
歌舞伎役者、映画監督、舞台俳優、文楽人形遣い、画家など、自分の信じた道にかける人々の言葉に、真摯に耳を傾けてきた著者ならでは知り得たエピソードや思い出の数々をどうぞお楽しみください。
第一回は、今月歌舞伎座で襲名披露公演中の八代目尾上菊五郎の岳父であり、六代目尾上菊之助の祖父である名優・二代目中村吉右衛門です。
第一回 二代目中村吉右衛門 ①
憂愁の色が漂う大人の男の感があって、大好きだった吉右衛門さんが亡くなったと聞いた時は、突然深い穴に落ちたような衝撃が走った。そしてなぜか私が初めて吉右衛門を見た日のことがありありと思いだされた。
それは何と昭和二十五年一月の東劇。もしほ改め十七代目勘三郎襲名披露興行の夜の部で、のちに中村屋のお披露目ごとがある時には吉例となる「櫓前賑」の舞台だった。私は芝居好きの両親にはさまれて花道のすぐ近くの席にいたが、チャリンと揚幕のあく音がして振り向くと、幡随院長兵衛のような拵えの初代吉右衛門に手を引かれ、五歳の萬之助が一子長松のような剃下げ頭で神妙に付き従って歩いて来た。
舞台では満面に笑みを湛えた勘三郎が諸手を上げて迎え入れ、「坊は芝居が好きなのかい」と訊く。祖父で養父の初代吉右衛門が嬉しそうに、でもちょっと照れてみせたりしながら、——「ああ、もうね、大好きなんで、今に、ヤ、役者になるかもしれませんよ」と答えて大受けする。この口ごもるようなためらうような言い方は、その昔吉屋信子の随筆集『私の見た人』の「吉右衛門」の項で、「今度、ハ、俳句の話でもしましょうか」と言われたとあったので、初代播磨屋独特の愛嬌を表わす巧みな台詞術なのだと思う。
そして私が吉右衛門さんの知遇を得たのは、それからずっと経って、『中村勘三郎楽屋ばなし』の取材のために、しばしば先代勘三郎さんの楽屋を訪ねるようになってからだった。
先代中村屋は甥に当る吉右衛門さんをとっても買っていて、「今度は、舞台で本当の叔父甥をやるんだ」と『巷談宵宮雨』の破戒坊主龍達と甥の太十が言い争そう稽古を、突然播磨屋を楽屋に呼び出して、やって見せてくれたりした。
中で、「この半鐘泥棒め」と、台本にない台詞を言った時は、「この人、背が高いからね」と、解説を付けてくれると、吉右衛門さんが片頬だけで笑ってちょっとこっちを見てくれた。
NHK水曜連続時代劇『武蔵坊弁慶』に吉右衛門主演が決まったのは昭和六十一年のこと。そのPRのためのNHK発行の雑誌に、私が吉右衛門さんのご指名で対談させていただいた。その前年から吉右衛門さんの母上藤間正子さんの聞書き『おもちゃの三味線』の取材中だったので、身近な感じがしたせいかも知れない。
対談の前の雑談で、私の第一作『日本の鶯——堀口大學聞書き』に触れて、「今に年を取ったら、この老詩人を演じてみたい」といってくださったのに実現の機会が無く、惜しいことをした。
この同じ年に、第二回こんぴら歌舞伎の公演があり、私は正子さんとご一緒に琴平へ行った。西側仮花道前の桟敷に座って開演を待っていたら、『幡随院長兵衛』で客席から登場するために後方出入口まで来ていた長兵衛の吉右衛門さんが、ちょっと姿を見せて、「ようこそ」と挨拶してくれた。周りの客席がザワザワとなって、「え、今、ようこさんて言った?」なんて。まさかね。
あのころはいろいろ楽しいことがあって、ある時歌舞伎座の大間(ロビー)で、吉右衛門夫人から「ご結婚、なさったそうで」と冗談の挨拶を受け、二人して笑ったことがあった。それは戸板康二氏の小説「雅楽捕物帖」シリーズで、十七代目勘三郎らしき役者の中村雅楽がいろんな事件解説に当るのだが、そこに聞書きを取りに通ってくる関寺真知子なる娘がいる。その真知子が文化庁の役人と結婚。結婚披露宴で雅楽の祝辞に芸談が出て来たら、花嫁が急いでメモを取り始める、というシーンがあった。小説雑誌で読んだかした吉右衛門さんが、奥さまに笑って話す場面を勝手に想像すると、今でもちょっと幸せな気分になる。
藤間正子さんが亡くなったのは平成元年八月のことで、まだ六十五歳だった。ちょうどその前日に聞書き単行本の校正刷りが出て、私は遅筆を悔みながら、正子さんの言う「終の棲家」のマンションにお伺いしたら、ご遺体はまだ納棺されずにあって、その枕辺に吉右衛門さんが一人沈痛な面持ちでどっしりと座っていた。そして私の手にした部厚い紙の束をすぐにそれと察して手を差し延べ、正子さんに供えてくださったのだった。
のちにこの『おもちゃの三味線』はニッポン放送でラジオドラマになったが、この時、吉右衛門さんは快く、初代吉右衛門の役で出演してくださった。今も時々、ユーチューブで聴いている。

┃プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。
![春陽堂書店|明治11年創業の出版社[江戸川乱歩・坂口安吾・種田山頭火など]](http://shunyodo.xsrv.jp/blog/wp-content/uploads/2018/04/shunyodo_logo_180325_CS4.jpg)
