岡崎 武志

第56回 吉岡実を歩く

 今回、吉岡実(1919~90)を取り上げたのは「本郷龍岡町界隈」という文章を読んだことが始まりだ。最初の散文集『「死児」という絵』(筑摩書房・1980/のち増補され筑摩叢書)に収録された小文。初出は「旅」(1978年12月号)。その跡をたどって実際に歩こうと思ったが、時間的余裕がなく、机上の追跡となる。言い訳すれば、この界隈はこれまで何度も歩いている。

 詩人の吉岡実は東京・本所業平の下町生まれ。1976年刊の詩集『サフラン摘み』(青土社)が異例の1万部という売り上げを見せ話題となった。通常の現代詩集の部数はせいぜい500部(それ以下もある)。小説で言えば20~30万部の衝撃があった。ある紹介によれば、その詩風は「特異な現実認識から硬質で根源的なイメージの詩的世界」で、谷川俊太郎が国民的詩人として広く読まれるようなリーダブルな作風ではなく難解である。それだけに『サフラン摘み』の1万部は驚きだ。表題作のほんの触りを紹介しておこう。
「クレタの或る王宮の壁に/『サフラン摘み』と/呼ばれる華麗な壁画があるそうだ/そこでは 少年が四つんばいになって/サフランを摘んでいる/岩の間には碧い波がうずまき模様をくりかえす日々/だがわれわれにはうしろ姿しか見えない」
 たしかに詩でしか表せない「イメージの詩的世界」が広がっている。それよりなにより、吉岡は同時代の同業者からむやみに尊敬された詩人だった。大岡信編『現代詩の鑑賞101』(新書館)にも収録され、吉岡の項目を担当した野村喜和夫は「戦後にあらわれた最高の詩人と目される」とまで書いた。「101」を「10」に絞っても吉岡は間違いなくそこに残った人だ。
「本郷龍岡町界隈」は初出の1978年に、掲載誌の求めに応じて若き日を送った本郷周辺を散策したもの。本郷はもちろん東京大学という大牙城のおひざ元。龍岡町(現・湯島4丁目)は、東京大学に隣接する附属病院の南側に当たる。最初を少し引いてみよう。
「秋のある日の午後、私は地下鉄の湯島で降り、切通坂をのぼった。シンスケという飲屋が今も同じ処にあって、なつかしい。昔——といっても、私が高等小学校を卒業して、本郷龍岡町にあった医学書の南山堂に奉公に行った、昭和九年ごろには、まだ坂の下に一人二人の立ちん坊がいて、荷車のあとを押していたものだ」
 イラストの地図を参照していただきたいが、地下鉄千代田線「湯島」駅は不忍池のすぐ南。このあたり本郷台地の縁で、四方に坂を作る。旧岩崎邸の東側、北へ上る「無縁坂」は森鴎外『雁』の舞台となった。さだまさしも歌にしております。このあと「湯島天神」へお参りし、吉岡が触れる居酒屋の名店「シンスケ」にも触れたいが、どこにでも情報は出ているので省略。先へ道を急ぐ。
「やがて南山堂の前に来ていた。旧友の二、三人はたしかいるはずだが、尋ねることはやめて、隣の麟祥院の境内に入った。主役や上役に叱られた悲しい時など、私はよく大きなクスノキの樹の下に立ったものだった」
 なんだか子どもみたいだな、と思われるかもしれないが、いや子どもだったのである。
小卒の学歴で出版社に丁稚奉公
 吉岡は昭和9年(1934)に本所高等小学校を卒業後、南山堂に住み込み店員として就職している。15歳、いわゆる丁稚奉公だった。小卒の現代詩人というのはきわめて珍しい。
 大岡信・選『愛の詩集 ことばよ花咲け』(集英社文庫)は近現代詩人111名の代表作を収録するアンソロジーで、私は詩に関することでは何かとこの本を開く。ここに著者略歴(大変便利)があり、吉岡と同じ1919年生まれの詩人5名の最終学歴を示せば、黒田三郎(東大卒)、安西均(福岡師範中退)、宗左近(東大卒)、安東次男(東大卒)、中桐雅夫(日大卒)と「東大卒」が目立つ。続く1925年生まれまでの詩人の学歴を見ると、那珂なか太郎、清岡卓行、北村太郎、谷川雁、山本太郎が東大卒。
 学者は別にして、ほかの表現ジャンル(俳句、短歌、戯曲など)で、おそらくこのような「東大卒」が占有することはないだろう。ひと言でいえば現代詩人の学歴が高すぎる。……変な方向へ行きそうなので、この話題はやめるが、逆に吉岡の「小卒」にして大詩人という位置が私などには輝いて見えるのだ。ちなみに谷川俊太郎は豊多摩高校卒。
 15歳で就職した「南山堂」は医書専門の出版社で1901年の創業。じつは現在も同じ場所に健在である。吉岡は編集者というより「使い走り」で、「しばしば校正ゲラを持って、帝大医学部の呉内科へ行ったものだ」。ゲラに赤字が入るのを待ち、それを社へ持ち帰る。なにしろ東京帝大は至近にあり、出版社も利便を考えてこの位置に創業したのだろう。吉岡少年は最高学府の大人たちを相手に、ほとんど口もきけなかったのではないか。
 元来、吉岡は極端な無口。これについては武田百合子の証言がある。
『サフラン摘み』で高見順賞を受賞した式でのこと。挨拶をした吉岡に武田百合子が「わたし安心したわ」と声をかけた。10年前、武田泰淳の家へ、筑摩書房編集者として訪ねた折り、吉岡は最初から最後まで一言も喋らなかったのだという。ちゃんと挨拶ができるかどうかを百合子は案じたのだった。

「本郷龍岡町界隈」に南山堂時代の驚くべき話が紹介されている。前述のとおり、ゲラのやりとりで帝大医学部へ通っていた頃、そこに「無口で粗野にさえ見える助教授クラスの男がいた」。「或る時、その人が試験管やフラスコなどの器がいっぱい置かれた、洗場へ悠然と小便するのを見て、私は驚いた。だがまた人間味あふれる姿に心打たれた」という。その人が後年の冲中重雄。1963年に退官し東京大学名誉教授、冲中記念成人病研究所の所長でもあった。
筑摩書房へ
 年譜を追うと、吉岡は1939年に4年勤めた南山堂を退社。翌年夏、召集を受ける。1941年は太平洋戦争勃発の年だ。満州へ出征し、朝鮮済州島で敗戦を迎えた。復員後、本格的に詩を読み始め習作を書く。一時、東陽堂に勤めたようだが(詳細は不明)、1951年に筑摩書房へ入社。この時まだ独身で、31歳になっていた。詩人として注目されるのは1958年に詩集『僧侶』を書肆ユリイカから上梓したあたりからではないか。翌年に本書でH氏賞を受賞。この表題作「僧侶」に詩壇は戦慄した。いずれも「四人の僧侶」で書き始める9連の詩。
「四人の僧侶/庭園をそぞろ歩き/ときに黒い布を巻きあげる/棒の形/憎しみもなしに/若い女を叩く/こうもりが叫ぶまで/一人は食事をつくる/一人は罪人を探しにゆく/一人は自瀆/一人は女に殺される」
 これが1連。エロチックなイメージが暴力や死で彩られ、十分に背徳的な作品である。いっそ醍醐味と言ってもよいが、そこに美を見出せるほど、日本の口語詩は成熟していた。最後、「四人の僧侶」は「世界より一段高い所で/首をつり共に嗤う/されば/四人の骨は冬の木の太さのまま/縄のきれる時代まで死んでいる」で終わる。私はこの詩を解釈したりはしない。ただ、このような反時代的で暗い世界を言葉で作り上げたことに敬意を表するのみだ。とにかくこの詩で吉岡はいきなり現代詩のトップランナーに躍り出たのだ。
 現在、蔵前に本社がある筑摩書房は吉岡が勤務当時、本郷森川町にあった。本郷通りの郵便局前を西へ入ってすぐのところ、近くに徳田秋声の旧宅が碑とともに保存されている。吉岡は入社してすぐ『小学生全集』というシリーズを担当。筑摩書房初の個人全集『樋口一葉全集』の内容見本も作った。その過程で一葉研究の第一人者だった和田芳恵と知り合う。筑摩書房には和田の娘・陽子がいた。1959年、吉岡は陽子と遅い結婚をした。
 当時、筑摩には吉岡のほかに詩人が2人在籍していた。会田綱雄と飯島耕一だ。「飯島耕一と出会う」(『「死児」という絵』)によれば、社内の酒席で経理の青年から「わが社に高名な詩人がいる」と言われた。吉岡はまだ無名、会田もまだ詩集を出していない。そこで探ってみると「四階の踊り場に机を置いて、黙々と仕事をしている青年がいるのに気づいた」。これが飯島だ。飯島はすでに評判となった詩集『他人の空』を出していて、確かに会田や吉岡より名が知られていた。
 出版社に詩人がいる環境は意外に大切で、西脇順三郎の著作が『全詩集』を始め多く筑摩書房から出たのも彼らが放つ詩の磁力にあったのだろうと思う。河出書房(のち新社)には清水哲男、三木卓、平出隆がいた時代がある。
 また、筑摩書房在籍の頃から吉岡は装幀も手掛けるようになった。西脇の『鹿門』『人類』などの筑摩書房から出た詩集も吉岡の装幀。『「死児」という絵』も自装である。タイポグラフィ中心に、少ないビジュアル情報であくまで瀟洒に本を仕立てるセンスを持っていた。思潮社から出た田村隆一の「詩と批評」シリーズも吉岡の手による。私は大好きな装幀だ。
 筑摩書房は1978年に倒産(のち再建)し、在職28年で吉岡は退社。15の歳で医学出版社に就職、途中戦争を挟んで、詩人としての高名は筑摩書房に籍を置いて得たものだった。「本郷龍岡町界隈」に感傷が混じるのは当然である。そして最後はこう結ばれる。
「本郷龍岡町という地名は、今はない」
(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。