
岡崎 武志
第46回 忠臣蔵が好き
年末の恒例となった「忠臣蔵」関連の映画やドラマの放送が昨年もあって、何度も見ているのに視聴した。私はけっこうこの元禄の仇討ち話が好きで、研究書を読んだり、映画化された数々の作品もほとんど見ている。城主・内匠頭と四十七士が祀られた泉岳寺の墓へも2度訪れた。映画で一番好きなのは1958年大映、渡辺「早撮り」邦男監督の作。長谷川一夫の大石、市川雷蔵の浅野、滝沢修の吉良ほか、大映専属のオールキャストで華やか。勝新による「赤垣源蔵徳利の別れ」など講談ネタも盛り込んである。
忠臣蔵と赤穂事件は別物
なにしろよく出来た話だ。桜咲く春の頃に始まって、1年9カ月の時を隔てて歳末、雪の頃に終焉する。これが映画にせよ、歌舞伎などの舞台にせよよく映える。まさか、舞台の効果を狙って切腹と討ち入りの時期を選んだ訳はないが、結果として日本人の季節感と心性に響くお膳立てとなった。いろは47文字と同じ、メンバーが47人というのもいいアナロジーだ。火事装束にそれぞれ「いろは」の文字をつけて討ち入るという演出の芝居もあるが、じつに絵になる。
季節を巡り、主君の仇を討つため、艱難辛苦を耐えに耐えた元赤穂藩浪士たちが、その時を迎え一挙にエネルギーを爆発させ、悲願を成就させる。そこに数々のドラマを背負い、死は美化されるのだ。
ただし注意せねばならないのは、赤穂事件と芝居や映画になった忠臣蔵とは、虚実に大きな開きがあることだ。しかし、史実を丹念に当たる享受者は少なく、たいてい芝居と真実を混同している。そのため、敵役の吉良上野介及び末代が、芝居の虚のイメージのまま忌嫌われるのは気の毒だ。私は無責任な享受者として、毎年のように年末になると放送される映画を楽しみながら、一方で、誤った歴史観は正したいと思っていた。

今回手元に置いたのは野口武彦『忠臣蔵』(ちくま新書)と中江克己『忠臣蔵の謎』(河出文庫)。前者はやや専門的。分かりやすいのは後者で、すべて「~なのか」という疑問を立て、それに答えるかたちで叙述されている。史実であるのは、将軍綱吉の治世の元禄14(1701)年3月14日、江戸城内松の廊下にて、赤穂藩主・浅野内匠頭が突然、高家・吉良上野介に切りつけ怪我を負わせた。京都朝廷からの勅使饗応という大切な儀式を汚し、内匠頭は即日切腹。赤穂藩はお取りつぶしと相成り、城代家老・大石内蔵助以下47名の浪士が結束し、翌元禄15年12月14日深夜、吉良邸へ討ち入り上野介の首を取る。極端に言えば史実はこれだけ。いや、これだけでもすごい話で江戸中が沸いたのも分かる。現代ならテレビのニュースショーが何週間も連日、この話題を取り上げるほどの大事件であった。あまりに話題になったこと(仇討ちを期待する)が、悲願を成就するのに時間がかかった一つの要因となった。
中江によれば、赤穂浪士の切腹(元禄16年2月4日)から、わずか12日後には芝居になっている。ただし、そのままではなく、同じ仇討ちを扱った曽我兄弟に仮託したという。それでもお上の勘気に触れ3日で中止となった。いくらなんでも早すぎたのである。この元禄事件を匂わせる芝居はその後も手を変え品を変え上演され、寛延元年、『仮名手本忠臣蔵』が人形浄瑠璃で上演されるとこれが大当たりし、以後、すべての忠臣蔵物語の祖となり歌舞伎や講談をも交え定着する。この際に、大衆の嗜好に合わせるために「虚」と「実」が入り混じってしまった。「歴史上の出来事が文学作品の名で呼ばれるという倒錯が生じたのである」とは野口の弁。
え、それもウソなの?
私が最初に『忠臣蔵』を論じた本を読んだのは丸谷才一『忠臣蔵とは何か』(講談社)。1984年の刊でベストセラーになった。忠臣蔵の人気を、これまで誰も触れなかった新しい視点で読み直す試みで、文芸評論として面白かったのである。だから、忠臣蔵の虚実についてはそれなりに把握しているつもりだった。ところが『忠臣蔵の謎』を読んで驚いた。この元禄事件の映画化ではつきものの名シーンの一つ、内匠頭切腹の時に辞世の歌を詠む。
「風さそふ花よりもなほ我はまた春の名残りを如何にとかせむ」
春の「花」を詠みこんで、哀れで余情に富み、私はいい歌だと思う。片岡千恵蔵や長谷川一夫だって赤穂城内で藩士たちを前にこの歌を声に出して嗚咽するのである。しかし中江によれば「残念ながら歌の原物は存在しないし、肝心の切腹場所となった田村家の『田村家記録』にもこの歌はない。そうしたことから、この辞世の歌は後世の偽作とする説が強い」という。もうびっくり仰天である。かのナポレオンの「余の辞書に不可能の文字はない」はウソ、以上の衝撃。
同様に、赤穂事件の映画・ドラマ化では欠かせない名場面のいくつかも、かなり疑わしいか完全な創作ということになる。『忠臣蔵の謎』の「第四章」は、史実を突きつけるオンパレードで、「恋の絵図面取り」「お軽と勘平の恋物語」「赤垣源蔵『徳利の別れ』」「大高源五の『煤竹売り』」および俳句の師・其角との付け合い、大石と内匠頭未亡人との「南部坂雪の別れ」と、これらすべてが物語化における創作であった。
たとえば、冒頭で挙げた長谷川一夫内蔵助の大映版映画において、涙を誘う勝新太郎の「徳利の別れ」。討ち入りが迫り、兄の家を訪ね一献酌み交わす(最期の別れ)つもりが不在で、兄の羽織を前に酒を呑むのだが、赤埴(が本当の名)には「兄はいなかったし、酒を飲まない堅物だったのである」。ちょっとがっかり。
(写真は全て筆者撮影)
≪当連載が本になりました!≫
『ふくらむ読書』(春陽堂書店)岡崎武志・著
「本を読む楽しみって何だろう」
『オカタケのふくらむ読書』掲載作品に加え、前連載『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』から「読書」にまつわる章をPICK UPして書籍化!
1冊の本からどんどん世界をふくらませます。
本のサイズ:四六判/並製/208P
発行日:2024/5/28
ISBN:978-4-394-90484-7
価格:2,200 円(税込)
「本を読む楽しみって何だろう」
『オカタケのふくらむ読書』掲載作品に加え、前連載『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』から「読書」にまつわる章をPICK UPして書籍化!
1冊の本からどんどん世界をふくらませます。
本のサイズ:四六判/並製/208P
発行日:2024/5/28
ISBN:978-4-394-90484-7
価格:2,200 円(税込)
『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。
本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。
本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)
┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。