第六回 二代目市川猿翁 ②
 藤間紫さんが晴れて三代目猿之助夫人として入籍したのは平成十二年のこと。
 二十八歳の人妻を十二歳の少年が見染める初恋物語が、とうとうここに実を結んだのは輝かしい一大ロマンだと思った。
 私はその頃、『女優であること』という連載を持っていたので、すぐに紫さんに会いに行った。
 以前は三代目の楽屋でお見掛けすると「取材が済んだらさっさとお帰り」といったふうだった紫さんが、この時はすっかり優しくなって幸せそうだった。
 入籍に至ったのは、紫さんが大病をした時に病院では内縁・・というのが通用しなくて不便だったこともあり、また紫さんが麻酔から醒めた第一声が「ご飯ちゃんと食べてる?」だったことが猿之助さんを感激させたから、とのこと。
 その時聞いた紫さんの話によると、父上は河野勝斎という日本医科大学学長をつとめたほどのお医者さまで、紫さんは人力車で小学校に通い、同級だった金子信雄さんに「ねえ、乗せてくれよぅ」と羨ましがられた、とか。
 十二歳で藤間流宗家の六世勘十郎に入門。いつも紫の大きなリボンをつけていたことからのちに藤間紫の名をもらい、六代目菊五郎からは「ピア」と呼ばれて(色が浅黒くてエチオピア人みたいだと言われ)可愛がられた、とか。
 もっと話したいからと軽井沢の山荘に招かれ、当日、駅にはお弟子の猿四郎さんが待っていて、車中では、「いやぁ、男のけじめと言うか、旦那、かっこいいと思います」と感想を述べてくれた。

 山荘に着くと猿之助さんのにこやかな出迎えがあって、早速邸内を案内され、「庭のこの松、入籍記念に植えた『紫の松』です」とか、体育館のような別棟の稽古場では、正面上方に掲げられた紫さんのまるで優勝掲額みたいな写真を「西太后です」とか、部屋に戻ってソファーの上の大きなクマの縫いぐるみは「これ、僕の還暦祝いに赤いマフラーの白熊、玉三郎とのりちゃん(勘三郎)、連名で贈られました」とか、楽しかった。
 紫さんはと言えば、頭に白い布を被った前掛け姿で、黙々とお茶を出してくれたりする奥様役が、とても嬉しそうだった。
 紫さんの入籍について猿之助さんは「女の人の魅力は年齢と関係ないから。出逢いは運命みたいなものだから」と言っただけで多くは語らず、あとは芝居の話が多かった。
「僕が子役のころ『め組の喧嘩』の鳶で出て、喧嘩に出かける前の勢揃いでは小さい順に水盃を回しますよね。両脚にプップッと水を吹きつけて『これでおいらの肝ぁすわった』というところを『これでおいらの肝ぁつぶれた』と言って辰五郎役の六代目(菊五郎)のおじさんも、みんな大笑いになった」とか。
「僕は二十三歳の五月に三代目猿之助を襲名して、口上の楽日に祖父と父が病中なのに出ててくれて、祖父はその翌月に亡くなってしまうし、父も続いて亡くなるし、梨園の孤児と言われてましたが、十七代目勘三郎のおじさんにはずいぶん助けていただきました」とか。
 十七代目は自身も早く父(三代目歌六)を亡くしていて、猿之助さんや十二代目團十郎さんなど同じ境遇の後進の面倒をよくみた。
「猿之助ね、あの人は一生懸命だね、この間歌舞伎座の監事室で見てて、いつ望遠鏡で見ても真剣な目つきをしていたよ」
「夏雄(團十郎)さんね、筋としては叔父さんの豊(二代目松緑)さんに教わりに行かなくちゃいけないんだけど、あんまり可哀そうだからそっと脇へ呼んで教えてやったことがある」
 などと、その日私も猿之助さんに話した。
 あとは、「好きな花は何ですか?」「木に咲く花が好きですね、梅の花とか」。「いつか車ごと皇居のお堀に落ちましたね、あの時の車種は?」「サンダーバードです」とか、楽しかった。
 夜になって食堂に案内され、猿之助夫妻と席に着いた。珍しい木目の立派なカウンターを先ず褒めると、「これは東京の腰掛け割烹で気に入ったので、料理人ごと買ってしまって」とのこと。
 私は前に読んだ『千夜一夜物語』の「船乗りシンドバッドの冒険」で、主人公が大富豪の成功譚を聞く場面をふと思い出しながら、猿之助さんの全盛を喜んだ。

 忘れもしない平成十三年の十一月十七日。私は博多座へ遠征して『西太后』を観に行った。初演では村井国夫さんが演じた恭観王の役を今度初めて自分が演じるからと、猿之助さんからお知らせがあって、十七日は昼一回の公演だから、終演後は博多のおいしい物で会食を、という素敵なお誘いもついていた。
 その日、幕があくと明らかに猿之助さんの台詞がへんで、呂律が回っていないようだった。
 終演後、初期の脳梗塞と診断され、即刻入院となり、それからの猿之助さんには不本意なこと続きで、私の筆も折れてしまった。
 ただ一つ、その後の明るい思い出は、紫さんが主催する銀座のホテルでの盛大な新年会に小康を得た猿之助さんが出席された時、私の挨拶を受けてにこやかにこう言ったこと。
「あの時、入院と言われて、『約束があるので食事してからすぐに来ますがダメですか?』と言ったら、とんでもない、と言われてね」
 ずっと気にしてくれていたのだった。


(写真は著者提供)
プロフィール
文/関 容子(せき・ようこ)
エッセイスト。東京都生まれ。日本女子大学文学部卒業。雑誌記者を経て、1981年『日本の鶯―—堀口大學聞書き』で日本エッセイスト・クラブ賞、角川短歌愛読者賞受賞。96年『花の脇役』で講談社エッセイ賞、2000年『芸づくし忠臣蔵』で読売文学賞と芸術選奨文部大臣賞。著書に『歌右衛門合せ鏡』『勘三郎伝説』『海老蔵そして團十郎』『舞台の神に愛される男たち』『客席から見染めたひと』『銀座で逢ったひと』『名優が語る 演技と人生』などがある。「婦人公論」にて「名優たちの転機」を連載中。
絵/南 伸坊(みなみ・しんぼう)
イラストレーター・装丁デザイナー・エッセイスト。 一九四七年東京都生まれ。 東京都立工芸高等学校デザイン科卒業。美学校で木村恒久氏、赤瀬川原平氏に学ぶ。雑誌『ガロ』の編集長を経てフリー。 主な著書に『私のイラストレーション史』『ねこはい』『生きてく工夫』『あっという間』など。近著に『仙人の桃』『老後は上機嫌』(池田清彦と共著)『昭和的』(文・関川夏央 絵・南伸坊)。