【第84回】


映画『ホモサピエンスの涙』
 リュミエール兄弟の登場以来、耕され尽くされた映画という表現にまだこのような手つかずの沃野が残されていたのか。ロイ・アンダーソン監督『ホモサピエンスの涙』を見ての話である。
 何から説明すればいいか途方に暮れるほどユニークである。全33の短いシーンがいきなり始まり、そして終わる。ほとんどカメラは固定。クローズアップも移動もない。ワンシーン、ワンカット。時々「〇〇の男の人を見た」というナレーションが入るが、ストーリーに関与しない。シーンごとのつながりも一部を除いて無く、目の前にスッと現れた人生のワンショットがごろりと観客の前に転がされ、判断は見る側にゆだねられる。
 共通するのはある種の悲劇あるいはその予兆が提示されることだ。予告編冒頭に掲げられた言葉は「人類は悲劇に負けずに生きていける」だ。信仰を失ったと嘆く神父が診療内科を訪れる。シーンに現れるのは2度で、最初は医者に切々と「信仰を失った」と訴える。2度目の登場では再び心療内科。しかし受付時間が過ぎていると断られる。「バスに乗らなければいけない」と医師。「どうすれば?」と食い下がる神父より医師はバスの時間を優先させる。悲劇ではあるが、何だかおかしい。
 曇り空の下の一本道を捕虜らしい集団が列をなして行進する。両側から護衛するのはロシア兵であろうか。何の説明もなされず、無言のまま列は移動し、話は終わる。学生時代の友人を街で見かけ、声をかけたが無視されたと妻に言う男、ぎゅうぎゅう詰めのバスで「自分の望みがわからない」と涙する男など、この世は悲しみに満ちているようだ。しかし映像はそれをただ淡々と映し、劇的な音楽で盛り上げたり、物語に落ちをつけたりすることはない。「ないないづくし」の果てに、見る者に訴えてくるものは一体何だろうか。
 イラストに描いたのは、沈んだ空気の街が広がり、その上を男女が抱き合いながら漂っているというシーンだ。街は戦禍で廃墟となってしまった。男女は戦争で命を失い、こうして魂となって漂っているのだろうかと考えてみても(おそらくそうだろう)、この映像がもたらす静かな衝撃の説明にはならないのだ。
 近頃の若者が2時間ほどの映画を早送りして見る傾向がある(早く結末だけを知りたい)と聞いて驚いたが、この『ホモサピエンスの涙』など、早送りして見ても、何も残らないだろうと思う。


青森の長距離路線バスに乗った
 梅雨のさなか、6月23と24日、青森へ1泊で行ってまいりました。「赤旗」連載の「オカタケの文学館へ行こう」の取材は、東京および関東近県で済ませるが、たまには地方へと願い出たらすんなり通った。行くならどこか。青森にどうしても行きたい大物が2つあった。そこで、23日が津軽鉄道・金木の太宰治「斜陽館」、24日は青い森鉄道・三沢の「寺山修司記念館」へと決めて、いそいそと東北新幹線に乗った。
 もちろんメインは2つの文学館だが、せっかくだからオプションとして「純喫茶」「古本屋」「路線バス」「駅そば」を体験したいと思っていた。ここでは「路線バス」と「駅そば」の話を書いておきたい。
 今回、取材費はちゃんと出るのだが、安く行ければそれに越したことはないと「大人の休日倶楽部パス」(4日連続有効でJR東日本圏内+対象路線が乗り放題)の2日分を駆使する。価格は1万5270円。私が使う最寄り駅のJR国立駅から、東京駅発東北新幹線「はやぶさ」に乗車し新青森駅までの正規運賃が1万8000円だから、もうこれで元を取ることになる。
 今回は、事前に立てた鉄道乗り換えの綿密なタイムスケジュールを、一度もミスすることなく乗りこなすことができた。私のようなぼんくらな粗忽者にとって、これは大したことなのだ。東京駅7時32分発「はやぶさ」は新青森駅に10時52分着。この朝の東北新幹線は満席だった。「斜陽館」のある金木かなぎ駅へは、津軽鉄道の津軽五所川原へ乗り継ぐ必要がある。JR五所川原と津軽五所川原駅舎は隣接している。
 その点は問題ないが、「大人の休日」使用を優先すると、新青森から奥羽本線の川部で乗り継ぐのが順当だ。ところがタイムスケジュールを立ててみると、川部駅で1時間強待ちとなることがわかった。グーグルのストリートビューで見たら、がらんとした駅前には何にもない。海が近ければ浜辺で波を見てまったりしたり、古い純喫茶でもあれば大歓迎だがそれもなし。ここで1時間待ちはきついです。
 そこであれこれ検索すると新青森から五所川原まで路線バス(弘南バス)が1本でつないでいることがわかった。これはいいぞ。路線バスに乗れる。新青森駅南口バス乗り場11時40分発で五所川原着が12時45分着。所要約1時間で運賃は1060円。JR優先の川部経由だと五所川原着は13時24分だから、バスの方が40分近く早い。結果、予定時間通りに電車利用よりかなり早く五所川原に着いて、町を散策する時間ができた。
 青森県の地図をにらんでいると、川部はずいぶん南にあり、鉄道路線はV字に遠回りしている。おそらくバスは国道7号線から101号線に入って五所川原までショートカットするのではないかと思っていたら、これは違った。奥羽本線から五能線へと、ほぼ鉄道路線に沿う形で運行されるのだった。最初にバスへ乗車したのは私含めて10人ぐらい。途中で乗り降りする客は少なく、バス停もほとんどを停車せず通過でとにかく早い。そしてバス停間の距離が長い。気分は高速バスである。
 天狗立、鶴ケ丘団地、大釈迦北口などバス停の名前も珍しく、「狼野長根」などという難読もある。これは「おいのながね」。ほとんど閑散とした集落や、曲がりくねった峠道を走り、途中店舗はほとんどない。コンビニをこれだけ長い時間、見ないというのは都会では考えられないだろう。時折り寂れたラブホテルが見捨てられたように建っていた。何があるというわけでもないが、1時間の道中はまったく飽きることがない。次々と目の前に飛び込んでくる風景を眺めているだけで、「時間」の流れを実感させる。その間、何も考えていない。
 五所川原に近づくと、さすがに街らしい風情となり、乗り込む客も増えてきた。五所川原駅前に着いたのが、ほとんど予定通りの時間だった。これだけ長距離を長時間走って、ほとんど誤差がないのは、渋滞に引っかかることがなかったからだろう。それより何より、よく考えたら赤信号で停車することも五所川原へ近づくまでは、ほぼなかった。これも快感であった。JRを使えば、払うことのなかった1060円であったが、じゅうぶんにその値打ちはあった。知らない町をつないで走る地方でのバス旅は、ちょっと病みつきになりそうだ。右の写真は「津軽五所川原」駅の改札口。ただし無人。切符は硬券でした。

青い森鉄道「三沢」で駅そば
 2日目の24日は青森駅から正午発の青い森鉄道に乗る。昨日の津軽鉄道に続き、初乗車の鉄道だ。青い森鉄道はもと東北本線の一部路線で、2002年の東北新幹線開通により第三セクターの経営となった。そうか、東北本線時代に乗車しております。青い森になって初めてだ。その名の通り、深い新緑の森の中を進んでいく鉄道。私は「寺山修司記念館」へ行くため、三沢で下車。「寺山」については「赤旗」でたっぷり書くので、ここでは記念館から駅まで戻って、次の電車待ちの間に食べた駅そばの話をする。
 三沢駅は改札からそのまま直結する新しい駅ビルができていた。2階に観光案内所と広いスペースの待合室。1階にも待合室と駅そば「とうてつ駅そば」があった。立ち食いではなくイートインスタイル。券売機で「天ぷらそば」と「いなり2個」というワンパターンの券を買う。カウンターで券を出して席で待つ。厨房を見ていると、いなり寿司は作り置きではなく、注文されてから油揚げに酢飯を詰めている。少し離れた席の女性はカレーを食べていた。これもうまそうだ。
 すぐに注文した品ができてカウンターで受け取るが、「天ぷらそば」に違和感あり。一瞬「たぬきそば」に見えたのだ。かき揚げとは明らかに違い、関西の白く平べったい天ぷらに近い。しかし、エビは入っていないようだ。天かすを寄せ集めた白い島、という印象だ。

 いなり寿司には福神漬けの小片が乗せてある。なんだか可愛らしい。そばは茹で麺の作り置きで柔らかめ。高齢者は噛まずに済むだろう。汁は「黒」ではなく、これも関西ふうの薄い色。丼一面に広がった天ぷらの破片が大量の油を浮かせている。食べたら「あ、熱い」。この熱さが最後までキープされたのも油のせいだろうか。いや、これはこれでおいしいです。
 胃に達した汁がキープした熱さを伝え、存在を主張している。いなり寿司はあっさり優しい味。駅周辺で他に食べるところは少なそう。それだけに三沢「とうてつ駅そば」はしっかりと存在感を示している。
(写真とイラストは全て筆者撮影、作)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。