岡崎 武志

第44回 『子連れ狼』に似ているアメリカ映画

 映画をよく観る人とあんまり観ない人の差は相当あると思われる。これはどの分野でも同じだが、若い層に後者が増えている。というのも、たとえば映画館の話だが、上映の約2時間をスマホの電源を切って、触らないというのがまずありえない。歩きながら、食事をしながら、友人と喋りながら片時も手から離さない姿を見ているとさもありなんと思えるのである。
 映画を観ない人に、最初、どんな映画を観たらいいかという質問は答えが難しいが、ひと昔前ならポール・ニューマン主演の作品を観ればいいと言えた。なにしろ上手い役者だし、駄作がほとんどない。「明日に向かって撃て!」「スティング」「タワーリング・インフェルノ」となんでもいい。少し時間を後にすれば、私は同様にトム・ハンクスを推す。人魚との恋を描いた出世作「スプラッシュ」をはじめ、「ビッグ」の童心、「めぐり逢えたら」のラブロマンス、「フォレスト・ガンプ/一期一会」の知的障害を持つ男のおとぎ話と演技の幅が広く、優しい柔らかさを演じられるのが特徴か。どれを観ても、よほどのへそ曲がりでない限り満足できるはず。
 そんな中、やや、らしくないのが「ロード・トゥ・パーディション」(2002)。大恐慌時代のアメリカで裏社会の殺しを引き受けるのがトム・ハンクス扮するサリヴァン。ボス(なんとポール・ニューマン)のお気に入りで、それを不服とする息子がサリヴァンの妻と子を消す。サリヴァンは残された息子と2人連れで、魔手を逃れ、復讐を誓い逃亡する。私は笑顔を消したトム・ハンクスを観ながら、「あれ? 『子連れ狼』そっくり」と思ったのだった。これは私の邪推ではなく、小林信彦もそう指摘しているし、芝山幹郎も『映画一日一本 DVDで楽しむ見逃し映画365』(朝日文庫)の中で本作を取り上げ、プロットを説明し「と書けば、思い出すのはあの『子連れ狼』ではないか」と書いている。少し調べたらやはりそうで、マックス・アラン・コリンズの原作『Road to Perdition』は、邦訳すれば「地獄への道」。これは『子連れ狼』のキャッチコピー「冥府魔道を行く父子」からきているという。似ているのは当たり前なのだ。
「雨の日」を選んで
 小池一夫・作、小島剛夕ごうせき・画による『子連れ狼』については、テレビドラマ、映画と主演を引き換えて何度も映像化され、橋幸夫による同名の歌も大ヒットしたからくわしい説明は避ける。1970年9月から76年4月まで「漫画アクション」に連載され、随時単行本、のち文庫化された。江戸後期であろうか、柳生一族の総帥・烈堂と、元介護介錯人(切腹時の首切り)・拝一刀との血で血を洗う抗争、復讐譚である。妻子を殺され、生き残った3歳の息子・大五郎と関東を中心にさ迷い歩く。その際、息子を木製の乳母車に乗せるというアイデアが素晴らしく、これがときに武器ともなるのだった。
 そういえば、1980年代によく読まれたフランスの作家フィリップ・トゥーサンの『ためらい』(1992邦訳出版)という小説が、やはり乳母車に息子を乗せた父親の話だった。これを読んだ時もすぐ『子連れ狼』を想起した。じつは同作は1987年にアメリカへ翻訳本が輸出され、よく読まれていたようだ。影響はずいぶん広範に及んでいたとしても不思議ではない。
 今回、風呂での読書用に文庫版(道草文庫)の14巻を持ち込み、巻頭の「雨の日に」(其六十九)にいたく感動したのが、本稿で筆を執るきっかけであった。同じ手を使わぬ小池一夫の巧みなプロットとともに、精密精妙な筆で圧倒する小島剛夕の描写力については、いくら賞賛しても尽きることはない。ここでは「雨の日に」にしぼって紹介する。スピンオフ作品としてもいいのか、大五郎が主役で拝一刀は姿を見せない(最後、声と車の音)点が異色である。

 黒澤明「七人の侍」の決戦シーンで降ったような豪雨の中、蓑笠をつけた侍が一人、刀を下げはだしのまま歩いている。着いたのは飛州(現・飛騨地方)高山代官所の前。すでに装備して待ち構えた役人たちを次々と鬼神のごとく切り倒し、彦坂刑部という代官に迫る。口上によれば侍は原田善兵衛、天災と飢饉で苦しむ民百姓をしり目に私服を肥し栄達のみを求める悪代官を天に代わり、征伐するというのだ。雨の日を選んだのは火縄銃を使わせぬためだった。群がる手下を刃で打ち払い、代官・刑部を討ち果たす。
 代官所が装備していたのは、すでに悪政に耐えかねた民百姓による一揆の兆しがあったからだ。ちょうど同じ頃、槍や鍬を持った一揆の百姓が善兵衛の宅を訪れていた。最初の約束では、善兵衛が先頭になり百姓たちと代官所を襲う手はずとなっていた。ところが、寺子屋を兼ねた善兵衛邸では、夫人と息子が自害し果てていた。農民たちはようやく気付く。みんなで襲うと信じ込ませ、じつは最初から善兵衛がたった一人で乗り込むつもりだのだった。農民たちはひた走り、代官所へ急ぐ。彼らが目にしたのは、代官所門前で仁王立ちとなり、「静まれッ 静まれッ」と叫ぶ善兵衛の姿だった。
 善兵衛は言う。代官は討ち果たし、その罪は我が負い、したがって一揆は起こらなかったのだ、と。「わしら・・・も同罪でございますだッ」とすがる庄屋と農民たちを制し、百姓はコメを作る、侍がそれを守るのが道だとする決意を前に、みな泣くのだった。私はこうして拙い文章で書き写しながらすでに目がうるんでいる。もちろん、原作はこの数十倍も感動的なのだ。
 多くの者を手にかけ、代官をも殺害した罪は重く、本来なら打ち首であろう。しかし、奉行はその背景を考慮した上で罪一等を減じ、名主宅にお預けの上、切腹を命じた。切腹は侍の名誉であった。
 ドラマチックで激しい場面はここで一転、切腹の日を待つ善兵衛の静かな日々が描写される。およそ10数ページ、会話はいっさいなく、あるのは蝉の声とカブトムシの飛ぶ音、そして垣根の破れ目をくぐり善兵衛と遊ぶ大五郎の姿だった。父・拝一刀は柳生の手を逃れながら、旅先で刺客を請け負い、それで日々の生活費を得ていた。父の仕事の間、大五郎はさまざまな場所で父の帰りを待っていた。
 ただじっと待つ大五郎はいじらしく哀れである。「三分間待つのだぞ」とレトルトカレーのCMで使われるほど知られていた。この三歳児の愛らしさが、刃と刃の間をくぐりぬけ、血の雨が降る凄惨を和らげるのだった。「雨の日に」は、そのもっともすぐれた成果であった。名主宅の縁側に座り、妻と幼い息子との別れを瞼に浮かべる善兵衛の前に現れたのが、どこの誰の子とも知れぬ大五郎だ。糸を足に結んだカブトムシが手から離れ、それを追って現れたのだった。
 カブトムシの行方を目で追っていた善兵衛は、木の上を指さし、大五郎に教える。顔には笑みが。木の上に上る大五郎とそれを手助けする善兵衛は死を待つ身の上だった。繰り返しになるが、この間、セリフは一切ない。さまざまな角度、コマ割りで2人の交流が描かれる。小池一夫の原作がどう書かれていたかは不明だが、画力では天下一品の小島剛夕の美しい線に惚れ惚れするのだ。
 毎日のように庭へ姿を見せる大五郎とのやりとりが、善兵衛を和ませる。しかし、雨の日にかぎって大五郎は現れない。そして、取り調べも終え、いよいよ切腹の処断が決まった時、たった一つの「お願いの儀」として善兵衛が申し出たのが「雨の日に屠腹とふくつかまつりたい」だった。「雨の日」には、大五郎が来ないからだ。大五郎と草笛を吹く短いシーンを挟んでの雨の日、白装束に身を包んだ善兵衛が侍の一分をたてて腹を切る。
 前半の雨と闇と飛び散る血による激しい「黒」のシーンと、後半の庭を一つの世界とする疑似親子の微笑ましい静かな「白」のシーンのコントラストが見事である。この一話の哀切は、残る生涯において、けっして胸から去ることはないだろうなと、私は思っている。
 なお、画を森秀樹に代え、拝一刀亡き後、5歳となった大五郎を主人公として『新・子連れ狼』が作られた。

(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。