岡崎 武志

第57回 ウィリアム・ケント・クルーガーはいいぞ!

「ナイトキャップ」という言葉がある。本来の意味は、就寝の際に髪型の乱れを防ぐためかぶる帽子のこと。つばはなく、すっぽりと頭部を覆うタイプで、たしかに寝ぐせなどは回避できます。もう一つ、隠し言葉というのか、派生してできたのが就寝前の酒。「寝酒」などという。これを「ナイトキャップ」と呼ぶ。私などは後者の常習者だ。
 さらに、ここで勝手につけ加えたいのが「ナイトブックス」あるいは「ナイトリーディング」とでも呼ぶべきことで、つまり眠る前に寝床で少し本を読む。私の文章を読むような人はたいてい読書家だから、大勢いると思われる。これも「ナイトキャップ」と洒落てみたい。
 私みたいに職業的にも読むし、趣味でも読むということに、人生の時間の多くを費やしてきた人間は、べつに「ナイトキャップ」と限定しなくても読む読むの日々である。ただ、寝床に入って、ベッドのライトをつけて読む本はわりあい限られる。わがベッドの頭部近くに横長の本棚があって、これがいわば「ナイトキャップ」予備軍。詩集やエッセイ集、読みさしの小説などジャンルはさまざまだが、中央に位置するのが早川書房のハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス。日本を代表する翻訳叢書である。この叢書の功績については丸谷才一『快楽としてのミステリー』(ちくま文庫)収録の鼎談「ハヤカワ・ポケット・ミステリは遊びの文化」(丸谷才一・向井敏・瀬戸川猛資)を一読あれ。
 しかし、こんな早口言葉みたいな長い名前を呼ぶ人はなく(これまで出会ったことがない)、みな縮めて「ポケミス」という愛称を使っている。私は参入が遅く、20代半ばぐらいかと思うが、たぶんディック・フランシスあたりからこれを読み始め、新書・2段組・ビニールカバー・三方黄色のシリーズに親しむようになった。「ポケミスに……」と言う時に、ちょっと大人になったような気がしたのである。

 写真に撮りましたが、現在もベッドの本棚に数冊を常備している。購入はブックオフ巡りの副産物で、あれこれ探索したあと、新書の「外国人作家」の棚から選び出す。新刊の価格はどれも2000円近く、あるいはそれ以上だが、500円以下に網を張ってこれぞと思うものをピックアップする。ちゃんと調べたわけではないが、どうも「ポケミス」からハヤカワ文庫に収録された作品は、その時点で大幅に値が下がるようである。『果てしなき輝きの果てに』が2冊ダブっているのは、単に買ったことを忘れ2度買いしたため。
 直近で読み終えたのがウィリアム・ケント・クルーガー『ありふれた祈り』(宇佐川晶子訳)。途中で起き上がってひと晩で読了したほど、これが面白かった。以下、その話を。

1961年ミネソタ州田舎町の惨劇
 私はこの著者についての前知識はゼロ。ブックオフ500円以下のポケミスというエサで釣り上げた思わぬ大物である。まずは簡単な略歴を。
 クルーガーは1950年生まれ。オレゴン州で育ち、スタンフォード大学中退後、様々な職を経て作家デビューを果たす。元保安官のコークを主人公とするハードボイルドシリーズの第1作『凍りつく心臓』がアンソニー賞とバリー賞の最優秀処女長篇賞をダブル受賞し、いきなり人気作家となった。シリーズの第4作邦訳『二度死んだ少女』(講談社文庫)カバー袖紹介文に「美しく厳しい自然を背景に描かれる本シリーズは、いきいきとした人物描写とサスペンスあふれる展開で、高い評価と人気を得ている」とあるが、じつはシリーズ外の本作にもこの評はそのまま当てはまる。
 つまり、クルーガーの作の多く(すべてと言い切るほど読んでいない)は、著者が現在住むミネソタ州を舞台とする。ミネソタ州はアメリカ中西部北、カナダと北で接する州で、人口が集中する都市部(州都はセント・ポール)と人口の少ない北部の森林地帯で成り立つ。クルーガーが描くのは北部。ここには古来から先住民が多数の部族で住みつき、インディアンと総称されるが、入植するアングロ・サクソンとの衝突、差別の対象ともなった。クルーガー作品にもそうした背景が色濃く影を落とし、独自の特色ともなるのだ。
 ハードボイルドはチャンドラーやハメット、ロス・マクドナルドほか、ロバート・B・パーカーやローレンス・ブロックと多くは都市部でうごめく人物と犯罪を描いてきた。私立探偵は人口が集中する犯罪都市でこそ成立する職業だ。クルーガーは冬はブリザードで凍てつく地方の町で、住人は誰も顔見知りというミニマムな世界を選び、逆にそこから独自の作風を築き上げた。閉鎖された社会にこそ起こりうる人物間の対立と混迷、厳しい自然がクルーガー作品の大いなる特色となった。
『ありふれた祈り』(タイトルが後半、非常に重要となる)は、2013年に発表、翌年早くもポケミス入りした。講談社文庫では先述の元保安官コークのシリーズがすでに8作、出版されていた。同シリーズの愛読者は、シリーズ外で初めて出会う長編、しかもポケミスだったわけである。私はずいぶん周回遅れの読者。
 これが面白かった。合間をおかず、同じ作者のコーク・シリーズを続けて3冊読んだことからも入れ込み具合がわかるだろう(写真参照)。

苦悩と家族再生の物語
 1961年の夏、ミネソタの田舎町でボビーという知恵おくれの子どもが鉄道事故に遭う。これは惨劇の序章となり、次々と平穏なはずの町を災厄が襲う。中心となるのは牧師一家で父・ネイサン、母・ルース、話し手となる13歳のフランク(「わたし」)、姉のアリエル、弟のジェイクという構成。この「わたし」が40年後に回想するというスタイルで叙述される。いっけん幸せそうな安定した家族に見えるが、姉は兎口を手術した跡が残り、ジェイクは吃音症。牧師の父は、弁護士の道を約束されながら、戦争体験を重く引きずり牧師となった。若き日からの恋人だった母・ルースはそのことを不満に思っている。
 アリエルには音楽的才能があり、かつて華々しい成功を収めた町の音楽家、エミール・ブラントの指導を受けるが彼は盲目で、妹は聴力障害があり兄に頼り切っている。フランクの友人ダニーは父親から暴力を受けていて……と、登場人物の多くが何らかの障害や欠損を抱えている。思春期にあるフランクの眼から、決して幸福ではない大人、いわれなき悪意、そして子どもたちの決して単純ではない世界が垣間見られ、読者は次第に物語の渦に巻き込まれていくのだ。
 フランクは川のそばで死体を発見し、そばにいた部族の老人と出会う。彼はダニーの大伯父にあたるが、先住民ということと、過去により事件が起こると疑いを向けられる。町はどんよりとした不穏に包まれ、姉のアリエルが失踪することで決壊する。
 姉の死を知ったフランクが述懐する。

「知ることは知らないことより何倍も悪かった。
 知らなければ希望があった。なにか見過ごしていたことがあるかもしれないという希望。奇蹟がおきるかもしれないという希望。ある日電話が鳴り、日の出にさえずる小鳥のようなアリエルの声が聞こえるという希望」

 13歳には重すぎる苦悩だが、『ありふれた祈り』というタイトルに込められたできごとが奇蹟となり、家族は絆を取り戻していく。ミステリである以上、殺人と犯人捜しは常套だが、本作は試練を乗り越えていく家族の物語として胸に突き刺さっていく。
 帯に麗々しく謳われているので写しておくが、本書はエドガー賞、バリー賞、マカヴィティ賞、アンソニー賞と全米4大ミステリ賞の最優秀長篇賞を独占した。おもしろさと感動については、まずまちがいなしと保証しておく。

(写真は全て筆者撮影)

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この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。