
岡崎 武志
第42回 たまに読みたくなるのが内田百閒

今回、ちょっと書いておこうと思ったのは、福武文庫版の随筆集『間抜けの実在に関する文献』が面白く、これを通読したからだった。2008年刊の『別冊太陽 内田百閒 イヤダカラ、イヤダの流儀』(平凡社)を引っ張り出してきて、傍らに置きながら、以下、おそるおそる筆を進める。同著表紙帯に大書された執筆陣8名のうち、阿川弘之、赤瀬川原平、池内紀、古井由吉の4名がすでに鬼籍の人となり、まあ、もういいかの気持ちもあるのだった。
内田栄造百閒(1889~1971)は岡山市内の造り酒屋の子として生まれ、早くに漱石始め文学に親しみ、百閒は若くしてつけた俳号。郊外を流れる「百間川」にちなみ、「百間」と号した時代も。まあ、こんなことはどこにでも書いてある。いちおうの呼び水として記しておく。


のち福武文庫から1980年代に、2000年代に入ってちくま文庫から、それぞれ全集に近い巻数の文庫化があった。もちろん1970年代の全10巻の全集(講談社)などを無視しているわけではない。しかし、手軽手頃に読める文庫が読者を増やしたことは間違いないはずで、ここは文庫に限って話すのだが、内田百閒需要は息が長いと言えそうだ。長寿(享年81)だったことも影響しているだろうが、何よりも余人がその領域を侵しがたい独自の面白さがあったからだと私は考えている。
幻想的な小説も書いたが、領域のほとんどが随筆であり、小説以外の分野でこれほど長期間、広範囲に読まれた作家はちょっと他に見当たらない。『別冊太陽』は帯に「随筆の神さまに会える」と銘打ったが、これは過褒ではない。小説でも詩でも戯曲でも評論でもない文芸ジャンルにおいて、圧倒的完成を遂げたのが内田百閒だった。
うら若き女性が、うるさ型の読書好きおじさまに「好きな作家なんているの?」(村上春樹や東野圭吾だろうと高をくくっている)と問われた際、「わたし、内田百閒が好きなんです」と答えてごらん。まちがいなく鼻の下を伸ばして喜び「お昼ご飯をごちそうするよ」と言うはずだ。言わなくっても責任は持ちませんよ。

間抜けの実在に関する文献
「随筆」というジャンルがわが国で「枕草子」「方丈記」「徒然草」と、古くから文学として定着している。ただし「随筆」と、現在我々がイメージする意識はなかったはず。「徒然草」の冒頭「つれづれなるままに日ぐらし硯にむかひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば」は、「筆に随う」という「随筆」の意味を体現して後世へ多大な影響を与えたと言えるだろう。
ただし、ただ心に思いついたことをそのまま文章化する、と取るのは間違いで、随筆が事実を材料とするにしても、作品化する意識はつねに働く。ときに虚構さえ混じる。そうでなければ、ただの作文だ。一流の随筆作品には結構を含めた作為が働き、その妙を楽しむものなのである。その点で、たしかに内田百閒は「随筆のかみさま」と言えるだけの実質を備えている。

次に「私」(作品の中では「青地」)への借金取り立ての話となる。いきなり借金の督促があり「三百何十円」かを作らなければならない。ところが、これは「私」の借金ではなかった。同じ下宿にいた中村という男が、いきなり部屋へ入ってきて「一寸印のいる事があるんだけれど、君のこれを貸してくれないか」と強引に認め印を持ち出し、どうやらそれで高利貸しから金を借りたようなのだ。高利貸しの督促で初めて分かった。
そのことを聞いた、先の瀬川の言いぐさがふるっている。
「どうもこれは驚いた。自分の印を、用途も確かめないで他に貸すと云う法があるもんか。間抜けと云うものが実際世間に実在する事を僕は今始めて知った。間抜けは単なる観念でもなく、空想でもない。現在目のあたりに実在するんだね。どうも驚いた」
しかし、このあとさらに瀬川の失敗談が語られ、「間抜け」の大将のような男に「間抜け」呼ばわりされるおかしさ。もちろん作者はそのことを意識して作品に材料を練り込んでいる。これが「作為」だ。
金貸しの老婆の家を訪ね(同姓の家へ行くという失敗)、応対に出た娘がしゃべる言葉が「あ、青地たんれすか、どうど、たら今」と舌足らずで「何となく道を横切った鼬の顔に似て、ちらくらしている」ところから「ちらくら娘」と名付けられる。借金の言い訳をするだけの話が、このあたりから妙にドラマ仕立てとなるのだ。
読んだ者は、粗忽な瀬川や、この不思議な「ちらくら娘」を頭から消し去ることができなくなる。とても「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書」くレベルの叙述ではない。不合理な災難を喜ぶかのように受け入れ、一種の幻視を含めた作劇法で随筆とも小説とも言いがたい、百閒ならではの味わいを文章に仕立てていく。その調理法は、とても真似できない。他の作家にもいない。
だから百閒は今にいたって読み継がれるのだ。
(写真は全て筆者撮影)
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┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
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