トークイベント「シネマとお酒の多様な関係」こぼれ話

カフェORAND(2階のOUETもイベントスペース)

2025年1月25日(土)の夜、東京スカイツリーのご近所にたたずむカフェORAND にて、白央篤司さんと月永理絵さんによるトークイベント「『酔わせる映画 ヴァカンスの朝はシードルで始まる』 (月永理絵・著)刊行記念「シネマとお酒の多様な関係」」が開催されました。美味しいおつまみとお酒とともに途中乾杯をはさみながら和やかな会となりました。印象深いお酒のシーン、そこから見えてくる女性の描かれ方、さまざまな味わいを映す男同士の関係──ふたりの映画談義は盛りあがります。

こちらでは、イベントの番外編として、ふたりがもっと話したかった映画作品やシーンについて、書簡の形でおおくりします。
【WEB書簡①】 からの続き)

【WEB書簡②】月永理絵さんから白央篤司さんへ

白央さん、こちらこそ先日のトークイベントではありがとうございました。美味しいワインを片手にお酒と映画の関係を語りあう、とても幸せな時間でした。事前に、白央さんから「トークのとき、特にこれは語りたいなと思う作品があれば教えてください」とリクエストされ、パッと頭に浮かんだ『きみの鳥はうたえる』(三宅唱監督、2018年)、『オールド・ジョイ』(ケリー・ライカート監督、2006年)、『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』(ペドロ・アルモドバル監督、2023年)という、書籍『酔わせる映画』では扱わなかった3作品を挙げたのですが、当日もふれたようにこれらについて話しながら、おもしろいことに気づきました。そういえばどれも、ある意味で男ふたりの関係を描いた映画なんですよね。

同じ家で暮らす友達のふたりが、夜の函館をふらふら歩きながら飲む缶チューハイ。久々に再会した旧友たちが、夜の焚き火を前に次々にあけていく缶ビール。そして、元恋人同士の男たちが、とっておきの赤ワインを飲みながら過去を語り合う。彼らの関係はそれぞれまったく違っているし、明確に定義できない関係でもある。だからこそ、彼らがどんな酒をどうやって口にするのかによって、その微妙な距離感が見えてくる。それを発見していく過程が私は大好きなのだと、改めて思いました。

現金げんなまに手を出すな』(ジャック・ベッケル監督、1954年)の老ギャングたちが夜更けに飲む白ワインもそうですが、安っぽいお酒を慣れた仕草で飲むふたりは、いかにも気の置けない友達らしい。ところが安っぽい酒を飲んでいるからといって、必ずしも仲がいいだけとは限らない。たとえば『オールド・ジョイ』では沈黙のまま缶ビールをひたすら飲み進める。飲んでいないと間が保たず、かといってビールだけではそう簡単に酔っ払えない。そんな微妙な気まずさが山積みになった缶ビールに表れている気がする。おもしろいのはアルモドバルの短編『ストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ』で、ここでの赤ワインの使われ方は最高でした。赤ワインを飲みながらじっとりと相手を見つめるイーサン・ホークとペドロ・パスカル。実はワインには忘れられないふたりだけの思い出があるらしく、情欲の象徴として彼らの肉体を結びつける。こんなふうに、3つの映画だけでいくらでも男たちの複雑な関係が語れてしまう。酒目線で映画の中の男同士の関係性を観察する、そんな企画があったらおもしろそうです。

イベント終了後に笑顔で

トークで小津映画の話ができなかったのは残念でしたが、小津映画と酒との関係を語り出すと、それこそ何時間あっても足りなさそうですね。そういえば以前、知り合いに教えてもらって小津安二郎監督の日記本*1を読みましたが、簡潔な日々の記録からは、外で友人たちと美味しい食事を楽しんでいたのはもちろん、毎日のように家でひとりビールや日本酒をたしなんでいた様子が伝わってきて、映画にあれほど酒が登場するのも当然だとよくわかりました。

挙げてくださった『東京暮色』(1957年)は、小津映画のなかでも凄まじく暗い映画ですが、思い返せば、どの小津映画にも、社会に対する冷徹なまなざしを感じる瞬間がある気がします。家族って結局こんなものなんだ、社会って所詮はこうですよ、と突然鋭い刃を突きつけてくるような怖さ。『東京暮色』は特にその怖さが出た一本ですね。

『東京暮色』で山田五十鈴いすずが酒場で熱燗あつかんを一杯やる場面。白央さんが書かれていたように、ここでの彼女の手つきと飲み方はあまりにも滑らかで、この人はいったいどれほどの回数、この動作を続けてきたのだろうと思ってしまいます。実はこれより前に、娘役の有馬稲子が一人酒をするシーンもあるんですね。行きつけの中華料理屋をひとりで訪れた彼女は、思い詰めた顔で酒を飲み干す。絶望に暮れた若い女がやけ酒をする、その場所がなじみの居酒屋でも小洒落たバーでもなく、いかにも大衆的な中華料理屋である、という事実により彼女の孤立感が増すようで胸が痛みます。彼女が飲んでいたのはコップ酒ですが、厨房で店主がちろり・・・を湯につけている場面が映るので、これもやはり燗酒でしょうか? 娘と母がそれぞれに飲む燗酒の、どちらがより痛ましいのか。

女が酒を飲む仕草、なかでも手酌という動作に妙に惹かれます。それが若い女であろうと、歳を重ねた女性であろうと、寂しい酒であろうとそうでなかろうと、手酌に慣れた人の仕草はやはり美しい。大好きなのは、川島雄三監督の『洲崎パラダイス 赤信号』(1956年)。駆け落ち同然で東京にやってきた新珠あらたま三千代と三橋達也が途方に暮れたまま小さな飲み屋に入る。すると奥から出てきたおかみさんに「何あげます?」と聞かれ「そうねえ、おビールもらおうかしら」と答える新珠三千代。この「おビール」の言い方がたまらないのですが、さらに出された瓶ビールを自分のグラスに勢いよく注ぎぐいっと飲み干す姿が見事で、ああこんなふうに思い切りよくビールが飲みたい、と見るたびに思います。しかも隣にいる恋人のグラスには一滴も注いであげない。恨めしそうな彼の視線には当然気づいているんでしょうが知らん顔。この人は全然頼りにならない、私が自力で稼がないと仕方ないんだ、という苛立ちが、慣れた手酌の仕草に滲み出ている気がします。ああもうビールでも飲まないとやってられない、そう言いたくなるような。

「お酒と映画」について語ろうとするといくらでも語れてしまうのですが、最後に、先日『酔わせる映画』刊行記念特集としてシネマヴェーラ渋谷で開催された「楽しくて怖い酒映画傑作選」 の上映作から印象に残った一本を紹介します。禁酒法時代のアメリカを舞台にしたラオール・ウォルシュ監督の『彼奴きゃつは顔役だ!』(1939年)。帰還兵のジェームズ・キャグニーが、不況の吹き荒れるアメリカでいつしか密造酒の売人として成り上がっていく話なのですが、おもしろいのは、酒で巨額を稼いでいながらもキャグニー自身は決して酒を口にしないこと。酒はあくまで仕事道具、酒で堕落してなるものか、という彼なりの矜持きょうじなのか、潜り酒場でも常にミルクだけを飲んでいる。ところがそんな彼がついに酒のグラスに手を伸ばす瞬間がやってくる。その瞬間の張り裂けるような痛ましさ。酒を飲むか飲まぬか。たったそれだけで最上のサスペンスも最大の悲劇もつくりだせるのだと、改めて思います*2。お酒と映画の関係は、まだまだ奥が深そうです。

*1『全日記小津安二郎』フィルムアート社、1993年
*2書籍『酔わせる映画』では、『果てなき船路』(ジョン・フォード監督、1940年)、『失われた週末』(ビリー・ワイルダー監督、1945年)にふれている。

プロフィール
月永 理絵(つきなが・りえ)
編集者、ライター。1982年青森県生まれ。『朝日新聞』『週刊文春』『CREA.web』などで映画評やコラムを連載中。ほか映画関連のインタビューや書籍・パンフレット編集など。YouTube番組「活弁シネマ倶楽部」のMCとしても活躍中。最近お気に入りのおつまみは自家製バゲット(日々上達中!)にオリーブオイル。

「【Web書簡①】白央篤司さんから月永理絵さんへ」はこちら

■ORANDは両国の書店YATOの佐々木友紀さんが運営しています。佐々木さんへのインタビューはこちら⇒「本と人と街をつなぐ 明日へ続く本屋のカタチ」【28】(2020年9月)


『酔わせる映画 ヴァカンスの朝はシードルで始まる』(春陽堂書店)月永理絵・著
本のサイズ:四六判/並製/312頁
発行日:2024/06/24
ISBN:978-4-394-77009-1
価格:2,200 円