岡崎 武志

第43回 片岡義男『スローなブギにしてくれ』を読む


「本の雑誌」2014年12月号特集が「あの頃、君は読んでいた。」。企画の1つ「紅白懐ノベ合戦!」座談会に出席した。要するに、若き日に夢中になった小説について語ろうという趣旨だ。参加者は私のほか、堀井憲一郎、柴口郁子といずれもフリーライターの3名。年齢的に堀井さんが1つ上、柴口さんがちょい上だが、ほぼ同年代を生きてきた。
 座談会の準備として、本棚からいろんな本を引っ張り出してきて、足りないものは古本屋を巡って現物を揃えた。くわしくは同誌を読んでもらうとして、これははずせないと思ったのが片岡義男だ。私は夢中になって読んだというわけではないが、バランスとしてピックアップしたのだった。1970年代末から80年代にかけて、角川文庫のプッシュで人気作家となった。最盛期、角川文庫の赤い背のカバーでいったい何冊出ていたか。70冊以上は間違いなくあったと思われる。
 ブックオフ開業の1990年代、文庫棚に角川文庫の横溝正史の「黒」と、片岡の「赤」がやたらに目立ったものだ。ところが、この10年くらいか、両者とも棚からほぼ消えている。1つには、ブックオフの端末による総合管理が進み、バーコードのない本はどんどん排除されている。かつては50年代、60年代に出版された各種文学全集の端本が置かれていたが、いまやまったく見当たらない。まあ、それはいい。
 そんなわけで片岡義男『スローなブギにしてくれ』を座談会へも持ち込み、ついでに表題作(短編5編を収録)を読んでみた。ところどころ私による線が引いてあり初めてではないらしい。同作は『野生時代』1975年8月号が初出で、1979年に文庫化、1981年に藤田敏八監督により映画化され、南佳孝による主題曲もヒットし、一躍、片岡の名が知れ渡る。私が所持する文庫は1984年8月の版で25版も増刷を重ねている。
 ざっと中身を説明する。7月日没に近い時間、ゴローという18歳の高校生が第三京浜を東京に向かってバイク(ホンダCB500)を走らせている。いでたちはポマードのオールバックのヘア、ジーンズ、ミッキーマウスのTシャツにジャケットを着こんでいる。白いムスタングが後方から現れ、CB500すれすれに通過、窓からネコが放り出される。頭にきたゴローはネコを保護し、ムスタングを追跡。追跡行は続き、またもやネコが放り出され、最後に路上に転がり落ちたのは一人の少女だった。ネコが異常に好きな彼女の名はさち乃。ゴローと同じ18歳。短編「スローなブギにしてくれ」は、ゴローとさち乃、そしてネコの奇妙な関係をさらりと描く。
 典型的なボーイ・ミーツ・ガール小説でありながら、片岡の描写には甘さも重苦しい心理描写もない。軽い、というのともまた違う。独特の浮力感で、これまでの近現代日本文学にはない小説の世界を切り開いたのだった。片岡義男から小説を読み始めた若者が、ほかの日本小説に手を出したら、「面倒なことをちまちまと書いているなあ」と放り出したくなるのではないか。
新しいスタイルのバイク小説
 もう1つの新しさは、これがバイクというメカニズムを正確に文章化した、ほとんど日本初に近い(大藪春彦に先例あり)「バイク小説」であったことだ。同著の5作品には、いずれもバイクもしくは車が登場し、大きな存在感を示す。「スローな」(と略す)ではこんな感じ。
「サイドスタンドを蹴りとばしながらアクセルの開閉をくりかえし、ふりかえって後続車のタイミングをとらえ、ぽんとクラッチをつないだ。/排気管から爆音がひと噴きしたとき、少年のまたがったCB500は、中央の車線に飛び出していた。/直進できる位置に自分をきめ、早いけれども正確なタイミングで、一速の五〇〇〇回転から四速にかきあげた」
 ここには、人間と同じ比重でオートバイが置かれ、まるで生き物のように表現された文章がある。新しい文体の創出だった。日本文学の文章は、こうしたマシンの操作と人間が一体化するプロセスを叙述するようには鍛えられてこなかった。下手をすると家電製品のマニュアルみたいな文体になってしまう。片岡義男は体験した一連の動作をリズミカルに文章化し、原付しか乗ったことのない私にも快感がある。バイク乗りにとってはなおさらだろう。
 思えば、この小説が書かれた1970年代半ばあたりから、日本のモータリゼーションの伸張の中にバイク人気が登場する。石井いさみのマンガ『750ライダー』(「週刊少年チャンピオン」)の連載開始が1975年。主人公の早川光は、「スローな」のゴローと同じ高校生(2年生)で、ホンダ・ドリームCB750が愛車だった。爆音をまきちらしながら違反走行を集団で繰り返す「暴走族」の出現もこのあたりからか。
 彼らはなぜ死の危険と背中合わせに大型バイクに乗るのか。その心理的社会学的考察をここでしようとは思わないが、「スローな」に見えるのは若者の「退屈」である。
 ネコをもらいに行くというさち乃を乗せて、黒磯まで夜中に飛ばしたゴロー。後ろに乗せたさち乃とのやりとり。
「『退屈だから、いいことしてやるよ』/片腕をうしろにまわし、さち乃の胸といわずわき腹といわず、ゴローはくすぐった」
 あるいは、帰路はさち乃が長距離トラックに同乗させてもらうことになり、身軽になってトラックの後を追いバイクを走らせる。その際にこう書かれる。
「ときたま、トラックのあいだに距離をとり、一速からはじまって五速まで、たてつづけにかきあげて加速しては追いすがり、退屈をまぎらわせた」
 若者が若い力をもてあまし、老いと死は遠く、永遠に生きる気分にあるとき、もっとも恐れるのが「退屈」ではなかったか。
地誌とルート、1975年的風俗
「スローな」を読んでもう一つ感心したのは、ゴローがバイクで移動するルートがすべて具体的に示されていることだ。最初は「第三京浜」。三車線あり「こちら側の車線と、分離帯のむこうの下り車線を、少年は交互にながめた」と、あくまで具体的だ。黒磯へは「環7で東十条までいき、122号線を岩槻まで」とこちらもルートが示される。国道122号線は、東北自動車道と並行して走るが、後者は1972年から宇都宮と岩槻、白河、仙台南へと整備され延長していく。当然ながらこちらは有料で、深夜なら国道122号線を金欠なる高校生のゴローが選ぶのは正しい。
 国道122号線が武蔵野線をこえたところで、目についた食堂にゴローとさち乃が入る。「トラック便の運転手たちを相手にオールナイトで営業している店だった」。2人はそこでカップ・ヌードル(自販機)を買って食べる。カップ・ヌードルは1971年に発売。当時100円は現在なら250円から300円(自販機ならもう少し高いか)という感覚だが、もりそばでも当時、倍はしたから、金欠の18歳に似合っている。また、1975年に自販機でカップ・ヌードルを食べる風景は、わびしいというよりおしゃれであったかもしれない。
「スローな」を読みながら、ゴローとさち乃の姿を追い、彼らが雑誌発表時をリアルタイムとすれば1975年に18歳なら、1957年生まれの私と同い年であることに気づいた。のちにゴローは成績と素行の不良で公立から私立に転校させられ、それが神奈川県大和だったから、同市のアパートに一人暮らししていると分かる。大和駅は神奈川県西部に位置し、相鉄本線と小田急江ノ島線が乗り入れる。南西には広大な厚木飛行場がある町だ。ゴローが通う私立高校は柏木学園であろうか。『750ライダー』の早川光も私立高校の生徒だった。
 このゴローのアパートにさち乃が居つくようになる。おまけにネコがだんだん増えてくる。ついに15匹に達し、ゴローはうんざりするのだが、不思議と若い2人は同じ部屋に寝起きしながら肉体関係を持たない。映画では浅野温子がさち乃に扮し(ゴローには古尾谷雅人)、裸で着替えるシーンもあるのだが、やっぱり2人はなんでもないのだった。さち乃はほとんどネコのような女だった。
 ちなみにゴローが吸っているのは「ゴロワーズ」というフランスの両切り煙草。かまやつひろしがこれを愛煙し、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」という曲を作っている。ちょっと調べたら、2022年で日本での発売は停止され、いまや入手困難とのことである。

 挟み込まれたしおり(左写真)について一言。角川文庫は岩波、新潮とともにかつて栞ひもがついていたが、紙の栞に代わり、角川春樹時代になると、派手な広告が打たれる宣材に活用された。すごいアイデア。とくにメディアミックスの角川映画の公開時には、映画の宣伝と優待券を兼ねた栞となり、今となっては貴重な資料ともいえるのである。

(写真は全て筆者撮影)

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「本を読む楽しみって何だろう」
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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。