岡崎 武志

第47回 木枯し紋次郎をあなたは読んだ?

 さまざまな報道、新聞や雑誌の記事で著名人の名前を見ると、「ああ、この人には取材で会っているなあ」と思い出すケースが増えた。一度、その一覧を作っておこうと考えている。中村敦夫さんもその一人。参議院議員時代だから2000年前後だろうか。取材場所に指定されたのが議員会館で緊張したのを覚えている。ところが覚えているのはその「緊張」だけで、何を聞いたかはさっぱり忘れた。なにより、目の前にいるのが、あの「紋次郎」。そのことに圧倒された。
 中村敦夫主演、市川崑演出で始まったドラマ「木枯し紋次郎」(1972)は、それまでの時代劇ドラマの通例を破る斬新な演出でヒットした。ここでドラマについては踏み込まないが、いずれもくたびれて煤けた三度笠や合羽と異色のいでたち、それまでの時代劇ではピカピカの卸したてでよく考えたら不自然だ。ボロボロの三度笠の奥から覗く暗い顔(白塗りや目張りなし)と、長い楊枝は強い印象を残したのである。

 このドラマの印象があまりに強すぎて、「紋次郎」と言えばドラマとなり、原作の話をする人は少ない。私もずいぶん後(ドラマから30年後?)に読んで、あんまりいいので驚いた。「紋次郎はいいよ」と周囲にもらしたが、本好きの間でも反応は薄かった。「紋次郎ならドラマは見ましたが」ということだ。私が今回テキストにしたのは2008年改版の中公文庫、『木枯し紋次郎 中山道を往く(二) 塩尻~妻籠』で短編4作を収録。あれ、一番肝心なことを言い忘れていた。著者は笹沢左保(1930~2002)。文庫カバー袖のプロフィールには「『招かれざる客』でデビュー。六一年、『人喰い』で日本推理作家協会賞を受賞。以後、推理、現代、時代、歴史小説と幅広いジャンルで作品を発表し、一時代を画す」とあるが、本当にその通り。
 その流行作家ぶりは数々の伝説を生んだが、たとえば絶頂期、4本5本と締め切り原稿を抱え、机に向かって執筆すると眠ってしまうため、背の高い机を5つとか並べて、立ったまま交互に執筆していたという。本当かしら。デビューしてしばらくは現代もの、本格推理の分野で高い評価を受けていた。私は瑞々しい文体で書かれた「六本木心中」という現代作品が好きだった。無軌道とも思える若い男女の破滅に向かう恋愛物語で、マンガにも映画にもなっている。本作は直木賞候補となるも落選。私が読んだ角川文庫(いま手元にない)『六本木心中』のカバー絵は宇野亜喜良だった。
 くわしい中身は忘れたが、舌の上に残るのは詩的抒情だった。今回、「木枯し紋次郎」シリーズに感じたのもまた、「詩」だった。

あふれる詩情は父ゆずりか
『中山道を往く』所収の「白刃を縛る五日の掟」に絞って話をする。時代は天保年間か。中山道を旅する紋次郎が、刈谷原の百姓家で秘かに開かれる賭場で独り勝ちをする。そこで宿場一帯を支配する貸元の与右衛門から、ある約束を条件に一対一の勝負を申し込まれ、負ける。そこで持ち出された約束とは「向こう五日の間、どんなことがあろうと、おめえさんはなが脇差どすを抜かねえ」ということだった。その見届け役として、同じく木曽路を美濃へ向かう客分の吉五郎が同道することになった。
 さらに、与右衛門一家で保護された、ボロを身にまとい汚れた少女・お捨(名前で置かれた環境が分かる)が一行に加わる。この奇妙な約束事と奇妙な道連れが「白刃を縛る五日の掟」の主要眼目となる。
 ドラマのセリフでは「あっしには関わりのねえことで」と示される紋次郎の孤立無援は、たいてい義理や巻き込まれで破られ、ここでも紋次郎は死闘と向き合うことになる。
 私が感心したのは、街道沿いの細かな描写や、天保年間の宿場ごとの諸事情などをくわしく書きこんでいることだ。驚くべきことは、笹沢にとって、これが初めての時代小説だったのである。依頼したのは「小説現代」の名編集者・大村彦次郎。以下、『流れ舟は帰らず 木枯し紋次郎ミステリ傑作選』(創元推理文庫)の編者・末國善己の解説を借りると、アメリカンニューシネマのような「従来の股旅物でなく、ハードタッチな手法や感覚で、無法者の群れを」(大村彦次郎)扱う新しい時代小説を求めて柴田錬三郎、伊藤桂一、結城昌治など起用。そのなかに笹沢もいて、おそらく事前の目論見以上の成功を得た。初の股旅物「見かえり峠の落日」が『小説現代』に掲載されたのは1971年のことだった。
 笹沢は「白刃を縛る五日の掟」という手の込んだプロットを作品として仕上げるため、さまざまな工夫をする。一つは自然現象。「霧」と「夕焼け」をたくみに物語の背景として配する。
「街道にも、霧が流れている。街道筋の崖や杉林が、霧の中に黒々と浮かび出る。(中略)山全体が、すっぽり霧の中にあった。霧はますます濃くなって、見通しが利かなくなっていた。何も見えないので、闇の中の深山を行くようであった」
 この霧のスクリーンが、このあと紋次郎の窮地を救うことになる。そのために、著者はことに丁寧に霧を描きこみ、読者に心の準備をさせるのである。
 最後は「夕焼け」。あわれにも死闘に巻き込まれて幸薄い娘・お捨が「血で真赤に染まって」息絶える。検分役の吉五郎が言う。
「お捨は、夕焼けの空を飽かずに眺めておりやした。そいつは生まれ故郷を知らねえ者か生まれ故郷を捨てた者が、よくやることなんでござんすよ」
 このひと言で哀れを増す。紋次郎もまた、「生まれ故郷を捨てた者」だった。この詩情こそ、笹沢佐保の股旅物を味わい深くしたと私は考える。笹沢左保の父・笹沢美明よしあきは詩人だった。昭和の前半に活躍、『帆船』『詩と試論』など詩の雑誌に参加。角川文庫『現代詩人全集 第七巻 現代Ⅲ』に作品が収録されている。「窪み」と題された短いのを一編のみ引く。
「虚しい明るみから逃れるために/どこかに休息所はないものかと/私はこの地上に窪みを求める/虫なく秋を/凍る秋を/果物畑で/私は押した/光彩に濡れた果実のしげみを/それらはこの世の明るい窪みへ/入り込もうとして私は押し返す」
 理知的な抒情詩である。笹沢家の本棚には詩集が多く並んだろうし、少年期に息子がそれを手に取ったと想像できる。「詩情」は、遺伝子に乗って次代に受け継がれた。
「思へば遠く来たもんだ」で始まる「頑是ない歌」の一節だ。あと2年で70歳となる今、つくづく「思へば遠く来たもんだ」と思わざるをえない。
(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。