第36回 八木重吉記念館へ行ってきた
一人の著者と本を通じてしばらく集中してつきあっていると、だんだんその人が自分になじんでくる。この感じ、読書の楽しみの一つというしかない。八木重吉も150円で買った全集第二巻(筑摩書房)、もとから持っていた『八木重吉全詩集』全2巻、それにガイドブックとしてフォレストブックス編集部『重吉と旅する。 29歳で夭逝した魂の詩人』(いのちのことば社 フォレストブックス)をいつも近くに置いていた。『重吉と旅する』は生涯と作品を、写真とイラストを多用して紹介するビジュアルブックでよくできている。2017年の刊。「重吉の生まれた町」というページでは、生家と生い立ちについて説明がある。「東京府南多摩郡堺村相原(現・東京都町田市相原町)の農家の次男として生まれました。重吉が生まれた当時の堺村は、低い山々に囲まれた辺鄙な寒村」で、「家の近くには境川が流れ、重吉は豊かな自然の中で育ったのです」とある。生家の土蔵を改装した「八木重吉記念館」と周辺の写真もある。
これを見ていると、無性に現場へ行きたくなった。場所はそんなに遠くない。電車とバスを使って自宅最寄り駅から1時間くらいか。ただ、「記念館」ホームページを検索すると、現在、完全予約制で、しかも水曜日のみの開館、2週間前に指定の申請書を出して連絡を待つという手続きが必要だ。管理者がご高齢の上、案内する人への依頼も必要でやむなく取られた措置らしい。記念館存続のためにはいたしかたない。
ただ、それをしているとこの原稿に間に合わない。見切り発車で、とりあえず現地に立つことを優先させ台風接近で雨続きの8月末、どうにか曇りで雨を回避できる日を選び家を飛び出した。『重吉を旅する』には「町田街歩き」として、記念館のある相原町のうどん屋と、相原駅から徒歩2~3分の和菓子店「明月堂」の案内がある。後者には重吉の詩「心よ」にちなんだ「こころ最中」が販売されている。駅からここまで歩き、「こころ最中」を買って、店から近いバス停「相原」から記念館近くの「大戸橋」までバスに乗ろうと考えた。
私が愛用する『でっか字マップ』(昭文社)シリーズの『東京多摩』版には、「明月堂」と近くに「サイゼリア」の表示が。ここで昼を食べよう。ところが、時間の経過は変化をもたらす。相原駅から線路沿いに南下、地図にある「いなげや」(大型スーパー)の角から町田街道へと心づもりしたが、「いなげや」は撤退し更地に。「明月堂」を訪ねると、「こころ最中」はもう販売されていないとのこと。手ぶらで店を出るわけにいかず「すあま」を2つ。ついでに「サイゼリア」のことを尋ねると、「なくなってしまいました」という。ううん、ちょっとがっかり。
八木重吉生誕の地に立つ
それでもとにかく八木重吉記念館までは行ってきた。相原停留所からバスは相原駅に戻って、町田街道を西進、法政大学へ回ってとすんなりは行かず20分強で最寄りの「大戸橋」停留所へ。道路を挟んで、草に覆われた段丘の上に記念館はあった。ちゃんと矢印の看板があり見落とすことはない。草に埋もれた八木重吉生家(と書かれてあると思う)と刻まれた石碑がある。正面に母屋、敷地にはほかに2棟建物が建ち、それとは別に白壁の蔵が奥に見えて、これが記念館だ。あたりを背の高い樹々がうっそうと茂り、蝉の声もするものの、風が吹き抜け大変涼しい。館内へは入れなかったが、私は十分満足した。ここで生まれ、ここで育ったのだと八木重吉を思うには十分だ。
町田街道の南を東西に流れる境川は、まさしく町田市と神奈川県相模原市の市境を流れている。「はつ夏の/さむいひかげに田圃がある/そのまわりに/ちさい ながれがある」と「水や草は いい方方である」に書かれているのは境川だろう。田中清光編『八木重吉文学アルバム』(筑摩書房)によれば、当時の堺村は「八王子へ出るには峠越えの山道を歩かなければならないという鄙びた山村であった」。重吉10歳の頃、八王子と東神奈川間に鉄道が通り、相原駅も出来たという。現在でも山がすぐ裏に迫り、川がそばを流れる風景は変わらず、重吉の情操はこの自然の中で培われたのだ。「心のくらい日に/ふるさとは祭のようにあかるんでおもわれる」(「故郷」)という詩もある。
ところで八木重吉の詩がみな短い作品であることについてだが、一つには重吉が詩を書き始めた1920年代、アヴァンギャルド運動の一形態として短詩が流行した。「軍港を内臓している」(「馬」)の北川冬彦を始め、「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」の安西冬衛、尾形亀之助など、いずれも短い詩を盛んに書いた。ここには啄木の短歌の分かち書きも反映しているかもしれない。
しかし、重吉の場合、これら少し奇をてらったような前衛詩とは違い、そうなるべくしてそうなったという自然さがある。そこに加えてカトリック教徒として、神への祈りという側面もあった。死を意識してからは特にそうだった。
「自分が/この着物さえも脱いで/乞食のようになって/神の道にしたがわなくてもよいのか/かんがえの末は必ずここへくる」(「神の道」)
また、肺結核による重い闘病に蝕まれて、長い呼吸や集中力が続かなかったという肉体的条件も詩を短くさせた。「ひかりに うたれて/花がうまれた」(「光」)などは、4・4・7の音数で俳句より少ない字数である。重吉は妻とみとともに、紙を閉じてリボンで結んだ手製の詩集を多く残した。それらは筆で文字と、ときに絵も添えられ、1ページに多くの字数で埋めることが制限された。ひと目で見渡せる作品を自然に選んだのかもしれない。『八木重吉アルバム』の「絵入り詩稿」を写真図版で見ると、たいてい1ページに3行とか、長くても7行ぐらいの作品で完結している。
これらが今に残されたのは、重吉亡きあと、とみ夫人が吉野秀雄宅に入り(のち再婚)、空襲を受けながらも手作り詩集および手帳やノートを守ったからだった。
記念館へのアプローチに半ば草に覆われながら「素朴な琴」の詩碑があった。最後にこれをもう一度引いておこう。
「この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美くしさに耐えかね/琴はしずかに鳴りいだすだろう」
「本を読む楽しみって何だろう」
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岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。