第四回 篠田正浩 ②
 篠田監督とは、何かの仕事だったり、ただの観劇だったりではあるけれど、ずいぶんあちこちの旅にご一緒した。その度に何かしら心に残る言葉があった。
 四国琴平町のこんぴら歌舞伎が現在の形で開催され始めたのは昭和六十一年のことだが、その第三回には十七代目勘三郎が『釣女』の醜女と『伊賀越道中双六』「沼津」の雲助平作をつとめると聞いて、監督をお誘いした。
『釣女』を観ての感想は「美女に対抗しての醜女のあの化粧かおは肉体派の象徴だな」というもので、あまりにユニークだったので憶えている。
 でも、その時の観劇体験が十年後に監督の『写楽』(平成七年)で実を結ぶ。真田広之扮する大部屋役者(写楽)を中村富十郎演じる当時の市川團十郎との大立廻りの場面などに、あの琴平の金丸座が存分に使われていたのだった。ほの暗い桟敷席の江戸庶民に扮したエキストラたちをカメラが俯瞰するのを試写会で観た時、あ、私もかつらと衣装をつけて商家のご内儀か何かであそこに出してもらえばよかった、と思ったけれど、もう遅かった。
 思えば監督とはずいぶん共演・・を果たしている。
 NHKテレビには「週刊ブックレビュー」という素敵な番組が前にはあって、児玉清さんが司会の時に呼ばれて行ったら同席に監督がいらしてびっくりした。
 また、四国屋島の農村歌舞伎舞台で、澤村藤十郎が菊池寛の『藤十郎の恋』を演じた時、趣のある茅葺平屋建ての舞台で菊池寛に関するシンポジウムがあり、そこでも監督と居並んだ。
 それから「週刊現代」の市川團十郎襲名に関しての座談会の顔ぶれが、犬丸治氏と監督と私、といった具合。
 私はその度にいろいろな悩みごとを聞いていただいたりすると、「女の人はちゃんとした演出家を専用に持たなくちゃだめだよ」とか、「絶望、という言葉はね、死ぬ病いを得た時以外使っちゃいけないよ」とかと、ばっさり。
『忠臣蔵』の全芸談を網羅する私の書き下ろしがなかなか捗らないでいると、「出来上がった暁には、歌川国芳の『義士討入図』を上げるから」と励ましてくださり、その約束は本当に果された。のちにNHKの「日曜美術館」が、監督から聞いたと言って、借りに来たが、返却はあちらでなく必ず私にね、と強く念を押して貸し出したこともある。
 本当に、ずいぶんご恩になった。

 篠田夫人の志麻さんともかなり遅れて親しくしていただくようになった。電話をすると「いつも主人がお世話になっております」と言われるのがこそばゆくて、「婦人公論」に申し出てインタビューさせてもらった。その前に監督と洗足池のイタリアンで逢って予備取材。監督は北千束のお宅から歩いていらして、「毎朝でもないけどこの池の周りを二回くらい周ってるんだ」とお元気そうだった。
 志麻さんとは初対面から打ち解けて、その後は何度かご夫妻と私とその時々の誰かを交えて会食したし、私が企画した志麻さんと大島渚夫人の小山明子さん。志麻さんと仲代達矢さんに対談していただいた。そのご縁で仲代さんの無名塾公演、ブレヒトの『肝っ玉おっ母と子供たち』をご一緒に観に行ったりもするようになる。
 その時だったか、「近ごろ歌舞伎をまったく観てないわ」ということだったので、新橋演舞場の正月公演、團十郎・新之助(当時は海老蔵・勸玄)共演の『播随長兵衛』他にお誘いした。
 その帰り、志麻さんの車で送ってもらいながら、ちょっと監督にご挨拶できないかしら、と言ってみると「訊いてみるわね」と電話をしてくれて、「どうぞ、って。今ごろ着替えたり髭剃ったりしてるわよ」と笑いながら「このごろ病気勝ちで足が弱ったので、寝室兼居間を一階に移したので、狭い部屋よ」とのことだった。
 監督はにこやかに迎えてくれて、畳一畳を縦にしたほどの本棚に顔を向けると、「ずいぶん整理した」とのこと。私が上から順に見て行って、下から二段目に眼が行くと、そこには私の著書が一段びっしり。私が贈った本も贈らなかった本も、総てそこに居並んでいた。驚きながらも、感激して監督を見上げると、両手を八の字に開いたので、迷わずそこに飛び込むと、監督が静かな声でこう言った。
「初めてハグしたね」

 監督の病気が重くなり、志麻さんから何度かお誘いがあったが、私はお見舞に行かなかった。監督も望まなかったと思うので。


プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。