獅子文六は通俗作家と言われる。
通俗小説の特徴とは何だろう?
大衆が求めるものを提供し、それ以外のものを押しつけない。
文章は平易、登場人物は類型、筋書は多分に御都合主義。
わたしが今思いつくのは、そんなことだ。
『てんやわんや』『自由学校』『悦ちゃん』『バナナ』といった獅子文六の人気作品はみなこうした特徴を持っている。もっとも、その骨格に自ら作者独特の観察や、ユーモア、諷刺などがまといついて、個性となり魅力となる。これらの作品が近年復刊され、意外な人気を博したのも、そのためだろう。
しかし、上に挙げた作品は結局のところ一時の娯楽を供するにすぎず、読み終われば心はすぐによそへ移る。
『大番』という小説は少しちがう。昔の新潮文庫で上下二巻、千ページを越える大作で、それをいっきに読ませてしまう面白さは、まさしく通俗小説の鑑といえるが、読後に深い余韻が残るのだ。
『大番』は、一口にいうと相場師の一代記で、満州事変前夜から戦後復興期に至る兜町の様子を活写した社会小説でもある。
主人公の赤羽丑之助は四国の田舎に貧しい百姓の倅として生まれる。
土地の富豪・森家の令嬢に憧れ、ふとしたはずみで付け文を渡してしまったため、村にいられなくなり、運試しに東京へ出る。そして日本橋の蕎麦屋へ知人を訪ね、蕎麦屋の紹介で兜町の株屋の小僧となる。
丑之助は背は低いが、首が太く、服は大番でなければ着られない巨軀の持主。ニキビ面で「お盆に目鼻」の顔立ちだが、妙に愛嬌がある。教養もデリカシーも皆無だけれど、率直で人に好かれる性格、抜群の体力と記憶力、自由な発想と鋭い勝負の勘に恵まれている。
物語は彼が一人前の株屋に成長する過程を、小気味よく追ってゆく。
現物屋の小僧から「サイトリ」になり、小金を貯めて大相場を張る。儲けては負け、負けては儲け、ついに自分の店「マル・ウシ商店」を構える。
彼はたくさん金を儲けて、いつか森家のお嬢様のような美人を「カカにもらおう」と思っている。それまでは結婚すまいと決めたが、愛人を持つのはOKだ。
相場を休んでいる時の彼の道楽は女遊び。もとは待合の女中で、姉さん女房のように丑之助に尽くすおまきさんをはじめ、芸者、看護婦、キャバレの女、経済新聞の婦人記者と次々に「コレクション」を増やしてゆく。
戦後の株式ブームに乗って会社は絶好調。株の”常勝将軍”として時の人となった丑之助は、外車を買い、ゴルフクラブに入り、美人秘書を雇い、果ては会社の新年会に愛人を一堂に集めて見せびらかす、とやりたい放題。
これ以上ないほどに俗っぽい主人公だが、物語は俗に堕ちない。全篇を悲劇の糸が貫いているからだ。
丑之助の人生を突き動かす大元の力は、森家の令嬢・可奈子への無限の渇仰だった。郷里四国で月光の下に見た彼女の美しい幻が、丑之助の胸から消えることはなかった。
可奈子は伯爵家の次男で海軍士官の有島友房と結婚し、東京の目黒に住んでいた。ところが、夫は戦死し、終戦後、森家も有島家も没落。家も財産も失った可奈子は唯一残った大磯の別荘に住み、生活のために働きはじめる。
丑之助は老女お辰を通じて可奈子のために色々と尽力する。可奈子は亡夫への貞節だけに生きる氷のように冷たい女になっていたが、丑之助にはますます気高い女神のように思われる。
けれども、彼の気持ちは結局とどかない。丑之助が彼女と結婚したいという野心を抱きはじめると、冒瀆された女神が怒るように可奈子は彼の援助を厭い、わざと不摂生をして、肺病で死ぬ。
どんなに思っても報われない身分違いの恋の物語が『大番』である。
獅子文六の他の小説と同様、『大番』にも、さまざまな食べ物が描かれる。
たとえば、丑之助が実家で毎日食べていたカンコロ飯。
おまきさんの待合ではウニ豆をお替りする。
彼は、ツキダシのウニ豆を、バリバリ、食いながら、おまきさんに、訊いた。
こんな、小さな待合に遊びにきても、お客というものは、虚栄心が強く、イキがったり、通がったり、気前を見せたがったりするのを、おまきさんは、いやなほど、見ている。知らないことでも、知ったか振りをするのが、客の常なのに、丑之助が、誰でも知ってるウニ豆なんかの名を訊いて、悪びれもしない態度を、気持よく思った。しかも、あんなものを、三度も、お替りする客は、見たこともなく、印象に残らざるを得なかった。(同213頁)
中国大陸を戦雲が覆いはじめる頃、強気の相場を張って大損した丑之助は、田舎に帰る。百姓をしようと思ったが、自分にはとても勤まらないことがわかり、イリコや炭の闇取引を始める。初めは四国と大阪を行き来していたが、のちには大阪に逗留し、稼ぎながら大いに遊ぶ──いつか時節が到来し、もう一勝負しに東京へ戻るまで。
大阪時代は作品の重要な部分なので、作者は十分用意をした。
随筆「神戸と私」によれば──
しかし、わたしが一番興味を惹かれたのは、丑之助がヤミ屋仲間の家で酒を飲む場面だ。
茨木忠吉が、阿波座の彼の家に、丑之助と稲川を招いて、一ぱい飲み始めた時のことであった。
家といっても、標札が十枚ぐらい列んでいる路地の奥に、四尺ぐらいの狭い入口を入って、細長い土間に沿った小部屋に、三人が、鍋を囲んで、酒を飲んでるのである。次ぎの間には、赤ん坊を背負った細君が、針仕事をしてるし、三人ほどの子供が、寝そべって、雑誌を読んでいた。ヤミ商売で、ずいぶん儲けてる男の住居とは、夢にも思えぬ、貧乏たらしい風情だった。そして、鍋の中で、グツグツ煮えてるのは、この土地で半助と呼ぶ鰻の頭と、焼き豆腐であり、他には、塩コブと煮豆が、出てるだけだった。(『大番』下 新潮文庫版 99-100頁)
これは一体どこに行ったら食べられるのかと思って、関西の友人に訊いてみた。友人は自分も食べたことがないと言うが、良いことを教えてくれた。小松左京と石毛直道の対談集『にっぽん料理大全』の「うなぎ」の章に、次のようなやりとりがあるのだ。
石毛 : 知ってる。
小松 : ウナギの頭だけ売っている。それを買ってきて焼豆腐といっしょに煮るとダシが出る。
石毛 : 東京流のウナギの焼き方だと頭を落として焼く。関西は頭をつけた長焼きだから、売るときに頭にもすでにタレがかかって焼いてある。それを頭だけ落とすわけだ。
小松 : そうそう。そうするとタレがしみているから、それだけで焼豆腐と炊くと味が出るということなんだな。そのだしがらをネコが食う(笑)。
(前掲書 岩波書店 31-32頁)
上方落語に「遊山船」という話がある。
ちょうど江戸落語の熊さん、八っつあんに相当する喜六と清八の二人が、天神祭の夕、難波橋へ涼みに行って、川を行き交う船をながめている。
通りかかった屋形船が障子を開けると、赤い毛氈を敷いた中の様子が見える。芸者がおり、舞妓がおり、幇間がいて、仲居が板場から料理を運ぶ。生姜の乗った卵焼きが来て、次に鰻が来た。
清八は、うちの鰻と形がちがう、うちの嫁さんが出すのは丸いコロッとしたものだというので、「そら半助や」と喜六。清八は生まれて二十八年、鰻の胴を食べたことがない。「死ぬまででええさかい一度胴に巡り合いたい」となさけないことを言う。
大体半助というものは、包丁で切って捨てて、高下駄でポンと蹴るものだ、と喜六は教える。つまり「放るもん」なのだが、清八の「嫁はん」は夏場の精力補強のため、夫に食べさせていたのだ。
そういえば、以前、新宿西口の「思い出横丁」──通称「ションベン横丁」──で鰻の頭を食べたことを思い出す。そこは蒲焼に使わない部位を串焼にして食わせる店で、キモ、ヒレ、クリカラ、カブト(頭のこと)などを肴に酒を飲んだ。
久しぶりで、またあそこへ行ってみよう。
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文/南條 竹則(なんじょう・たけのり)
1958年生まれ。東京大学大学院英語英文学修士課程修了。作家、翻訳家。
『酒仙』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。以後、幻想小説、温泉、食文化への関心が深く、著書も多い。主な著書に、小説『魔法探偵』、編訳書『英国怪談珠玉集』など多数。
絵/橋本 金夢(はしもと・きんむ)