岡崎 武志

第50回 その名はブローティガン

 いまだに、ブローティガンの名を目にしたり口に出すとき、鼻先をくすぐられたような気持ちになる。20代初めの『アメリカの鱒釣り』との出会いはそれほど新鮮で強烈であった。これまで、まったく読んだことがない、自分の中の読書の積み重ねのどんな範疇にもない、新しい文学だったのである。
 私の手元にあるのは1979年2月11刷(初版は1975年1月)の単行本。かなり劣化している。白地の背に「アメリカの鱒釣り」「リチャード・ブローティガン」「藤本和子訳」「晶文社(犀のマーク)」と縦に並ぶ。この並びを大阪、京都の古本屋でいったい幾度目撃したであろうか。すでに所持してからも、棚に見つけると「ああ、あるぞ、よしよし」と安心したのである。
 1979年当時の定価が1200円。公務員初任給が9万7500円、コーヒーが280円の時代、これはやや高めである。古本屋でも800円以下、というのはなかったと思う。新刊でよく売れたし、古本屋でもよく売れた人気商品であった。いま気づいたが、訳者と著者が同じ級数で印刷されている。これもやや異例で、それだけ訳者の比重(役割)が大きい本だったと理解していいだろう。本国アメリカで人気を失っても、日本で訳書が根強い人気を保ったのも藤本和子の名訳にあずかるところが大きい(その功績については新潮文庫版の柴田元幸解説を参照してください)。
 とにかく不思議な小説だった。すべては短章。しかも確固たる登場人物とそれを支える脇役と背景で物語が進む、というような近代小説の規範からは大きくはずれている。アメリカ伝統のほら話に幻想をまぶして、詩のスタイルを練り込んだような話の連続だ。正直言って、どう受け取っていいか分からない章も少なくない。それでも印象は強烈なのだ。
 平野甲賀デザインの単行本もかっこよく、一時期、これをカバンに入れてジャズ喫茶で読むのが私にとってのいい時間であった。飛躍と逸脱によるイマジネーションの散乱は、ジャズの音楽とうまく合っていた。
「外科医」という章から一部引く。唐突に名もなき外科医が登場し、リトル・レッドフィッシュ湖とこちらは名のある湖に、外科医がナイフで喉を切り裂いた石班魚うぐいが投げ込まれる(「投げ返した」と書かれる)。
「石班魚はぎこちなく死のはね水をあげると、通学路時速二五マイルなど、この世のあらゆる交通規則を遵守しながら、湖の冷たい水底に沈んで行った。雪を被ったスクールバスみたいな白い腹をみせて、底に横たわっていた。一匹の鱒が泳ぎ寄って、しばらく眺めていたが、やがて行ってしまった」
 ここには一般大衆が物語望む教訓も価値観の提出もない。不気味で残酷なシーンだが、しかし血なまぐさくはなく、ただ美しいイメージだけがある。「死」は幾度となく繰り返される、この作品の代表的イメージで、1960年代初頭に書き始められ、一冊の本になった1967年アメリカの象徴だったろうか。キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争と「死」が隣合わせの時代だった。
 しかし、そんな陳腐で手軽な社会学的考察とは無縁のところでブローティガンの作品世界があった。「死」をもてあそぶようなそぶりの作品は、自身の死(1984年自殺)で決着を見るのだ。
ブローティガンのリバイバル
 リチャード・ブローティガンの小説が、新潮と河出から続々と文庫化された時には、興奮するというよりあっけにとられてしまった。まずなんといっても2005年の『アメリカの鱒釣り』が新潮文庫入り。同文庫解説で柴田元幸が「僕にとって『アメリカの鱒釣り』は長年、『文庫化されるべき外国文学』のベスト3に入っていたが(残り二冊は、二〇〇三年にめでたく文庫化なったカルヴィーノ『見えない都市』と、ガルシア=マルケス『百年の孤独』)、それがついに新潮文庫入りしたことを心から嬉しく思う」と書いた。言い添えておけば、『百年の孤独』も2024年に文庫入り(新潮文庫)。
 私の場合はどうだったろう、すでに20年前、『アメリカの鱒釣り』の文庫化はうれしかったはずだし、3~4冊買ったのは品切れになった時の備蓄だったが、同時に淋しいような気もしたのではなかったか。というのも、繰り返しになるが、元本の晶文社版の装幀・造本の存在感が、その重さ硬さ(ハードカバー)を含め、何か特別なものとして長年意識されたからだ。
 最初、ブローティガンについては何も知らなかった。『アメリカの鱒釣り』の出た1975年、新潮文庫に『愛のゆくえ』が入ったが、この時は気づいていない。読むのはずっと後だ。先述の1979年11刷版の奥付「著者について」はまことにそっけなく「一九三五年アメリカ生れの詩人、小説家。サンフランシスコ在住」とあるだけ。続く訳者の藤本和子はその8倍くらい紹介文がある。そうか、1979年なら、その後続々と藤本和子訳で翻訳され、その書目が増刷時に書き加えられたからだ。初版から4年のうちに追加して6冊も邦訳が出版されたのだった。それに、不思議な気がするが1979年にはまだブローティガンは生きていた。「‘84年、ピストル自殺」。その1行が文庫袖のプロフィールには書き加えられている。
 ブローティガンの著作は死後、10年を経ると古本屋の棚からはあっというまに消え去っていた。私はそのことに気づき、古本屋をかたっぱしから探索して回ったが、魚影はなかった。その喪失感と連動するように、次々と文庫化が始まった。まさにブローティガン・リバイバルだった。それでも、文庫化されない『バビロンを夢見て 私立探偵1942年』『東京モンタナ急行』『ハンバーガー殺人事件』などの小説は古書価が高騰。5000円はするか。
 ブローティガンについては、生前親交もあった藤本和子による『リチャード・ブローティガン』(新潮社)という評伝が出て、不明な点は一挙に埋まった。リバイバルがなければ、このような本も書かれることはなかっただろう。子ども時代のこと(父からの暴力)、『アメリカの鱒釣り』出版の経緯、妻や娘のこと、苦悩や死に至る謎までくわしく、私にとってブローティガンを知るにはこの1冊で十分だ。
「ブローティガンの描く人びとはおおきな失意のなかにあってさえ、夢をすてはしない。現実を解釈する独自の、奇蹟的ともいえる想像力をもって、笑って生きのびる、踏みつぶされずに生きのびる。みずからつくる現実解釈法によって、精神の、肉体の自由を手にいれる」
 藤本はそう書く。訳書が出たとき、この本が書店の「釣り」コーナーに並んでいたと、藤本は同著で書いていたが、そんな錯誤さえユーモラスでブローティガン世界らしい。
 なお、元本にも文庫版にも使われたカーボーイ姿の著者と恋人が、ワシントン像の前にいる写真。じつは……と種明かしが、こちらも本人と親しかった音楽評論家の田川律『男らしいって、わかるかい?』(晶文社)にある。同じ場所へ行って撮った写真を使っているが、まるで違う。『アメリカの鱒釣り』では、すぐ後ろに銅像があるように見える。田川は現地に立って気づく。「畜生! きったねェの。あいつ、望遠でとってやがったんだ!」

(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。