岡崎 武志

第35回 思いがけず八木重吉の全集を1冊買った話

 場所はいつもの高円寺にある西部古書会館の即売会(古書市)である。私の文章を読んで下さる方には説明不要かと思うが、ふだんは古書業者が利用する市場会場が、月に2,3度、一般客に開放され古書市が開かれる。神田小川町、五反田にも古書組合の市場があり、回数は異なるが、同様の催しが開催されている。
 上京してからしばらくたって、その存在を知り、世の中にこんな楽しい場所があるのかと3カ所をはしごしていた時代もあるが、ここ10年ぐらいは、ほぼ西部だけに足を運ぶ。中央線沿線族として便利、ということもある。7月27日(土)は「中央線」展。安く買える日で、11冊を買って1650円。これだけ買うと満足感がある。なかでも、いい買い物をしたのが筑摩書房刊の『八木重吉全集 第二巻』。いかにも全集の筑摩らしい、堅牢で瀟洒しょうしゃな造本、本体クロス装、函入りでずっしり重い。
 八木重吉については、すでに旺文社文庫版や、ちくま文庫の2巻本『八木重吉全詩集』ほかを所持しているから、余計といえば余計な買い物である。しかし、これが150円というから「余計」のハードルを飛び越してしまった。こうした不要不急の買い物は、たいていすぐにページを開かず、蔵書の海に吸い込まれているところだが、なぜかこれはしばらくソファの近くにあって、毎日のように日に何度も開いては数ページを読むことを続けた。
 普通に読むなら、ちくま文庫版あるいは小学館「永遠の詩」シリーズの八木重吉の巻などが軽いし便利だ。ちくま文庫版は約200グラム。函からの出し入れという手間もいらない。となると、重いし函つきの全集は「不便」であるが、今回はその「不便」を読書のツールとして楽しんだ。
 世の中の動きが「便利」を追求し甘受することを止めようもない。本はネット通販で購入し、あるいは配信されたテキストをスマホで読む。私はそのことに難癖をつけたり、止めようとするわけではない。しかし、『八木重吉全集 第二巻』を脇に置いて、時々函から出して読むことにも読書の喜びを覚えたのである。それは活字がびっしり詰まった長編小説ではないのも功を奏した。八木重吉の詩はどれも短く(2行から5行ぐらいのものが多い)、言葉も平易であるのが特徴だ。つまみ読みするのにぴったりだ。

 八木重吉(1898~1927)は夭折した詩人で、生前は無名であった。東京都町田市相原の生まれ。師範学校を卒業し、兵庫県と千葉県で教壇に立った。キリスト教の洗礼を受け、結婚し2人の子どもも持った。生前に刊行された詩集は2冊。そのまま地に埋もれて不思議ではなかったが、人々の胸深く訴えかける真摯な問いかけが人気となり、筑摩書房で新旧の全集と各社より選詩集が多数世に出て、読者が絶える気づかいはない。

八木重吉でしかありえない詩の世界
 よく知られた作品を全編からいくつか挙げる。
「わたしの まちがいだった/わたしのまちがいだった/こうして 草にすわれば それがわかる」(「草に すわる」)
「秋になると/果物はなにもかも忘れてしまって/うっとりと実のってゆくらしい」(「果物」)
「この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美しさに耐えかね/琴はしずかに鳴りいだすだろう」(「素朴な琴」)
 これらは作品としてかなりまとまった、誰にでもその良さが感受できるだろう。重吉が短い生涯に残した作品は3000と言われ、なかには表現以前とも思える、ただそこに置かれただけのような作品もあるのだ。
「へびが/でるかとおもうと/原っぱはこわい」(「へびがこわい」)
「めを つぶれば/あつい/なみだがでる」(「涙」)
「まつの/たんこぶは/さびしい」(「まつのたんこぶ」)
 単品でそれだけ取り出して、目の前に差し出されると、これが詩かと疑いたくなる。素朴すぎて、ちょっと挨拶に困るような詩編もけっこう混じるのだ。
 しかし、繰り返しになるが、どれも短いためいきのような作品を、まとめて目で追っていくと、それらノートの切れ端のような詩編もわりあい素直に心に映っていく。そのことを不思議だと思う。誰も他人が聞いていない、独り言のような詩が、読書は一人でするものだから、直接、自分に話しかけられているような気がするのだ。
 全集第二巻の最初に置かれた第二詩集『貧しき信徒』は、重吉の詩業のピークを示すと思われる。
「花がふってくると思う/花がふってくるとおもう/この てのひらにうけとろうとおもう」(「花がふってくると思う」)
「つまらないから/あかるい陽のなかにたってなみだを/ながしていた」(「涙」)
「こころがたかぶってくる/わたしが花のそばへいって咲けといえば/花がひらくとおもわれてくる」(『秋』)
「ひかりとあそびたい/わらったり/哭いたり/つきとばしあったりしてあそびたい」(「光」)
 ほとんど童心に近い魂のありよう、自然とたわむれつつ同化しようとする心のスタンス、ひらがなの多用と独特のリズム。こうして並べると八木重吉でしかありえない詩の世界だと思えてくる。簡単な言葉の羅列ながら、けっして真似はできない。
 無技巧のように見えて、たとえば「花がふってくると思う」では、1行目は「思う」で、2行目は「おもう」とひらがなに開いている。「涙」においても2行目、普通なら「あかるい陽のなかにたって」で切って、3行目に「なみだ」を行替えして「なみだをながしていた」と流す方が自然かと思うが、そこに一種の抵抗を加える。
 短い詩であるからこそ、これら些末とも思える技巧が、書かれている以上のことを主張してくるのだ。
 1回で書き終えるつもりだったが、やっぱり持ち越すことになった。以下次号へ。
(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。