
岡崎 武志
第51回 正岡子規「車上所見」(明治31年)を読む
昨年秋から今年冬にかけての日曜、夜を楽しみにして視聴を続けたのがNHKドラマ『坂の上の雲』全26回(再放送)。原作は司馬遼太郎で長く読み継がれている。明治という近代国家を作り上げた、松山生まれの3人の男にスポットを当てる。日露戦争で活躍した秋山好古・真之兄弟、近代俳句の革新者・正岡子規だ。子規が病を得て死去してからの後半、私はやや興味を失った。日露戦争開戦と陸海での日本軍のめざましい活躍は、派手でドラマチックでもある(お金もかかっている)。しかし私はもっぱら子規の動向に眼を奪われた。
子規庵で布団の上に仰臥しながら、呻吟する姿がかわいそうでならなかった。子規は脊椎カリエスで、背の穴から染み出す膿の激痛に耐えながら35年の生を閉じ、多くの仕事を遺したのである。子規に扮した香川照之が素晴らしく、やせ細って、眼だけがぎらぎらした姿(過激な減量をしたと聞く)は鬼気迫る演技だった。目が少し離れているのも子規に似ていた。
早い晩年の残り数年、子規は「病牀六尺」という文章のごとく、畳1枚の宇宙で生きた。この時期の写真(『新潮日本文学アルバム 正岡子規』)を見ると、立ち姿はなく、畳や縁側、あるいは庭で座り、いずれも体は斜めになっている。すでに背筋を伸ばして座ることもままならなかった。明治28(1895)年、日清戦争の従軍記者に志願して中国へ渡るが、帰国の船中で喀血し重体となる。その後も腰痛はげしく、病状は悪化の一途をたどり歩行困難に。森まゆみ『子規の音』(新潮文庫)を読むと、それまでの子規は旅好きで、明治26年には芭蕉の跡を訪ね1ヶ月をかけ「奥の細道」の旅をしている。日清戦争に従軍する前、明治27年頃までは東京市中をあちこち出歩いていた。「郊外即写生」と呼び、東京を巡り、多くの句を作っている。その後をたどった森は「子規はそうとうな早歩きである」と実感する。それが歩行も立ち上がることさえままなくなる。病気は残酷だ。
三河島への散策行

私が今回読むのは「車上所見」という小文。『ちくま日本文学全集 正岡子規』に所収され知った。明治31年発表。この年、「歌よみに与ふる書」を連載、『古今集』をこきおろし、歌聖の紀貫之を「下手な歌よみ」と言い放って歌壇を騒然とさせた。自分の命が短いことを自覚し、虚勢を張った感じもするのだ。
ある秋の日、晴天に誘われた子規は外出を試みる。
「世の人は上野、浅草、団子坂とうかるめり。われも出でなんや。出でなん。病いのつのらばつのれ、待たばとて出らるる日の来るにもあらばこそ」
「出でなんや。出でなん」というリフレインに、心の弾みが表れている。ところで「車上」とあるが、これはもちろん人力車である。「なるべく静かに挽かせて」とは、未舗装の道を走る振動が子規の身体を痛めるからだ。子規庵のある根岸は、上野大地の東、「根岸の里のわび住まい」という表現があるように、明治期はのどかな農村地帯であった。子規は田園風景を北へ、三河島方面へ車を走らせる。
「音無川に沿いて行く」とある。「音無川」は王子から田端、日暮里と経由し、隅田川に流れ込む、かつての清流だった。昭和の始め頃に暗渠となった。西日暮里駅前に「荒川消防署 音無川出張所」と名のみ残っている。「笹の雪の横を野へ出づ」の「笹の雪」は、「笹乃雪」という豆腐料理(「豆富」と表記)の店で子規庵の近くに現存。創業は元禄というから300年以上続く老舗だ。続く「八百屋の前を過ぐるにくだ物は何ならんと見るが常なり」には、子規を知る者の頬をゆるませるだろう。
子規は大食(暴食)だったが、とくに果物に目がない。ちくま日本文学全集にも「くだもの」というやや長めの随筆を収録。植物的考察から色かたち、種類など舌なめずりするように果物を論じている。学生時代にも牛肉を食べたあと、必ず果物を買って食べている。
「大きな梨ならば六つか七つ、樽柿ならば七つか八つ、蜜柑ならば十五か二十位食うのが常習であった」というから、どう考えても食べすぎだろう。「柿食えば」の句の向こうに、並外れた果物に対する愛着があった。
「写生」のカメラアイ
「車上所見」に感じるのは、「写生」の精神である。ものごとを観察し、把握する。その訓練が強度なカメラアイとなって、明治の郊外風景をつぶさに描写している。
「野はずれに小き家の垣に山茶花の一つ二つ赤う咲ける、窓の中に檜木笠を掛けたるもゆかし」には、子規庵の寝床からは見られない光景だった。久しぶりの外出に心も弾んだであろう。「胸開き気伸ぶ」と興奮が伝わってくる。
「道の辺に咲けるは蓼の花ぞもっとも多き。そのくれないの色の老いてはげかかりたる中に、ところどころ野菊の咲きまじる様、ふるいつくばかりにうれし。この情、人には語られず」
子規は、おそらくこれが最後に近い外出になるだろうと覚悟していただろうと思う。翌明治32年5月には「腰痛はげしく、高熱がつづき容態悪化」と同著の年譜にある。体を起こすにも天井から吊るした紐にすがるありさまだった。
ところで子規が目指す三河島だが、現在常磐線に「三河島」という駅がある。しかし開業は明治38年。日本鉄道という私鉄だったが翌年国有化される。子規の時代、三河島の中心地は駅より少し北、現在「宮地」と呼ばれる周辺。ここに集落があった。なるほど、現在でもこの「宮地」に明治通り、尾竹橋通りを始め5本以上の道路が交差している。交通の要衝はこちらだったようだ。
また「宮地」交差点の東側に、寺院がいくつもある。明治通りの北「観音寺」は11代将軍家斉の御膳所。江戸の三河島は鶴の飛来地。名産の三河島菜は鷹狩りの将軍へ献上された。
まだ壮健の頃、三河島は子規にとって「もっともしばしば遊びありきしところ」だったようだが、この日は「初より少しずつ痛みし腰の痛み今は堪え難くなりぬ。手にて支えなどすれどかいなし」という状態だった。俳句・短歌の改革者の寿命はあと4年。

(写真は全て筆者撮影)
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┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
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