岡崎 武志
第62回 映画は見るのも楽しいが読むのも楽しい
今年の夏は季節が秋に変わっても猛暑が続き……という話題はもううんざりでしょう? 私もうんざり。気温としては長い長い暑さのトンネルが続き、そのおかげといっては何だが、本もたくさん読めたし映画もたくさん見た。これすべて、外出を避け、家にひきこもっていたからである。ほとんど隠居生活。映画については、テレビ放送と動画配信が中心で、ほぼ毎日1本は見ていた。NHKBSの平日午後1時からは、やや教科書的なセレクトではあるが、内外の名画が惜しげもなく放出され楽しい。なにしろCMの中断はないし、デジタルリマスターにより画像も鮮明だ。かつて何度か見た作品も、ついつい手が伸びる。いい時代になったものだ。
映画を見ると、そのままの時もあるが、たいてい作品情報や映画評を確かめたくなる。家には映画の本もずいぶん揃っているのだ。この1年ぐらい、NHKBSで放送されるような映画史に残る作品については、必ずといっていいほどページを開く本がある。それが、今回ご紹介する『別冊暮しの手帖 シネマの手帖 DVDで楽しめる250本の名作ガイド』(暮しの手帖社)で2009年の刊。12月5日発行の日付は、つまり映画を見たくなる年末年始を狙ってのタイミングだろう。本というより雑誌の体裁のムック本で写真を多数収録。

内外の映画250本を昭和29年から55年まで、時代的に6分割して紹介している。ほか、川本三郎の総論、佐々木譲、常盤新平、金井美恵子、村松友視、佐藤忠男、熊谷博子がテーマ別にエッセイを寄せていて読み応えあり。各作品の執筆者は6名。一般的には著名とは言えない映画関係者と映画ジャーナリストによる。かえってそれがいい。独自の理論や自己主張を盛り込まないで、それでも基本的情報と見どころをちゃんと伝え、新しい知見も得ることができる。
いちばん最近、開いたのは『フレンチ・コネクション』のページ。これもBSで見た。4度目ぐらいになるか。大好きな映画だ。ウィリアム・フリードキン監督の1971年作品。いわゆる刑事ものでエネルギッシュなニューヨークの刑事ポパイ(あだ名)に扮するのはジーン・ハックマン。相棒はロイ・シャイダー。麻薬ルート(大元はフランス)を追い、ニューヨークを縦横無尽に駆け巡る。スリリングかつ爽快な映画だ。
『シネマの手帖』はどんなふうに書いているか。
好色で好戦的な、まさにダーティー・ヒーロー
この項の執筆者は「S」(坂口英明)。まず1960年代末から70年代の中ごろまでのニューヨークが「暴力とクスリが蔓延する大都会」だったと前置きする。そんな街のどぶ掃除をするのがポパイことドイル刑事。「見てくれはよくないし、ふてぶてしさは一級、好色で好戦的な、まさにダーティー・ヒーロー」だという。いや、その通りだ、と映画の印象を追認することになる。映画の見どころは多いが、当時も話題になったのは高架鉄道で逃亡する容疑者を追い、ポパイが架線の下を信号を無視して追うカーチェイスのシーン。ここは「スリリング」と一言で片づけ、それで十分だが、たとえば信頼すべき評論家の芝山幹郎は『映画一日一本 DVDで楽しむ見逃し映画365』(朝日文庫)でこの追跡シーンが「およそ十分にも及ぶ」ことに言及。「いま見ても手に汗にぎるほどスリリングだが、三十五年前は文字どおり息を吞まされた」と率直な感想を付す。
その代わりに『映画の手帖』が字数を費やすのはジーン・ハックマンの動き。「ハックマンは悔しがるアクションが魅力的だ。天を仰ぐ、帽子をたたきつける、箱をけとばす、汚い言葉を叫ぶ……」。また同年公開の、同じ刑事もの『ダーティー・ハリー』と比較し、イーストウッドの刑事が「静のイメージだったのに対し、ポパイは動そのものである」としたのは、映画評にふくらみを与えている。
各作品の紹介に与えられた字数は約800字。400字原稿用紙2枚とややタイトだが、本書の書き手はこれを十二分に活用している。文章講座のテキストにも使えそうだ。
こうなると、ジーン・ハックマンがこの2年後に主演を務めた『ポセイドン・アドベンチャー』にも触れたくなる。1973年公開というから私は16歳。高校2年だが、「何かとんでもない映画がアメリカで作られて日本で公開されるらしい」と噂が伝わってきた。その噂の熱気が増幅され、友人と連れ立って大阪・梅田の封切館へ見に行き、文字通り度肝を抜かれた。その時のショック(大型客船が津波で転覆し真っ逆さまになる)は、まだ体のどこかに残ってそうだ。
『映画の手帖』の記述(執筆者は「S」だからこれも坂口英明)を読む。「なにしろCGのない時代」を頭に刻もう。その上で、「製作費は当時の金額で1200万ドル。船のセット、転覆場面の撮影、1135万リットルを使ったという水道代に大半が消えた」、それは役者のギャラより優先された。これは知らなかった。
結果、この映画は大ヒットとなり、以後「パニック映画」と呼ばれる大作が次々と作られる、その端緒だった。「ハリウッド復活の、いわばターニング・ポイントとなった1本」だという。
これらは別に知らなくても、高校生だった私の感動に変わりはない。だが、そうやって後年になって教えられれば、好きな映画に新たな意味が加わることになる。『ポセイドン・アドベンチャー』なら全シーンを記憶で再現し、いかに涙したかも語ることはできる。そこに「いや、じつはね、あの映画に使われた水の量は……」と付け加えることになりそうだ。
映画について語る快楽
和田誠・編『モンローもいる暗い部屋』(新潮社・1985年)も、とてもよくできた映画エッセイのアンソロジーで時々読み返す。巻頭に編者の和田誠がこう書いている。「スクリーンに映画が投影された日に、映画は映画となったようだ。それは楽しみも退屈も、ほかの大勢の人と共有できるからである。スターも共有できる。マリリン・モンローのお色気も、ハンフリー・ボガートの恰好よさも。真っ白と真っ黒だけの映画を観た苦痛も、一緒に観た友だちとあとで悪口を言い合うことによって、楽しみに転化できるのだ。映画について友人としゃべることは、ぼくにとって大きな喜びである」
映画は一人で見終わった時点でいちおう完結するが、一緒に見た友人と、あるいは同じ映画を見た人と語り合うことで、映画の楽しさはよりふくらむだろう。小林信彦の映画対談集『映画に連れてって』も楽しい本だが、帯に「この《たのしいお喋り》に、参加しませんか!」とあるのは、ここのところを指している。

『シネマの手帖』も映画のことをよく知る人たちから、いろいろな知識を授けられる。私が付箋を貼ったページから「へえ、そうなの」と思ったところを以下挙げておく。
『眺めのいい部屋』は「監督アイヴォリーの名は、ギネスブックに出ている。製作者イスマイール、脚本ルースとの、映画界最長トリオの一員としてだ」。
『グロリア』の監督はジョン・カサヴェテス。「五年前の映画『きみに読む物語』に出演依頼を受けたジェームズ・ガーナーは、若い監督のことを『彼は知らないが、あのファミリーの一員なら大丈夫だ』と語った。/あのファミリーとはカサヴェテス一家のことだ」。
ジョン・フォード監督『捜索者』。「例えばスピルバーグ監督は、新作撮影前や創作に行き詰まったときに見る映画として、『七人の侍』『アラビアのロレンス』『素晴らしき哉、人生!』と共に、『捜索者』を挙げている」。
アンリ・ヴェルヌイユ監督『ヘッドライト』にはフランス語の原題があって、邦訳すると「とるにたらぬ人々について」。
木下恵介監督『野菊の如き君なりき』で民子を演じた有田紀子。その後、あまり顔を見なくなったが、木下作品に何本か出てあっさりと引退。「今や年商1千億円の特殊印刷機製造会社の個人筆頭主だ」そうだ。
映画に関するエッセイのアンソロジーで、ほかに挙げておきたいのが日本ペンクラブ編、長部日出雄・選『映画が好きな君は素敵だ』(集英社文庫)。1984年刊で、先述の『モンローもいる部屋』が1985年。どちらにも選ばれているのが村上春樹。1980年代半ば、村上春樹の時代が来ていたんだなあ、と思う。さらにつけくわえれば、両書と『映画につれてって』、3冊とも装丁は和田誠である。
(写真は全て筆者撮影)
≪当連載が本になりました!≫
『ふくらむ読書』(春陽堂書店)岡崎武志・著
「本を読む楽しみって何だろう」
『オカタケのふくらむ読書』掲載作品に加え、前連載『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』から「読書」にまつわる章をPICK UPして書籍化!
1冊の本からどんどん世界をふくらませます。
本のサイズ:四六判/並製/208P
発行日:2024/5/28
ISBN:978-4-394-90484-7
価格:2,200 円(税込)
「本を読む楽しみって何だろう」
『オカタケのふくらむ読書』掲載作品に加え、前連載『岡崎武志的LIFE オカタケな日々』から「読書」にまつわる章をPICK UPして書籍化!
1冊の本からどんどん世界をふくらませます。
本のサイズ:四六判/並製/208P
発行日:2024/5/28
ISBN:978-4-394-90484-7
価格:2,200 円(税込)
『ドク・ホリディが暗誦するハムレット オカタケのお気軽ライフ』(春陽堂書店)岡崎武志・著
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。
本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)
書評家・古本ライターの岡崎武志さん新作エッセイ! 古本屋めぐりや散歩、古い映画の鑑賞、ライターの仕事……さまざまな出来事を通じて感じた書評家・古本ライターのオカタケさんの日々がエッセイになりました。
本のサイズ:四六判/250ページ
発行日:2021/11/24
ISBN:978-4-394-90409-0
価格:1,980 円(税込)
┃この記事を書いた人
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。
岡崎 武志(おかざき・たけし)
1957年、大阪生まれ。書評家・古本ライター。立命館大学卒業後、高校の国語講師を経て上京。出版社勤務の後、フリーライターとなる。書評を中心に各紙誌に執筆。「文庫王」「均一小僧」「神保町系ライター」などの異名でも知られ著書多数。
Blog「はてなダイアリー」の「オカタケの日記」はほぼ毎日更新中。
2023年春、YouTubeチャンネル「岡崎武志OKATAKEの放課後の雑談チャンネル」開設。






















