崎が打たれ、負けてしまった(のち、ヤクルトファンのための放送と知る)。
 しかし音声を消したおかげだろうか。映像だけ見ていて、急に「詩魂」が舞い降りて6編、「3・3・4行」の短詩を立て続けに書く。つまり10行詩。「100均」で買ってあった「絵本が作れるノート」という手のひらサイズのノートが見つかった。CDケースぐらいのサイズで白い厚紙が14枚。糸綴じのハードカバーで丁寧な作りだ。
 何か書こうと思いながら、うまく使えず、降りてきた詩魂をここに文字で映すことにした。1ページに収まったのがだいたい10行。1ページに1編として、書き始めたら止まらなくなって、あっというまに6編が書きあがった。
 こんなことは古書善行堂が出してくれた詩集『風来坊ふたたび』を書き下ろして以来。ふだんは詩など書かないから、不思議な体験だ。10行が自然に「3・3・4」という行でまとまり、2編書いたところで、これを固定スタイルとする。ここに「4」を足せばソネット(14行詩)だ。ちょうど「赤旗」連載の「オカタケの文学館へ行こう!」で「立原道造ヒアシンスハウス」を書いた記事が届いて読んだからのリアクションだった。立原は生涯100余の詩編を残したが、多くがソネットであった。
 前置きはこれくらいに。連作詩「3・3・4(さんさんし)」と題し、これから時々、気が向いたら掲載していきます。各タイトルは今のところ通し番号のみ。

岬の先 嵐の日
人が来ない場所を選んで
くり返し波が洗う岸辺に立とう
すべりやすい石段を
トラックの荷台に腰かけて
じっと見ている
不思議な力がそこに働いて
生きもののように
波がリズムを作り踊る
心がゆっくりと波とたわむれていく

喫煙喫茶、西荻窪「ビーイン」
 店内の隔離されない席で紙巻きたばこが吸える喫茶店の紹介を続けている。
 週に1度くらいは立ち寄る町「西荻窪」の北口、駅から数分のところに喫茶「ビーイン」がある。同地で知人とお酒を飲んだ後、コーヒーを飲みたくなって立ち寄ったのが最初だ。夜11時まで営業しているので使い勝手がよかった(現在は夜8時閉店)。その時は喫煙せず(吸わない人たちを気遣って)、喫煙可の店とも知らなかった。あとでそうと知り、たまに訪れて喫煙するようになった。
 使い古された表現でちゅうちょするが、「昭和」の匂いをぷんぷん漂わせる喫茶店で、老齢の男性店主が一人できりもりしている。ナポリタン、ハンバーグ、カレーとランチメニューの豊富さで特色を出しているようだ。いつもけっこう席は埋まっています。私はいつもコーヒーのみ。各種新聞、週刊誌が常備される点でも昭和の喫茶店だ。
 店内の印象は「茶」でテーブル、椅子、壁などは木製が基調。レジのある中央を境にカウンターのある奥と、テーブルと椅子の手前でフロアが2分される。灰皿はあらかじめテーブルに置かれ、注文をつけたらすぐ1本火をつける。奥のカウンター内に厨房があり、テレビがけっこう大きな音量でフル稼働し、たぶん有線のBGMが一緒に流れている。ずっと店内で一日いると、マヒしているのだろうがこれは過剰だろう。
 一度、けっこう混んでいてカウンター席に座ったことがある。私と入れ替わりに店を出ようとする若者が、「すいません、お勘定を」と店主に告げたが聞こえてないらしく返事をしない。頭上のテレビがうるさすぎるのだ。しばらく措いてまた「すいませーん」と声をかけたものの、何もなかったように店主はサイフォンに取りついたままだ。すぐ目の前にいる私が「おじさーん! お客さんがお勘定ですよ」と道路の対岸にいる人に呼び掛けるような大きな声を出して、ようやく「ああ」と気がついた。困ったように支払いを待っていた若者は私に向かって「どうも、ありがとうございます」と礼を言った。
 コーヒーの種類も多く、アイスコーヒーもサイフォンで淹れて、そのまま客席へ運び、氷たっぷりのグラスに注ぎ込むなど、その点で申し分のない店なのだが、この「音」問題に改善が求められる。テレビの音量を下げ、アルバイトの女の子(男子でもいいが)を一人雇えば、ずいぶん客側の環境はよくなると思えるが、これは経済の問題。大きなお世話かもしれない。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。