岡崎 武志
第33回 『怒りの葡萄』とルート66
この歳になって、世界文学の名作であるスタインベック『怒りの葡萄』を読む日が来るとは、その日まで思っていなかった。自分でも驚いている。なお、発表の1939年の翌年に、ジョン・フォードの手で同名映画化。主演はヘンリー・フォンダ。私はずいぶん以前にテレビ放送を見ているがほとんど覚えがなく、原作を手に取ることもしなかった。
きっかけはNHKのテレビ番組『映像の世紀 バタフライエフェクト』の2024年6月10日分放送「ルート66」を見たことにあった。副題が「アメリカの夢と絶望を運んだ道」。辞書的解説を加えれば、ルート66はイリノイ州シカゴからカリフォルニア州サンタモニカまで8州をまたぐ全長3755キロの横断道路で、1926年に国道指定され1985年に廃線となり地図上からは消えた。日本列島が南北1500キロと言われるから、往復するよりまだ距離が長い。
『バタフライエフェクト』の「ルート66」について、ざっくりと内容を同番組ホームページから説明しておく。
「1926年開通したルート66は、人とモノの大陸横断を可能にし、アメリカのダイナミズムとなる。30年代、巨大な砂嵐に故郷を追われた中西部の人々は、道の終着点・カリフォルニアを目指した。50年代、ファストフード、モーテルなどロードサイドビジネスが生まれ、戦後の繁栄をアメリカ中に行き渡らせた。60年代には、大人たちにNOを叫ぶヒッピーが聖地カリフォルニアに向かった。アメリカの夢と絶望を運んだ道の物語」
私には知らないことばかりで大いに啓発され、メモも取ったが、ここでルート66を象徴する物語として『怒りの葡萄』が紹介されたのだ。以下、走り書きのメモをもとに。
1930年代にアメリカ中西部を「ダストボウル」と呼ばれる大砂塵が襲い、農業は壊滅的被害を受ける。家のドアや窓を閉めても、あちこちから砂粒が入り込み、テーブルの上に溜まった砂を指でこすると跡がつく映像が流された。『怒りの葡萄』のジョード一家はまさしく中西部オクラホマ州サリソーに住む農民で、この「ダストボウル」と、大型農業機械導入の資本家たちの手により仕事を失う。
ちょうどカリフォルニア州では、大規模農業による果樹園が繁栄にあり、働き手を優遇募集する告知をしていた。明るい西の光と広大な農地、高い賃金と安定した生活。「夢のカリフォルニア」だ。一家は家財道具をたたき売り、中古のボロ車を買い込み、一切合切を積み込んで西を目指すためルート66の路上の人となる。『怒りの葡萄』は、歴史的背景を綿密に踏まえた長編小説で前半はカリフォルニアへ向かう苦難のロードムービー的体裁を見せるのだ。
2人のフォンダと苦難の旅
私が「オッ!」と思ったのは番組半ば、映画『イージー・ライダー』(1969年)について触れたところ。2人の反体制的若者がバイク(ハーレーダビッドソン)でメキシコからサンフランシスコへ旅をする。この道中がルート66であった。つまり『怒りの葡萄』とは逆コース。そして2人うちのキャプテン・アメリカを演じたのがピーター・フォンダ。映画『怒りの葡萄』の主人公トム役ヘンリー・フォンダの息子であった。
そんなこんなで『怒りの葡萄』を急に読みたくなった。所持している気もしたが探すのは最初にあきらめ、うまい具合に駅前の「ブックオフ」で新潮文庫版の上下巻を各150円で発見し、近くのカフェですぐ読み始めた。訳は当時、英米文学をミステリから純文学まで幅広く大量に翻訳した大久保康雄。なお、現在は伏見威蕃による新訳が新潮文庫から出ている。
殺人のため服役し、4年ぶりに保釈で故郷へ戻ったトムは、農地は荒れ果て、ゴーストタウンと化す光景を目にする。途中出会った元説教師のケイシイ(表記は上掲の新潮文庫版)から、4年の不在期間にあった出来事と西を目指す目前の実家の事情を知らされる。久しぶりの再会を喜ぶまもなく、ルート66の長い苦難の旅が始まる。
一家はトムと同名の老いた父トム・ジョードを始め、肝っ玉おっかあの母親、祖父母、ジョン伯父と息子のノア、次男のアル、幼い妹弟のルーシーとウィンフィールド、身重の長女ローザ(「シャロンのバラ」と呼ばれる)、その夫コニー、そして客分として同行することになったケイシイを加え13名の大所帯。車は中古のボロの上、炊事道具や食料、13名をしょいこみ、どう考えても日本列島往復+αの距離は持たない気がする。
事実、故障を繰り返すトラックによる所持金ぎりぎりの過酷極まりない旅となり、途中、祖父が死亡する。しかし、届け出れば費用その他のリスクがかかるため、死体は土を掘り埋められる。タフなおっかあはつねに一家を鼓舞する存在として描かれ、老父ジョードはほとんど出番がない。映画でも、アカデミー賞の監督賞のほか、母親役のジェーン・ダーウェルが助演女優賞を受賞。ヘンリー・フォンダとは『荒野の決闘』で再び共演。日本で言えば東山千栄子といった役どころか。
車がエンコし、一家分裂の危機に遭った時、気弱な男どもの尻を叩くのはこの母親だ。
「この世で、あたしたちに残されたものって、何があるだかね? 何もねえだ。ただ、あたしたちだけさ。ただ家族があるきりだよ。あたしたちは土地を離れてきた。じいさまは、もう土の下へはいっちまった。そしていま、おまえは家族をばらばらにして────」
じつは一家がカリフォルニアにたどり着くのは上下巻の「下」巻終わりごろ。さっさと新天地への記述を始めればいいものを、スタインベックはあわてずルート66の大移動に筆を費やす。この艱難辛苦を読者に味わわせることが、『怒りの葡萄』のテーマの一つだったと読んでみて初めて知った。そして、ようやくたどりついた「夢のカリフォルニア」は?
(次回へ続く)
(写真は全て筆者撮影)
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┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
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