岡崎 武志

第53回 大手拓次について考える

 まず、2023年1月10日に更新した、私のブログに多少手を入れて以下引用する。
「青春18きっぷを使って、高崎から信越本線に乗り継ぎ「磯部」下車。ここから5分ほどのところに、「めぐみの湯」という大きな温泉施設がある。入浴料520円。70歳以上の安中市民はもっと安くなる。寂れた温泉街を散策し、温泉に入り、同館内で食事をして、もうそれだけで帰ってきた。 電車に揺られ、降りたことのない駅で降りて町を歩く。それだけでいいのだ。 磯部温泉は文人墨客も遊んだ、歴史ある温泉街と知る。信越本線が横川止まりだった時代(現在もそうなっている)、軽井沢が賑わう以前の代表的保養地であった。逆さクラゲの温泉マークは、この磯部温泉が発祥。駅前に温泉マークを刻み込んだ石の碑があった。公園の滑り台にまで温泉マークあり」
 ここには書かなかったが、「めぐみの湯」へ行く前、かつては栄えただろう駅前の周辺を歩いた。観光案内所を見つけ入ってみたら、ここが詩人の大手拓次の出身地と知る。名を知るのみで愛読したことも、いかなるイメージも浮かばない。「へえ」というリアクションを持ち帰り、さっそく岩波文庫版『大手拓次詩集』を手に入れ、少し読んでみたのである。予期しなかった出会いで、交通事故のようなものといえば御幣があるか。
 短い詩を1つ紹介しておく。大正前期の作で「くちなし色の散歩馬車」。
「ものしづかな夜よ、/くちなしいろの散歩馬車が/青いひづめの馬にかられて、/嫉妬深いたましひの並木路を/かなしみのそよぎのなかを……/おお 灰色のひきがへるをみたまへ。/————夜よ、毒草のしめやかな愛撫をあたへよ。」
 どうだろうか、少なくとも私はこの詩のよさが分からない。使われた言葉の一つひとつは分かる。しかし「嫉妬深いたましひの並木路」とは何か、なぜ「灰色のひきがへる」がここで出てくるのか。どうにも挨拶に困ってしまった。大手拓次の詩について、その分からなさについては後で触れる。まずは詩人の大手拓次について。
 現在、他のいかなるレーベルの文庫からも大手拓次の詩集は出ていない。それだけで岩波文庫の徳というものを感じる。編と解説は原子朗。「全作品約2400篇から232篇を厳選して年代順に配列」とカバー紹介文にあるが、年譜も付し、まずは大手拓次の入口としてはこれで十分であろう。
 原の解説で知ったが、生前に1冊の詩集を出すこともなく1934年に46歳で没している。ほとんど一般的には知られることなく、しかし死後になって創元社始め、詩集が編まれるようになり、1970年から翌年にかけて、白鳳社から全5巻、別巻1の全集まで出ている。死後に忘れられた詩人では決してなかった。ただ、大岡信選による鷗外、藤村から荒川洋治まで、111名の近現代詩を集めたアンソロジー『ことばよ花咲け 愛の詩集』(集英社文庫)にその名はないのだ。
同じ上州のスターに朔太郎がいた
 大手拓次は年譜を見ると、先述のごとく現・群馬県安中市磯部町の生まれ(1887年・明治20)。北原白秋が1885年、萩原朔太郎と石川啄木が1886年、室生犀星が1889年と前後して詩歌の世界の巨人を生んでいる。とくに朔太郎は同じ群馬県、上州の出身だ。しかし、朔太郎は生前に8冊の詩集を出した詩壇のスターだった。拓次とは格が違う、というしかない。1916年に朔太郎から手紙をもらっているが、両者の交遊が深まることはなかった。朔太郎には何といっても「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し/せめては新しき背広をきて/きままなる旅にいでてみん。」(「旅上」)という人口に膾炙した朗唱性の高い名作があったし、「とほい空でぴすとるが鳴る。/またぴすとるが鳴る。/ああ私の探偵は玻璃の衣裳をきて、/こひびとの窓からしのびこむ、」(「殺人事件」)というような映画の一場面を想起させる機知とアイデア、「『おわあ、こんばんは』/『おわあ、こんばんは』/『おぎやあ、おぎやあ、おぎやあ』/『おわああ、ここの主人は病気です』」(「猫」)という意表をついた諧謔性も持ち合わせていた。
 全作の10分の1にしか過ぎないが、岩波文庫『大手拓次詩集』を通覧した限り、私の印象はぼやけ、心に重いものだけが残る感じだった。「死」や「憂鬱」、「滅亡」などの観念に取り付かれている気がした。もちろん、私の詩読解が非力であることを前提にしてもいい。拓次は20才(1907年)ごろから詩作を始め、最初文語詩を書いていたが、年譜によると1909年ごろから口語自由詩に手を染めるようになる。これは朔太郎や犀星もそうだったし、明治末年から大正に移る過程における詩の近代化の波に拓次も乗っている。
 1910年2月、ボードレールの『悪の華』を入手し、いわばこれが拓次の詩の新たなステージへの関門となった。フランス象徴詩の輸入と影響については私の手にあまる。ただ、拓次は決定的な影響を受け、詩のスタイルや用語が一変する。「わたしの眼を、ふところに抱いた真珠玉のやうに暖めて、/懶惰らんだの考へ深い錆色をした蛇めが、/若いはちきれるやうな血をみなぎらして蝋色の臥床ふしどにありながら、」(「蛇の道行」)というような過剰でデコラティブな語法は、暗い観念に彩られたフランス象徴詩が水源だろう。
 拓次の明治末期から大正期にかけての20代の作品には、やたらに「蛇」が登場する。これは何の象徴であるか。もちろん、旧約聖書における蛇は、人類における「原罪」を示す。しかし、私は難しく考えない。おそらく持て余した性欲だったと思う。「そのうねうねしたからだをのばしてはふ/みどり色のふとい蛇よ/その腹には春の情感のうろこが」(「みどり色の蛇」)、「じゃ香のにほひ、/しなやかに弾力にみちあふれた女蛇のからだは、/あつたかい水のなかにひたつて、」(「ゆあみする蛇」)などの詩行には、女性に対する憧れや強い情感が感じられる。ただし、その出どころは暗い。拓次は幾度か一方的な恋をしながら、ついに女性と結ばれることはなかった。
 ちなみに1910年はハレー彗星の接近騒動があり、地球は滅亡するとの流言も広まった。11月には大逆事件と、明治末年は重苦しい空気が社会を覆った。その意味では、先に挙げた白秋、啄木、朔太郎、犀星も同じ時代を生きた若者だった。
ライオン当用日記
 これだけネガティブな姿勢で大手拓次について触れてきて、申し訳ない話になるが、じつは彼について触れたいのは、年譜で発見した、ただ一つのことだった。それは、1916年6月「ライオン歯磨本舗広告部に就職、文案係となる」だ。1912年に早稲田大学の予科を卒業するも就職せず、磯部で旅館を営み祖父からの仕送りで生活していたが、それも途絶え、困窮生活を送っていた。これはようやく得た職であった。現代で言うコピーライターであろうか。広告の文案を練ったり、PR誌の編集なども手掛けたようだが、1918年12月に「『ライオン当用日記』(ライオン歯磨刊)の編集、執筆に苦心する」とある。私はここに目を止めて「あっ!」と声が出た。1931年版ではあるが、私はこの『ライオン当用日記』を古本市で入手し持っている。いやあ、何でも買っておくものです。

 この日記について、さらりと触れて本稿を閉じたいと思うが、ほぼ文庫判のサイズでハードカバー、530ページと分厚い。定価がないのは非売品だから。おそらくライオン歯磨の営業部から顧客に無料配布されたのではないか。1年365日で500ページ超えは不思議に思うかもしれないが、当時の日記帳は付録として実用百科事典の体裁を持ち、情報量はすこぶる多い。拓次が「編集、執筆に苦心する」というのはこの付録の部分だろう。日記の巻末に金銭出納帳、人名録、個人の記録などの欄が設けられ、それとは別に暦から天文、祝祭日、園芸、野球用語から音楽、家庭常備薬など日常生活を送るための広範な知識が網羅されている。これはライオン歯磨『当用日記』だけのことではない。博文館を始め、各出版社が編集した日記本は、たいてい同様の実用百科事典の役目を果たしていた。
 そして、私が入手した日記は1月28日までであるが、所有者が日常を綴っていた。黒インクの万年筆で、100年近く経た現在でも読める。ただし達筆でたどりにくいのだが、どうやら松山市で教師をしていた男性の手になるもののようだ。これを書いた人物は、まさか後年に著名となる詩人が編集したものとは想像できなかっただろう。
 この翌年11月には、病気(結核)により社へ通うこともできなくなり、1933年に死去している。
(写真は全て筆者撮影)

≪当連載が本になりました!≫


『ふくらむ読書』(春陽堂書店)岡崎武志・著
「本を読む楽しみって何だろう」
『オカタケのふくらむ読書』掲載作品に加え、前連載『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』から「読書」にまつわる章をPICK UPして書籍化!
1冊の本からどんどん世界をふくらませます。
本のサイズ:四六判/並製/208P
発行日:2024/5/28
ISBN:978-4-394-90484-7
価格:2,200 円(税込)

『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。
本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)

この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。