
岡崎 武志
第55回 顔がいくつもある作家
「金もうけの神様」前回、『象牙の箸』の造本・装幀がいかに素晴らしいかを書いた。今回はようやく作家・邱永漢について書く。大ざっぱに言って3つの顔を持つ異色の作家だ。
まずは直木賞作家。『食は広州に在り』に代表される食随筆の書き手。さらに利殖、具体的には株の売り買いを説く評論家。じつは、この3つ目の著作がその大半を占める。ざっとプロフィール(『邱飯店交遊録 私が招いた友人たち』中公文庫)を追えば、その人生は波乱万丈であった。面倒がらずに前半を写しておく。
「一九二四(大正十三)年、台湾の台南市に生れる。東京帝国大学経済学部を卒業後、一時帰台し、台湾独立運動に関与。のち香港へ亡命し、対日貿易を手がける。五四(昭和二十九)年から日本に定住、五六年、『香港』で外国人として初めて直木賞を受賞し、作家生活に入る。八〇年日本に帰化。実業の才を生かし、株式投資、マネー関係の入門書の執筆や、ビル経営など多角経営を行い、『金もうけの神様』と呼ばれた。二〇一二(平成二十四)年、没」
めまいがするほど派手で複雑な経歴である。引っかかるのが「金もうけの神様」で、これがどうも日本文学の歴史になじまない。『お金持ちになれる人』や『お金に愛される生き方』といった著作は、「文士」と呼ばれた人たちの貧乏話と相反する世界だからである。「武士は喰わねど高楊枝」ではないにしても、作家があからさまに金銭のこと(貧乏話ならいい)に触れるのはよくない、という不文律があった気がする。経済には弱い、という方が何か作家らしかった。今でもそうではないか。木山捷平が「テレビ誌感」という随筆に書いているが、昭和初年、近松秋江が熱海に土地を買ったことが発覚した時、『中央公論』の匿名批評で「文士の風上にもおけぬ男だ」と叩かれた。
邱永漢については私は直木賞受賞作を始めとする小説作品も読んでいない。『象牙の箸』でようやく触れたに過ぎないのである。
邱永漢の名を高めたのは『食は広州に在り』(中公文庫)ではないか。これは雑誌『あまカラ』に連載され、龍星閣が昭和32年に刊行した。中公文庫に入ったのは昭和50年。文庫解説の丸谷才一は、戦後に出た食べものの本で本書と吉田健一『舌鼓ところどころ』および『私の食物誌』、檀一雄『檀流クッキング』を「いずれも傑作として推奨するに足る」とした。これら4冊がことごとく中公文庫入りしていることを注意しておきたい。
本人だから遠慮したのだろうが、丸谷自身による『食通知つたかぶり』をここに加えておきたい。文春文庫で品切れのち、現在中公文庫入りしている。中公文庫に加わるとじつに収まりがいい。「食」の本に強いからである。なお、『邱飯店交遊録}によれば、地味な売れ行きだった龍星閣版の『食は広州に在り』を、丸谷が『文藝春秋』の連載(『食通知つたかぶり』)で「戦後書かれた食べ物に関する三大名著の一つ」としたことで「突如ロングセラーズの仲間入りをした」のだという。丸谷の連載でこの個所が触れられるのは『文藝春秋』昭和47年10月号。中公文庫入りはこの機運によるものだろう。

邱飯店の饗宴
邱永漢の「食」随筆の特徴は、広東料理が主眼であることと、自ら腕を奮うことに加え、「邱飯店」と呼ばれる自宅での飲食会を開いていたこと。作家仲間から芸能人、政財界人にふるまわれる10品以上のフルコースは本格的なものであった。「邱飯店」に招かれることが一種のステイタスであったはずだ。『邱飯店交遊録』は、約30年に及ぶおもてなしの記録で、巻末に来客名簿が掲載されているが200名を越すのではないか。作家として身を立てるあたりの自伝的要素も含み、邱永漢を何たるかを知る入門書的要素を持つ本である。
「あばら家の七輪を駆使した佐藤春夫と檀一雄を歓待した時分から、最も笑いの絶えなかった本田宗一郎との食卓まで」と同著カバー解説にあるが、名簿の「あ」行から少し拾っても、アイ・ジョージ、阿川弘之、荒木一郎、有馬頼義、池島信平、石坂浩二、糸川英夫、井上靖など交友範囲の広さをうかがわせる。大事なことは青井忠雄、阿川弘之、有馬頼義、池島信平など夫人同伴であること。これは日本においては珍しく、本国の流儀であろうか。
邱飯店の記念すべき第1回は1954年9月23日。客は佐藤春夫夫妻、檀一雄ほか6名。檀は日本の文壇について右も左も分からぬ若き邱永漢を作家の世界へ導いた人。佐藤はその師で、邱は励まされた。招待はその恩に報いるためだった。九品仏の自称「あばや家」で催した第1回のメニューが残されている。全部で14品が漢字と和訳で並ぶ。和訳に少し手を加えて並べると「オードブル、鳥の唐揚げ、冬瓜蒸し、豚肉揚げ物、エビ炒め、肉の丸焼き、胡桃と鳥のもつ、白菜のスープ、牛肉炒め、蒸し魚、汁そば、チャーハン、銀杏のスープ、果物」となっている。これだけを一回で腹に収めるのは大変だが、大皿に盛られ、少量ずつ時間をかけて食するのだろうか。
すぐ気づくのは、これが中華料理と言えばラーメン、チャーハン、餃子ぐらいしか思い浮かばなかった昭和20年代にどれも本格的なコースであることだ。そのため、珍事が起きる。
邱飯店の異色の回は昭和37年5月。雑誌『話の特集』に関わる人たちが集まった。邱永漢は『話の特集』が苦境に立った時にスポンサーとなったのである。メンバーは植草甚一、寺山修司、長新太、篠山紀信、宇野亜喜良、和田誠、小松左京、友竹正則、矢崎泰久、横須賀功光等々。超豪華だが、邱飯店の通常メンバーからするとやや異色だろう。
この日出た一品に、ビーフンを揚げたのにさまざまな具をレタスで巻いて食べる料理「生菜包」があった。いまや珍しくないが昭和37年の話である。植草甚一は一口食べると「このキャベツはおいしいねえ」と叫んだ。レタスとキャベツの区別がつかなかった。それは違いを知る客の笑いを誘ったが、続いて寺山も「うん。このキャベツは本当においしいね」とやったものだから、一同が沸いた。植草も寺山もなぜ自分たちが笑われているか分からなかった。
私もその点、まったく自信がない。大阪で仲間と初めて「ふぐ料理」のコースを20代で食べたとき、最初薄造りが大皿に出て食べ始めたが、てっきり白身の魚だと思い「ところで、いつ、ふぐは出るの?」と発言し失笑を買ったことがある。
本格的広東料理はいかなるものか。『象牙の箸』から「西洋菜湯」の件を。
「まずお湯を沸騰させてからその中に西洋菜を入れる。水から煮ると野菜の苦味が出てまずくなるからご注意。それから半斤の豚肉(腿肉がよいが、バラ肉でもよい)を丸のまま入れて一緒に肉が柔らかくなるまで煮る。肉を箸でつついて見てよく煮えていれば、塩と味の素で適宜味をつければよい。広東人は西洋菜と豚肉をすくいあげて、豚肉を適当な大きさに切って皿に盛り、スープはスープのまますするが、これは一汁を一汁一菜にのばして食卓を賑やかにするためらしい。豚肉は辛子醬油か蠔油(カキ醬油)で食べるのがよく、スープは一種独特の味だが、慣れると、なかなか忘れ難いものである」
シンプルな料理法だが、なんだかうまそうだ。私がここで感心したのは「味の素」を使っていること。グルメ道のマンガ『美味しんぼ』では、このうま味調味料を天敵のように嫌い批判する(舌がピリピリする)が、邱飯店ではそれでうまくなるなら使うという方針のようだ。味の素を振ると頭がよくなるという俗説がはびこった私たちの世代は、まったく違和感はない。
それにしても、客から料金を取るわけではない。最初は自ら(夫人とともに)料理をしたようだが、のちコックを雇い入れている。大変な物入りである。「金もうけの神様」に最初からなっていたわけではない。どうしてそこまで、と思うが『食は広州に在り』を読むと、父親からの影響があるようだ。邱家は裕福ではなかったが、父は美食家で「ただ食うことにのみ血眼になっている」ような人。しかも「毎日のように人をよんでごちそうをするのが好きだった」。それを子供の頃から永漢は見ていた。
ここには日本人とは体質の違う大陸的といっていい懐の深さがありそうだ。同著によれば、ある中国の富豪は大きな邸に池を作った。そこに魚を飼う。これは鑑賞のためではなく食用だった。それも淡水魚。広東人は海の魚より淡水魚を「味がよい」とした。
食用の鶏も育てる。ただし「なるべく運動をさせない」。これは柔らかい肉を求めてのことだった。すべてが「食」を追求して生活のスタイルを作る。「食」のぜいたくをした末に、池を持つ富豪は家産をつぶした。それで悔いはない。これを「先見の明」と邱永漢は考える。なぜなら財産はいくら貯めてもなくなる。しかし「腹の中へしまい込んでしまえば絶対にだいじょうぶ」。これが中国人の思想であった。
なんだか、スケールが違うなあ。さすが4000年の大国、「大人」の風格、と言う言葉を思い出す。
『食は広州に在り』はあちこち拾い読むだけでも面白いのだが、あれほど古来から中国の影響を受けながら、やはり違う国、違う人種だと確認できる。たとえば日本の正月料理(おせち)についても触れている。邱永漢は正月になると憂鬱になる。なぜなら「どこの家へ行っても、同じような料理ばかり出されることだ」。これは確かにそうだ。
広東人の正月料理は「おめでたい名前のものがたくさんある」として多彩な品々を紹介する。ルビつきの漢字が頻出し、打つのが面倒なので以下省略。
金もうけの鮮やかさについて、玉村豊男『邱永漢の「予見力」』(集英社新書)から、1つエピソードを引いておく。これは「予見力」で投資に成功した話。邱永漢は現在のようになる前の原宿を「日本のシャンゼリゼになる」と見込み、表参道に事務所を作った。
「当時、千五百万円で買えたんですよ。いまは人に貸しているけど、家賃が一ヵ月三百万円。いちばん高いときは保証金だけでも二億円もらったことがありましたよ」
あるところにはあるものだ。そしてある人はもっと金が増える。私のような者はない袖は振れないのである。

(写真は全て筆者撮影)
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┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
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