
岡崎 武志
第52回 かつて芸能界があった
かつて芸能界があった。いや、現在でもあるには違いないが、それは私がよく知るものとは、かなり変質してしまっている。往時と比べると拡散し、細分化し、茫洋として、夢を紡ぐ工場として圧倒的な存在感は薄れてしまっているのではないか。一例を挙げれば、この20年ぐらいのNHK紅白歌合戦の出場者の顔ぶれを見ても半分以上は知らない人たちだ。誰もが知る歌手、誰もが知る歌というのは今や少なくなってきている。つまらない書き出しになってしまった。つまり、このテーマを自分でもどう扱っていいか混乱しているのだ。具体的な話に戻していこう。『ナンシー関の すっとこ人名辞典』(飛鳥新社)は、図書館の廃棄本の棚からもらってきた。じつは、ナンシー関の本をこのところ、古本屋の棚であまり見ない。あれほど本がたくさん出て、よく読まれたのに。ナンシーと言えば、まず芸能人の似顔を消しゴム版画という手法で量産したことで知られる。そして芸能界ウォッチャーとして、抜群の批評力を持つ文章家だった。2002年6月に急逝したのだが、その代わりとなる人は20年を経て未だいない。

本書は、消しゴム版画の旧作に色付けし、短くコメントをつけた連載がまとまった。「小泉首相から『世界の』デヴィ夫人まで、全182人」と帯にある。小泉純一郎なら政治家じゃないか、と指摘があるかもしれないが、ナンシーの領土では芸能扱いなのだ。この本を紹介していたら字数を食いそうなので、少しだけ触れておけば、たとえば「世界のデヴィ夫人」のコメントは「超難問クイズ。『世界のデヴィ』の『世界の』の意味を説明せよ」。ウド鈴木は「あまのくーん」と叫ぶ顔に「『無人島にひとつだけ持っていくとしたら?』『天野くん!』名言である」。これを笑わずにいるのはかなり難しい。抜群の切れ味鋭いおちょくりが芸になっていて、大いに楽しませる。時々、思い出し笑いをするぐらい。ワンアンドオンリーの境地といっていい。
おすぎとピーコ、ガッツ石松、みのもんた、叶姉妹、水野晴郎、松崎しげると並べていくと、自分の周りにはぜったいこんな人はいないよな、と感嘆するとともに、個性の強力さに頭がくらくらしてくる。ひと言で言えばみんなちょっと変な人たちである。これぞナンシーの腕の奮いがいのある芸能界だ。2000年代に入って、ここに登場した人たち以降で、ナンシーが消しゴム版画を彫ってまで取り上げる人はいるだろうか。
全182人を眺めていて、1つ気づいたのは、ザ・芸能人にまじって福岡翼、前田忠明、梨元勝と、いわゆる芸能レポーターが3名も加わっていることだ。かつて、ワイドショーには必ず独立して芸能コーナーが設けられ、これらの人たちがゴシップや事件の裏側について熱心にレポートしていた。井上公造、須藤甚一郎、東海林のり子などという人もおりました。彼等は多く女性芸能週刊誌の記者だった。この20年でこのような役職は生き残り続けているかもしれないが、誰もが顔と名を知る人はいない気がする。
つまり、強引に結論づければ、語るべき芸能界というものが消滅してしまったのではないか。ちなみに、私は雑誌ライター時代に梨元勝さんを取材している。「汗っかきの人」という変なテーマで話を聞いた。「恐縮です」(梨元さんのキャッチフレーズ)とは言わなかったが、終始協力的で取材はやりやすかった。話が終わって、ハンカチで汗をふくポーズを撮影したのだが、カメラマンが凝る人で20パターンぐらい梨元さんに注文をつけてポーズを取らせた。私は「やりすぎ」と思ったし、いつ怒り出すかとヒヤヒヤしたが、最後まで文句をつけずにつき合って下さった。梨元さんに100点。
戦後芸能史の始まりは
ところで、「芸能」とひと口に言うが、じつは芸能レポーターが取り扱う世界は狭い。『別冊新評 戦後日本芸能史〈全特集〉』(新評社)はよくできた特集で、私は芸能について書くとき、辞書みたいに引いて参考にしている。そこで竹中労・上野昂志による対談があり、巻頭に上野が「芸能というと、本当はいろいろありそうなんだけど、いま『芸能』といったときにパッと頭に浮かぶのはテレビですね。そして、芸能人というと歌手やタレント、それも役者じゃないいわゆるテレビタレント。つまり、テレビが中心の限られた世界で、芸能のイメージがとても貧しいんですね」と規定している。私もその通りだと思う。歌舞伎や能や狂言、文楽あるいは落語や講談や浪曲、小劇場における新しい演劇について等は、ほぼスルーされ限定した「芸能界」なのである。
テレビを媒体とする、この狭義の「芸能界」はいかにして作られたか。これに答えてくれるのが戸部田誠(てれびのスキマ)『芸能界誕生』(新潮新書)。私は面白く読んだ。流れをつかむため、全4部のタイトルを写しておく。
第1部 進駐軍とジャズブーム
第2部 ジャズ喫茶とロカビリーブーム
第3部 テレビと和製ポップス
第4部 男性アイドルの系譜とGS旋風
つまりテレビ黄金時代を築き上げたのは、敗戦後の日本を連合軍が占領し、日本各地に米軍キャンプが作られたことが発端となった。進駐軍相手の娯楽のため、狩りだされたバンドや歌手たちが、のちの芸能界の礎を作る。その背景を取材と資料でくわしく書いたのが『芸能界誕生』だ。『戦後日本芸能史』にも「進駐軍と戦後芸能」(桑原稲敏)という章が設けられている。全国に点在した基地の数が約730カ所。東京周辺だけでも約60あり、芸能慰安提供は連合国軍司令部から日本政府に命じられた。進駐軍キャンプのステージに立った歌手として挙がるのは淡谷のり子、水島早苗、伊東ゆかり、江利チエミ、松尾和子等々。驚くべきは森光子もキャンプ周りをし(最初の結婚は軍属の二世)、高峰秀子もアーニー・パイル劇場で歌っている。この時代を証言するものとして小坂一也『メイド・イン・オキュパイド・ジャパン』(河出書房新社)を名著として推奨しておく。小学館から文庫が出ているようだ。
また、楽団として楽器を演奏できる人なら誰でも集められた。彼等のうち、バンドリーダーたちが、次々と芸能プロダクションを作っていく。渡辺晋(渡辺プロ)、堀威夫(ホリプロ)、岸部清(第一プロ)、小澤惇(小澤音楽事務所)、相沢秀禎(サンミュージック)などがその一例。中でも最大最強だったのが渡辺プロ、通称「ナベプロ」で、ナベプロにあらずんば歌手、タレントにあらずと言えるほどの権勢を誇った時代があった。

バタフライエフェクト 渡辺プロ編
これらの戦後芸能史については、すでに多くの文章や本が書かれている。『芸能界誕生』から、どうしても触れておきたいことを書いておく。NHKの番組に『映像の世紀バタフライエフェクト』という教養番組があり、世界各国の映像アーカイブを駆使して、歴史上のできごとを一つのテーマで構成する。タイトルは、小さいできごと(蝶のはばたき)が、歴史上のできごとを大きく左右させる(エフェクト)という意味。
ナベプロの歴史にも、この「バタフライエフェクト」があったことを『芸能界誕生』で知った。占領下の初期の話。宮城県登米郡(現・登米市)に進駐してきた将校が馬に乗って現れた。見渡す限りの田んぼと畑、道を尋ねようにも英語は通じず、あるいは逃げていく。途方に暮れながら、川沿いを歩く老婆に役場へ行く道を聞いてみた。すると、彼女は「この道をまっすぐ行くと、向こう側にありますよ」と流ちょうな英語で答えたのだ。信じがたい顔をする将校に、老婆はなおもこう言った。
「うちの嫁はもっともっと英語が達者ですよ」。
老婆の名は曲直瀬ユキヱ。嫁の名は花子。のちにナベプロを渡邊晋(『芸能界誕生』ではこの表記)とともに起こす美佐の母親だった。米軍は英語を話せる日本人を渇望していた。花子はただちに(半ば強制的に)通訳として迎えられた。仙台で「オリエンタル芸能社」が作られ、「マナセプロダクション」となり、花子の娘・美佐がナベプロの女王に。その最初の蝶々が、登米郡の川沿いを歩いていた曲直瀬ユキヱということになる。めちゃくちゃ端折ったがそういうことだ。くわしくは『芸能界誕生』を読んでいただきたい。
あと1点だけ、同著を読んで「へえ、そういうことだったのか」と納得したのが「FEN」のこと。いま70代以上のミュージシャンや音楽関係者が、若き日の音楽体験として言及する進駐軍ラジオのこと(最初は「WVTR」)。そこで洋楽やポップスが放送された。なぜそれが基地の外にいる日本人も聞けたのか。本書を読んでその謎が解けた。米軍は基地内に必ずラジオステーションを作り、兵隊は必ずそれを聞いた。というのも「連絡網」としても使われたからで、そのため電波も強力だったという。
基地が近くにあれば、その外にいても受信はできた。
「当時はほとんどの家庭でレコードなどを買う余裕はないため、このラジオ放送をジャズ好きやプレイヤーたちはこぞって聴き、流行の音楽を摂取していたのだ」
戦中は「敵性」として忌避されてきた外国の音楽を、皮肉な話だが、米軍が進駐したおかげで、湯水のごとく浴びて、しかも驚くほど短時間で血肉とした。日本人はよく「猿マネ」と言われたが、それにしても器用なものだ。宇宙へ出て、何百年かのち、地球外生命体とファーストコンタクトを取ったとき、いちばん器用に接するのは日本人の末裔かもしれない。
(写真は全て筆者撮影)
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『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
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本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)
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┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
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