第五回 二代目市川猿翁 ①
 猿翁って、三代目市川猿之助のこと。あの元気溌剌、意欲旺盛の沢瀉屋に翁の字はどう考えてみても似合わない。
 最近、七代目菊五郎が隠居名を名乗るのを嫌って、強引に二人菊五郎で押し通すことに成功したが、猿之助さんもさぞやそうしたかったことだろう。そう言えば三代目の祖父に当る二代目猿之助も、初代猿翁を名乗って、 
  翁の字のまだ身に添はず初日の出
 だったか、そんな句を当時の雑誌で見たし、三代目も同様の感慨を述べていたように思う。
 私はこの二代目猿之助が大好きだった。中学の時に読んだ芥川龍之介の随筆に、うちには三人の女の年寄りがいて、賑やかに芝居の噂をするけれども「猿之助は面白いから好き」と大層人気があった、というようなくだりがあった。それからというもの、二代目猿之助に注目して観ていると、『裏表先代萩』の小悪党、小助の面白さと言ったら無類で、失敗を口惜しがる幕切れの表情があまりにおかしくて、母と叔母が「あの顔!」と大笑いするのが恥ずかしかった。
 また、「小猿七之助」(『網模様灯籠菊桐』)の猿之助の小悪党七之助が、三代目時蔵(今の時蔵の曾祖父)の夕立で気絶した奥女中滝川を犯したあとに、下帯を締め直しながら出てくる姿のリアルさにゾクッとして、今もくっきりと目に焼きついている。思えば、あんな芝居によく中学生の私を母が連れて行ったものだと思う。
 私は藤間流の日本舞踊を中学の時からお稽古に通っていた。お師匠さんの旦那さまは初代の猿三郎だったので、おさらいで私の『鷺娘』や『将門』の滝夜叉など、衣裳の引き抜きやぶっ返りのある演目では後見に「おじちゃん」が出てくれるという贅沢さだった。
 大学卒業のお名取り寸前に、お師匠さんがまだ五十代の若さで突然亡くなってしまった。
 その葬儀に、二代目猿之助と三代目段四郎親子が参加し、細い廊下を稽古舞台の祭壇へと進む堂々たる紋付袴姿が今もって忘れられない。まるで二台の重戦車の行進のようだった。
 のちに三代目猿之助さんにその話をしたら、
「重戦車(笑)、タンクですよね。そう言えば、祖父はかなり短躯でしたね」
 と面白がってくれた。
 私は猿之助さんの初舞台(昭和二十二年一月)、『二人三番叟』の附千歳を東劇で観ています、と言うと、「え? あなたおいくつなの?」と私の斜め下に顔を持って来て、またおかしそうに笑うのだった。 

 三代目とは取材で知り合う前に、いろんな劇場のロビーや客席でお見かけした。
 最初は現白鸚、当時の颯爽たる染五郎(六代目)がジンギスカンを演じた『蒼き狼』の東宝劇場。
 また、京劇の梅蘭芳メイ・ランファンの『貴妃酔酒』を観るための歌舞伎座。といった具合で、その旺盛な演劇探求心が如実に表われていた。
 三代目の異文化への挑戦が頂点に達するのは、やはり本場のドイツオペラを演出することではなかったかと思う。
 平成四年の夏、私はミュンヘンのバイエルン国立オペラ劇場にほど近いホテルフィアレッツァイテンに滞在していた。その頃は日本郵船が主催するオペラツアーに参加したほうが何かと便利で安全だったので、友人たちとよく利用した。
 ある日、広々としたロビー階のラウンジに大ぶりの紺地の扇子をバタバタと派手に使っている日本人の男性がいて、まさかと思いながら目をこらすと、やっぱり猿之助さんだった。すぐに気づかれたので挨拶に伺うと、当時のN響指揮者サヴァリッシュさんからのお話で、オペラ『影のない女』(R・シュトラウス)の演出をすることになり、その勉強のための滞在とのこと。
 バイエルンの夏のオペラフェスティバルの最終日、七月三十一日は毎年『マイスタージンガ-』(ワーグナー)と決まっていて、あの時はその前日が『ドン・ジョバンニ』(モーツァルト)、前々日が『ばらの騎士』(R・シュトラウス)という素晴らしい演目揃い。ヘルマン・プライやベルント・ヴァイクルという名歌手が出演して、最高だった。
 猿之助さんが、「ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で歌った日本人はテノールの市原多朗さんに続いて僕が二人目よ」と自慢するので、よく聞くと、歌舞伎引越公演の『黒塚』で老女が糸を繰りながら口ずさむ「歌」のこと。「なあんだ」と拍子抜けして、大笑いになった。
 猿之助さんはいつもタキシードの正装でオペラに通い、バイエルンを観終えたら、ワーグナーの聖地バトロイトに寄るのだと言っていた。
 朝食のメインダイニングではよく一緒になり、私が友人と向き合って話していて気づかずにいた時など、突然二人の間に笑顔を差し入れて、「オハヨウゴザイマス」と挨拶してくれた。
 のちに猿之助さんのヤマトタケルが最初の登場でこの挨拶の台詞を言うと、爽やかなミュンヘンの朝の空気が漂ってきて、自然に頬がゆるんだものだった。


(写真は著者提供)
プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。